14 仮説 - False - c

 翌日再び、双海ふたみ総合医療センターにやって来た。


 快晴ではないものの、よく晴れた日だった。いわゆる五月晴ごがつばれというやつだ。「叢雲むらくもの 神代かみよきざはし さつき晴れ」とめるのは、旧暦ゆえに六月だ。雨上がりの雲間から薄明光線はくめいこうせんが放射状に降り注ぐさまは、五月の空というには似つかわしくないことだろう。


 分院は別の場所だということで、梯亜てぃあたちは病院の敷地にめられた黒いワンボックス車に乗り込んだ。乗員は、軽賀かるが星葉ほしば蔵本くらもと、梯亜だ。昨日さくじつ特に発言することもなく存在感すらあやしかった峠町とうげまちは、今日は来ていない。


 導入する予定のEtemeniaエテメニアを持ってきている。装置を梱包こんぽうした箱は蔵本が持っているが、片手で持てるほどに小さい。箱のサイズを確認すると、軽賀は怪訝けげんな表情をみせた。そんなオモチャみたいな大きさの機械で、病院の内外を分かつ役目を担うのは至難ではないかと。


 車は病院前の国道をひたすら進んだ。


 いくつめか分からない信号を前にして左折すると、〈双海脳神経外科病院ふたみのうしんけいげかびょういん〉と入口に刻まれた施設に到着した。


 病院自体の外観は木造で窓が多く、老人ホームのような温かな雰囲気を醸している。近くに小学校があるのか、児童らの歌声が聞こえてくる。


 車から降りると、施設の管理者らしき男が待機していて、案内を受けて建物の中へと入った。新設されたばかりの真新しい病院のため、入口の自動ドアは開閉しない状態だった。


 そのちょうど横に病院関係者専用の通用口がある。壁に在る、生体情報の読み取り装置に管理者の男が目を近づけると、ガチャッという音が鳴った。管理者の男は金属製の重厚な扉を引いて、「中へどうぞ」と入館を促す。


 内部は薄暗い。


 廊下や階段の各所に手すりが備え付けられていて、左のほうにはエレベーターもある。右のほうは待合室になっていて、ゆったりとしたアイスグリーンのソファーが在る。さらにその向こうには観葉植物の白い鉢が置かれていて、幹がぐるぐるとじれ上がったパキラが植わっている。


 均一にワックスのかけられた木の床が、それらを鏡のように映し出していた。


 受付はカーテンに閉ざされ、おりのように隙間すきまのある防犯シャッターが降りている。


 屋内消火栓がぼうっと赤い光を廊下に放つ。


 まだ、開院前であるためか、病院独特の薬品のにおいはしない。代わりに、建築資材の塗料や接着剤などのにおいが漂っている。この規模の建物は、人体に影響を与える有機化合物の使用が徹底されているので、シックハウス症候群しょうこうぐんかかることはないはずだ。が、少し不安になるにおいである。


「こちらです」


 階段のほうから呼ばれて一同はぞろぞろとのぼっていった。


「まだ、開業しておりませんので、お昼になっても食堂などは開きません。あ、自販機じはんきとトイレは使えますのでご安心ください」


 管理者の男が施設の現況を説明する。


 二階の踊り場に出た。左のほうを見ると、フェンス状の木製の手すりから一階を見下ろせるようになっている。玄関から上は吹き抜けになっているためだ。


 右に折れて、窓から差し込む日の光を頼りに廊下を進むと、右手にクリーム色の鉄の扉がでてきた。部屋の名前などは一切書かれていない。


 管理者の男は胸ポケットからスマホを取り出して、あるアプリを起動する。そこにを入力した。


 アプリで物理ロックを解除するという方式はこの時代では一般的だ。入口の壁にパスワード入力用のパネルを設置しておくとパスワードを特定される危険性があるからだ。


 複数の人間が同じ番号を何度も押すと、その部分のボタンだけが劣化する。粉末を全てのボタンに付着させておき、誰かが入室したら押したボタンを見分するといった手法も懸念される。


 また、物理的なボタンでは、スペースや保守性の関係上どうしてもたくさん並べることができない。


 アプリならそういった心配がない。画面上でボタンの配置をランダムに変えることが可能だし、番号だけではなく英字や記号などをパスワードに含めることができる。


 カードキーでは紛失の危険性がある。


 パスワード認証に加えて、入館したときと同様に、壁の生体情報読み取り装置に目を近づける。音が鳴って扉が開いた。ここは、パスワードと生体認証の二重ロックになっているようだ。


 一行はサーバルームに入室した。


 ひんやりとした空気が肌をなでる。サーバルームでは機器の熱暴走を防ぐために、空調によって気温が二十度前後に保たれている。


 機器にもるが、実際には摂氏せっし四、五十度ていどまでは動作保証されている。


 また、機器にはファンが搭載とうさいされているので、自律的な排熱もおこなわれる。


 ただし、サーバルームのように熱源が集まる場所で空調をしないと、温度は急上昇してすぐに保証値を突破してしまう。よって、空調を常時運転させて、夏は涼しく冬は温かい環境を保っているのだ。


 ちょうど入口のそばに白い折りたたみ式の机があったので、蔵本はそこに箱を置いた。


 奥の棚にあったカッターで、梱包しているOPPテープを切る。箱を開くと、四隅を発泡スチロールに固められ、ポリ袋に包まれた装置が見えた。それらを取り除くと、ザラザラとした手触りで光沢のない黒い筐体きょうたいが現れた。


 金色の細い縁が目立つ。筐体のフロント部分には、〈Etemenia〉という文字が浮き出している。全体的には、蒸気機関車を彷彿ほうふつとさせるデザインだ。正確には、吉田よしだパソコン教室のを意識しているだけなのだが。このデザインには、軽賀も満足そうな顔をしていた。


 ――が、問題はこれからだ。勝負するべき点は、見てくれじゃあない、中身だ。


 だが、さっそくその問題が発生する。


「あのお、もう一台のUTMはどうされたんですか?」


「ありませんよ」


 梯亜がさらりと答える。


「――は? お忘れになったのであれば、今日は機器の設置は取りやめですね」


「ふふ、を気にされているのですよね? それなら大丈夫です。Etemeniaはそう簡単には壊れませんので」


 梯亜が微笑ほほえんで告げた。


「そういう問題じゃないでしょう!!」


 軽賀が強く叱責しっせきする。


 怒られた梯亜は黙って涙目になった。


 大きな組織が利用する情報処理装置というものは、構成を冗長にするのが一般的だ。単一構成が許容されるのは、社員が数人のオフィスやSOHOソーホーなどの個人事業主ぐらいだ。


 冗長化するものとして卑近ひきんな例を挙げると、例えばディスクだ。二つのディスクを用意して、それぞれ同時にデータを書き込む。すると、片方が壊れたとしても、もう一方が生きているため、データは消えずに残る。


 この、片方が使えなくなってももう一方が仕事を肩代わりして、処理の継続を可能とするという点が冗長化の重要な部分だ。


 EtemeniaのようなUTMは、内部のネットワークと外部のネットワークのちょうど中間地点に位置するため、ここが潰れてしまうと、内から外へも外から内へも通信ができなくなってしまう。ゆえに、通常は装置を二台導入して、片方が動かなくなったときにもう一方が動いて助ける仕組みを構成する。


 そうそう壊れるものではないような気がするが、何年も使用していると機械というものは意外と駄目になってしまうのである。


 軽賀は、梯亜がそういった認識がないとみて驚いたのだ。


「電解コンデンサが破損したりヒューズがとんだらどうするんですか? 即装置停止でしょう」


 軽賀はどこかで聞きかじったような知識で、あたかも専門家のように疑問を並べる。


「それでどうして大丈夫だと言い切れるのです? 大量生産だと初期不良だって結構あるでしょう?」


 泣きやみつつあった梯亜が答える。


「……いえ、Etemeniaは手づくりですので」


「手づくり!?」


 頓狂とんきょうな声を上げた。ひどくあきれた表情だった。


「まあまあ、軽賀さん、Etemeniaにはもともと冗長化する機能がないみたいなんです。冗長化される場合は負荷分散装置ロードバランサを別途導入いたしますので。もちろん費用は全額弊社へいしゃ負担とさせて頂きますので、なにとぞひらにご容赦ようしゃください」


 星葉がとりなした。


 負荷分散装置は文字通り、ネットワーク帯域の負荷を分散する装置だ。その機能のうちに、分散先の装置と通信が行えなくなった場合は、その装置に向けて通信を流さないというものがある。もしも冗長化したい場合は、これを利用してはどうかと星葉は提案している。


「そこまでおっしゃるなら……うーん。今回の件で記者会見も控えていますし、この装置がダメなら他を考えなくてはなりません。今日のところはこの一台を設置してみて、後日必ず冗長化します」


「ただし、何か問題が発生したらすぐに取り外しますからね」と付け加えた。


 サーバルームには、梯亜たちよりも背の高い、深い緑色のラックが整然と並んでいる。入口から奥に向けて二列になっている。


 蔵本は、軽賀に指定されたラックにEtemeniaを置いた。目線の位置ぐらいにちょうど黒い鉄板が固定されていたのでその上に配置した。今回は様子見ということで、ネジでラックに固定することはしない。急な話であったため、作業を担当するCEを手配できなかったということもある。


 軽賀と梯亜の指示を受けて、下段に設置マウントされているルータにLANケーブルを差し込んだ。


 ルータは経路案内を行う。ケーブルという狭い筒の中を進む電気信号たちは、分岐点に差しかかると、どの道を選択したら良いのかわからなくなってしまうことがある。それを「こちらに進め、そちらに進め、あちらに進め」とリードするのである。


 ルータの先はONUオーエヌユー――光回線終端装置ひかりかいせんしゅうたんそうちという、電気信号と光信号を変換する装置につながっている。


 一般家庭でも、インターネットサービスプロバイダから提供されるので割と知られている。ただし、ONU機能とルータ機能とハブ機能が一緒くたにされているので、ONUと呼ばれたりルータと呼ばれたりしているが。


 さらに蔵本は、ラックの中間よりやや下に在る、差し込み口――ネットワークインターフェースがたくさん並ぶ機械に、ケーブルを差し込んだ。サーバやストレージ、ネットワーク機器といった多数の情報機器がこれに接続されている。


 双海脳神経外科病院のシステムの基幹を担うネットワークスイッチだ。


 見た目は家庭で使われるハブのかなりデカいバージョンだ。だが、装置で実現できることは、もっと大きい。そもそもOSが入っているので、CPUとメモリとSSDエスエスディーを搭載したコンピュータと仕組みだけならほとんど変わらない。


 準備が整ったところで、梯亜がEtemeniaの電源をオンにした。ファンの音は鳴らない。もともと吸気や排気をする部分がない。小型の機器ではファンを搭載していない物もあるが、UTMでそれがない製品はあまりない。


「終わりましたので、帰りましょう」


「あの、端末をつないで設定とかはしないんですか?」


 こういった高機能な情報処理装置は、ケーブルを差して電源を入れて「はい、終わり」ということはない。必ず管理用のポートがあって、そこにLANケーブルを差してパソコンとつなぐ。


 つないだら、パソコンに適切なIPアドレスをセットして、Webブラウザを起動する。それからアドレスバーに「http://198.51.100.1/」などの特定のURL――IPバージョン六の時代としては「http://[2001:db8::1]/」といった形式が適切だが――を入力すると、装置の管理ページが現れる仕組みだ。初回であればログインページに飛ばされるので、そこにユーザ名とパスワードを入力して設定のページに遷移せんいする。


 設定のページでは、セキュリティ製品としての調律チューニングをしたり、対向機器の情報を与えたりする必要がある。


 また、以前はコンソールポートというものが存在していた。コンソールケーブルとかロールオーバーケーブルと呼ばれる特殊なケーブルを使ってパソコンと接続する。こちらはWebブラウザを使用せず、ターミナルソフトという、文字情報しか表示・入力できないツールに、コマンドを打ち込んでやりとりする。この時代では減りつつある文化だが。


「えっと、こちらも事前に情報を出せなくて申し訳なかったのですが、てっきりここで設定するものだと思っていたんですが……」


「あ、Etemeniaには管理用のポートもコンソールポートもありませんので」


 梯亜が発言をする。


「は? それでどうやって設定するんですか? まさか普通のポートでも使うんですか? そんなバカなことはないと思いますが」


 管理用のポートが存在せず、通常の通信に使うポートがその代替となることは、情報セキュリティ上ない。


 システム稼働後であれば、通常のポートであっても、利便性を考慮して特定の接続元から管理ページへのアクセスを許可する場合もある。が、製品の仕様として初期段階で、通常のポートが管理用のポートになっていることはまずない。


 製品が誤作動を起こしてリセットされてしまった場合、ネットワークにつながる誰もが設定を変更できるようになってしまうというおそれがあるからだ。


 よって、軽賀はバカなことだと言ったのだ。


「いえ、そもそも設定ができません」


「……」



「よし! 院長に報告だ! こんな製品は廃棄してやる」


 軽賀は暴挙に出んとする。


「か、軽賀さん、お待ちください。これはユーザにやさしいインターフェース設計を追求した結果でして――」


 星葉もしばらく唖然あぜんとしていたが、何か言わないといけないと、即座に思いついたことを並べ始めた。


「そう言われましてもねぇ、私どももこんな何もできない――」


 すると、軽賀の話を遮るかのように、Etemeniaから「ビー」というビープ音が鳴り響き、合成音声が流れ出す。


《来たる、二〇三七年五月十六日午前十時、株式会社IVDIイヴディーより当環境に対する侵入試験ペネトレーションテストが予定されています。関係する全てのアクセス元からの通信を一時的に遮断しますか?》


「えっ、これは……なんですか?」


 軽賀が突然しゃべり始めた機械に疑念をもった。


「ペネトレーションテストの日がEtemeniaにしまったようです」


 梯亜が説明して補足する。


「えっ、いや、そんなはずはない。ペネトレーションテストの日は我々も知らないんですよ? だって、そんな……違う、そんなことはありえない」


 顔があおくなる。


わかった。さてはあんたら、IVDIと裏取り引きしてテストを妨害しようとしてるんだろ。だからこんな音声を流すことができた、違うか? 両社結託けったくしてうちの病院をだまそうなんていい度胸だな。これはいよいよ法的に対処する必要が出てきたってことか」


「軽賀さん落ち着いてください、昨日の今日でどうしてそんなことができるんですか?」


 星葉が一日、二日では結託することなんてできないと弁解する。


「もっと前から手を組んでたんじゃないのか? 大した連中だよ」


 怒りのせいか軽賀の口調が荒い。


日鳴ひなるさん、こんな立て続けに不祥事ふしょうじ起こして、もうあんたらおしまいだよ」


 星葉は何も言えず黙ってしまった。ここで何を言ったところで、軽賀には言い訳にしか聞こえないだろうと考えたからだ。


 代わりに梯亜が状況を打開する案を出す。


「分かりました。あくまでもお疑いになるなら、テストをおこなう企業を変えて頂くか、軽賀さん自身で検査されるのがいいかもしれません。なんでしたら、LANケーブルを抜いたり、Etemenia自体を破壊したりしてもかまいません」


 ……!?


 度肝どぎもを抜かれるような発言だった。


 ……破壊ってなんだ? 破壊して脆弱ぜいじゃくな製品と交換するということか? 壊すこと自体は簡単だ。私はいつでもサーバルームに入れるし、製品だって曲げたり潰したりしなくても、泥水や海水にひたせばショートして使い物にならなくなる。


「ああ、そこまで言うなら分かった。今からテスト会社を変えるのは難しい。こちらで少し検査してみますよ」


 軽賀は渋々うなずく。


「最後にくが、UTMの設定は本当にしなくていいんだな?」


 Etemeniaを置いたラックの、網目状になった扉を閉めながら問う。


「はい、問題ありません」


「なら、部屋からさっさと出てもらおう。余計な細工をされると困るのでな」


 軽賀は、梯亜たちをサーバルームから追い立てるように出した。


 建屋から外に出ると、雨が降りしきっていた。玄関のガラスを雨がたたいている。まだ六月ではないので五月雨さみだれではない――そもそも降り方が違う――が、けっこうな土砂降どしゃぶりだった。予報では一日中晴れだということだったが、この時代になっても確度百パーセントの天気を伝えるのは難しいようだ。


 横柄な態度だった軽賀もさすがに雨の中を歩いて帰れといった非情なことは言わなかった。最寄りの駅まで車を手配すると言って、傘を探しに行った。


「行きに降らなくて本当に良かったですねぇー、雨にれてEtemeniaが故障したら大変でした」


 蔵本がホッとした様子でつぶやいた。


「濡れても故障しませんよ?」


 梯亜が「何を言っているのでしょうか?」という疑問の表情で蔵本を見つめた。


「え? 平気なんですか?」


 今まで数々の驚きがあったが、防滴・防水仕様まで備わっているのかと思わず訊き返した。


「はい、耐水、耐火、耐圧、耐熱仕様です。一千気圧の水圧に耐えられますので、深海でも正常に通信できます。また、たとえこの病院が空爆を受けたとしてもEtemeniaは生き残ります」


 質問した自分がバカだったと蔵本は後悔した。この少女の主張がそろそろ嘘に聞こえてくる。軽賀じゃないが、本当にあの装置は大丈夫なんだろうかと心配になってくるのだった。



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