第28話 森の魔法使い、死す

 ここはグレイベルク王国の国境付近に位置する関所――。


 辺りは見渡す限りの草原地帯であり、それはグレイベルクへ訪れる者にとっての最初の関門となる。


 グレイベルクの領土は広く、周囲を防壁に囲まれた城下町と王城はこの国の象徴と言える。

 広大な領地内には小規模の村もいくつか点在しており、すべてグレイベルクの所有物だ。


 領地内へ入るには国境付近での検問を受ける必要があり、城下町へ入るには正門前での検問という、この二つの関所を通らなければならない。

 最初の関所は防壁から距離を取り、防壁を囲むようにいくつも設置されている。

 もはや誰にも見られずこの国へ侵入することなど不可能だろう。


 だがそこに、龍の心臓――ジーク、アルフォード、エリザの三人の姿はあった。


 政宗と別れてから数日が経ち、三人は草原地帯を抜けてグレイベルクへと辿り着いていた。


 それぞれはローブに備え付けられたフードを被り顔を隠しているが、それは彼らがこの国へ観光をしにやって来た訳ではないことを意味している。


「そこの者! 止まれ!」


 現れた三人を前に、関所の役人二人は槍を構え警戒していた。

 命令に従い立ち止り、沈黙している三人の様子を窺いながら、恐る恐る近づいていく。


「エリザ、やれ」


 ジークの声が聞こえ、エリザが役人たちへ手をかざした。直後、役人二人はその場で気を失い倒れた。


「お前の言っていた通り問題なさそうだ」


「ここは数ある関所の中でも基本的に手薄だ。わざわざ見晴らしのいい場所から侵入する悪人はいないからなあ。商人や旅人くらいしか通らない」


「それにしても二人だけというのは数が少な過ぎるわ」


「おそらく魔族の相手で手一杯なんだろう。こっちに人を回せないんだ。もしかすると俺がいた時よりも警備が薄くなっているのかもしれない」


 三人は関所を難なく通り過ぎながら、簡単すぎることに違和感を抱いていた。


「待て、誰か来る」


 そこでジークの声に二人の足が止まった――。


 どこからか馬の鳴き声が聞こえた。

 そこに三人の兵を引き連れた一人の老人の姿が現れた。


 甲冑を着込んだ三人の兵は目の前で止まると馬を下りる。

 それぞれは手に直剣を握りしめており、目の前のジークらを睨み、構えた。


「ホッホッホッ! よいよい、お主らでは相手にならんわい。わしがやる、下がっておれ」


 長く伸びる白い髭と髪。

 全身を包み込む、足元まで隠すほどの大きな茶色いローブ。

 兵が道を開けると、馬から降りた老人はゆっくりと前へ出た。


「ホッホッホッ! これはこれは……お久しゅうございます、アルフォード様」


 老人はゆっくりと頭を下げた。


「惚け癖はなおってないようだなあ、爺……」


「まさか生きておられた上に、このような者たちと行動を共にされておられるとは、陛下が悲しまれますぞ」


「悲しむか……相変わらずの陰湿っぷりだ。もうお前に言うことは何もない、話すだけ無駄だ」


「その様子では、もう戻られるおつもりはないのでしょうな――ホッホッホッ! それで、今回は何用で来られたのですかな?」


「お初にお目にかかる。俺の名はジークだ」


 二人の前に出るとジークは老人と向き合い、丁寧に名乗った。


「……察しはついておる。それでジークとやら、お主らはここへ何をしにきたのじゃ。ここはお主らのような輩とは無縁の国じゃぞ」


「それは質問への答え次第だ。単刀直入に伺う、グレイベルク王国が勇者召喚を行ったという情報がある。あれは大量の命を対価にすることから禁術に指定されている魔法だ。どんな理由があろうと行っていいものではない」


「ふむふむ……なるほど。つまりお主は聞きたいわけじゃな? 実際のところはどうなのか、果たして勇者召喚は行われたのか否か、どちらなのかということを……」


「余計な話をするつもりはない。無駄な言葉で長引かせるのはやめろ」


「ホッホッホッ、そう焦らんでも答えは逃げて行かんわい、若き者よ。お主、少し急ぎ過ぎてはおらぬか?」


 挑発するようなその口調にジークは冷静だった。眉一つ動かない。


「召喚された者に罪はない。だが行使した者は別だ。あの魔法は使えば必ず戦争の引き金になる。勇者召喚により生じた魔力の痕跡はそう簡単に消せるものではない。もしこの情報が真実ならば外に漏れるのは時間の問題だ。戦争が起こるよりも前に俺たちが処理する。事実ならば関わった者は多数。そいつらには死んでもらう」


「ホッホッホッ! はっきりものを言いよるのお」


 変化のない笑みを浮かべ、手本のような愛嬌ある笑い声を発しながら、老人は懐から自身の背丈ほどの茶色い杖を取り出した。


「勇者召喚はあったのか否か、それはお主らで確かめるがよい」


「抵抗する者は皆殺しだ。アルバート・モルロー、お前にはここで死んでもらう」


「ホッホッホッ! 小癪なクソガキじゃわい。端からわしを知っておったのじゃな」


 先ほどまでの笑みが突然に消え、そこには目が据わり殺気を放つ小さな老人の姿があった。

 だがジークは表情を変えず、冷静な面持ちのまま大太刀を抜いた。


「気をつけろジーク! 爺はこう見えても賢者だ!」


「森の魔法使いと称された大魔導師を相手に、加減するつもりなどない。俺がやる。二人は下がっていろ」


「まさか龍の心臓が愚か者の集まりとは思わなんだのお。三人でくれば勝てるやもしれぬぞ?」


「無論、勝つつもりだ」


「ホッホッホッ! やはりまだ若い」


「《残龍の力ドラグ・フォース》――」


 ジークの体から熱気が現れ、点滅する赤い稲妻のようなものが見え始める。


「ここはわしが引き受けた。国へ戻りこの件を姫様に報告するのじゃ」


「でっ、ですが!」


「行くが良い。お主らは邪魔じゃ」


 アルバートは兵に退却を命じると、足元に白い魔法陣を出現させる。

 ただならぬ雰囲気を醸し出す目の前ジークへ、鋭い視線を向けた。


 双方の生み出すエネルギーが衝突し合い、草原に凄まじい突風を生みだした。

 ジークは依然として冷静な表情のまま大太刀を構える。

 アルバートは杖を構え、そして微笑んだ。


「では、このアルバート・モルロー。久々に杖を振るうとするかのお」


 ふざけたようなアルバートの声を皮切りに、一騎打ちによる衝撃波が草原に響いた。







 アルバートは両手足を失い、荒れ果てた地に倒れていた。

 

 開けた大草原から一変し、辺りは大木に囲まれていた。

 隆起した地面からは太い根っこが飛び出しており、もはやそこは草原ではなく森だ。


「ゴホッゴホッ! ホッホッホッ……まさか、このわしが敗れるとはのお……」


 辺りの木々には大量の血が飛び散っている。

 時折、木々の間を抜けて現れる緩やかな風に運ばれ、生臭い鉄の香りが漂ってくる。


「お主、人間ではないのお……もしや龍族か? 若い頃、一度だけ見た覚えがある」


「答える義理はない」


 ジークは鞘に大太刀を納めながら、相変わらずの表情でアルバートを見下ろした。


「ホッホッホッ! 死にゆく爺にも教えてはくれぬか……まったく、余裕がないのお」


 体の損傷は激しく、既に大量の血が流れているというのにアルバートの表情は涼し気だった。


「改めて問う。お前たちグレイベルクは勇者召喚を行ったのか?」


「もう分かっておるじゃろ、火のない所に煙は立たぬ。その若き瞳で確かめて来るがよい」


 エリザはその答えにアルバートから目を背けた。

 呆れているのだ。


「じゃが証拠はない。おそらくお主らでも見つけられぬじゃろう。勇者を呼び出したのは一ヶ月も前の話じゃ。わしらが何もせぬはずがなかろう。もう魔力の痕跡などない」


「それは関係のない話だ」


「……なんじゃと?」


「お前は今、その口で召喚があったことを認めた。俺たちにはそれだけで十分だ」


「それは正義と呼ぶに相応しい行いかのお。いや断じて違う。若い、若いのお。お主は若すぎるのじゃ。故に急ぎ過ぎておる。故に余裕がない。正義を為しておるつもりじゃろうが、お主らのそれは虐殺じゃ。大義も何もない、ただ殺人なのじゃよ」


「正義だと?」


「ジーク、増援が来る前に行きましょう」


 エリザは辺りへ警戒を強めていた。


「俺たちは正義など為してはいない。これは善悪の問題ではない。あるのは俺たちが信じられるかどうか、それだけだ」


 三人は直に息絶えるであろうアルバートの横を通り過ぎる。


「アルフォード様、これがあなたの願いですか? このわしの姿を見ても何も感じぬのですか? あのお優しかったアルフォード様は、一体どこへいかれてしまわれたのですか? あなたは……」


「爺、情に訴えかけても無駄だ。俺はお前らに何の感情も抱いていない。別にもうヨハネスやアリエスのことも恨んでない。今はただ呆れてるよ。お前たちがここまで愚かだとは思ってなかった。魔族との無謀な戦争だけに飽き足らず、まさか勇者召喚にまで手を出すとは……この国は終わりだ」


「国が人知れず亡ぶことなどありませぬ。終わりだと申されるなら、それはアルフォード様が滅ぼす以外にはないでしょう。それにグレイベルクを愚かとするなら、人間そのものが愚かでなくては筋が通りませぬぞ。何故ならこれは生きるための選択に過ぎぬからです。ホッホッ、アルフォード様もお若いですなあ」


「そう思って死ねるあんたは幸せなのかもな。あんたは年を取り過ぎた。そうやっていつまでも、その誤魔化し笑いで自分を欺いてろ。話は終わりだ。さっさとくたばれ……」


「ホッホッホッ! 死にゆく老いぼれに“くたばれ”とは……もはや王子の面影はありませぬなぁ」


 陽気な笑い声にアルフォードはもちろん、彼らが振り返ることはもうなかった。


 体が動かせず仰向けのまま、徐々に霞む空を見つめるアルバート。

 彼は瞼が落ちるその最後まで、微笑んでいた。

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