10 入門 - Register - d

れんくん、分かって頂けると良いのですが――」


「ほほほ、三村みむらさんがこの教室に見学に訪れたときのことを思い出しますね。『こんなわけわからんもんできるかぁー!』って大騒ぎして」


 園屋そのやが楽しそうに笑う。


「園屋さん、やめてくださいな。でも、あのときは本当に講座についていけないと思いましたよ」


「ただ、あれは細馬ほそまさんがいけませんでした。あんな挑発めいたことを言って。彼はあのときすでにこの教室に一年身を置いていましたからね」


 吉田よしだパソコン教室に一年いれば専門家に成れる。教室に通う生徒たち共通のだった。


 梯亜てぃあが苦々しく笑う。


「しかし、霜山しもやま君でしたか? 彼はまだ若いし、きっとすぐに理解してくれますよ」


「だと良いのですが……」


「てぃッあちゃーん! いるぅー?」


 渋い緑茶が似合いそうな年寄りのつどい――梯亜はティーンエイジャーだが――に、卒然と場違いな声が響いた。


 パッと入口に目鼻立ちのくっきりとした女子高生が立っていた。


 キャラメル色のゆるふわな髪をノットヘアーでまとめて片側に寄せている。根元で編み込んだポニテールを片方に流している感じだ。そこに淡いブルーのリボンをくるりと巻いている。


 マスカラ、チーク、リップグロス、口紅は比較的ナチュラルだ。が、ピンク色のリボンをだらしなく下げた、ネイビー色のブラウスの胸元は大胆に開かれており、金と銀、二枚のハートが重なったネックレスが目立っている。ふたつのハートには、数カラット程度だがダイアモンドが端の異なる位置に埋め込まれており、少々お高い物であることがうかがえる。


 下はベージュを基調として白と黒と赤のラインが入ったチェックのプリーツスカート、腰には白色のカーディガンを巻いている。


 式典の時は制服でも、普段は自由服じゆうふくを許す学校が多くなってきたので、ファッショナブルな、いわゆるなんちゃって制服がはやっている。


 梯亜はゴシックアンドロリータ的なファッションだが、ただ厨二病ちゅうにびょうなだけで、心は清楚せいそ路線を貫いている。当然この女子高生とはちょっと話がみ合わない。


 サッと梯亜がデスクの下に潜り込む。


「ちょ、てぃあちゃん、なんで隠れるかなー。せっかくおみやげあるのに、えれなちゃん悲しみだよぉ」


 絵礼奈えれなは、黒いスクールバッグと共に茶色い紙袋を持っていた。


 梯亜が顔を半分だけデスクすれすれから出す。お菓子を突き付けられて黙っていられる梯亜ではなかった。ただし、ジト目だ。


 最近自分のことを下の名前で呼んでくれる人がいないと蓮には言ったものの、この少女が呼んでいたなと思い出した。ま、彼女はのカウントに含めなくていいだろう。


 園屋、三村、里瓦さとがわらはやれやれといった様子だった。


 紙袋の中身はきっと高級なチョコレートかクッキーだろう。


 この、星葉絵礼奈ほしばえれなという女子高生は、何を隠そう社長令嬢なのである。見た目はギャルっぽく頭も悪そうだが、蓮や梯亜と違ってお金には困っていない。必然的に、このむすめの差し入れは、高い物ばかりになる。


 彼女は、娘の成績を憂慮した父親に連れられてこのパソコン教室にやって来た。


 しかし、梯亜は当初、彼女の入会を拒んだ。確実にそりが合わないと思えたからだ。


 梯亜は、塾に通わせるか家庭教師でも雇えば良いのでは?――と考えたが、今まで全部駄目だったと聞かされた。ここが一縷いちるの望みだと懇願された。それでも梯亜は渋った。


 けれども、実業家の父親から三億円の融資をもちかけられて呆気あっけなく陥落した。


 もちろん、ここはパソコン教室なので、「高等学校学習範囲修得講座」や「大学受験範囲習熟講座」などという講座はなかったので作成するハメになったが。


 梯亜は彼女が教室に来るたびに不満が鬱積うっせきしていったが、絵礼奈の成績は常軌を逸する勢いで上がっていった。


 入会して一年がち、彼女は高校三年生になった。


 春休み中に某塾で受けた模擬試験では、五教科総合得点で全国クラスの成績をたたきだし、もはやどんな大学でも選びたい放題となった。もう頭が悪いなどとはいえなくなってしまった。


 だが、梯亜はその成績上昇を好ましく思ってはいなかった。


 あまりの上昇率に教師らは吃驚きっきょうし、クラスメイトらは寄ってたかって秘密の学習法について問い詰めたそうだ。


 そして最終的に、絵礼奈が学校で取材を受けたと聞いたからだ。パソコン教室にまで取材班が押し寄せてくるのは梯亜としては正直勘弁だった。


 けっきょく、絵礼奈が吉田パソコン教室のことをしゃべってしまったので、梯亜は若干非合法な手段で取材元出版社からデータを消去せざるを得なくなったのだ。絵礼奈にも転校してもらった。


 以来、梯亜は絵礼奈のことをあまり好きになれないでいた。


 あと、どことなく自分を子ども扱いしているように感じられてならないからだ。


 が、差し入れは違う。ありがたく頂戴ちょうだいする。


「お茶をれますね」と園屋が言って席を立った。「あ、わたしがやりますよ」と絵礼奈が言う。年長者に雑用はさせられないとでも考えているのか、こういったところは変に律儀なため、好きになれないとはいえ憎むことはできなかった。


 しばらくすると、五人分のお茶をお盆に乗せて運んできた。


 ひとり一人に配る。


 茶葉は玉露ぎょくろだ。青海苔あおのりのような香ばしいかおりに、甘みと深いコクを楽しめる一級品だ。とうぜん絵礼奈が持ってきたものだ。


 お茶を配り終えると、いよいよ肝心かんじんのお茶菓子を運んでくる。


 お土産は羊羹ようかんだった。梯亜の予想は外れたがこれはこれでお茶と合うだろう。だが、さらに予想外だった。なんと羊羹の上に生クリームがホイップされている。


 お菓子好きな梯亜でもこれは許容しかねた。


「こんど、パリの洋菓子コンテストに出そうと思って☆」


 彼女は将来、女性洋菓子職人パティシエールを目指しているのだとか。洋菓子コンテストの出品は父親のコネだろうが。


 ……これで良いのでしょうか? 審査員に笑われないですかね。


 ――と思いつつ、一口食べて衝撃を受けた。見た目に反して以外にイケたからだ。つぶあんとクリームが混ざり合って調和し、とろっとした舌触りを形成している。羊羹が甘いので、クリームの砂糖はかなり控えめにしてある。


 たしかに、つぶあんとクリームという組み合わせならパフェやあんみつにありそうですものね。


 梯亜はしっかりと二個目をいただいた。


「星葉さんは高校と受験の講座は……もう終わってしまいましたから、今日から別の講座を受講してみたいということでしょうか?」


 梯亜が問うた。


「ううん、今日は違うの、ちょっと相談があってきたんだ」


「相談?――ですか」


 兄弟や姉妹も入会させてほしいとでも言い出すのではないかと構えた。


「うん、パパの会社の子会社?――でジョーホーローエー? ――があってヤバいんだって。てぃあちゃんだったらどうする?」


 情報漏洩はそんなに長音記号ばかり言葉ではなかったとはずだが。あと、具体的に何が起こったのかまるで分からなかった。


「もう少し詳しくお聴かせ頂かないとなんとも」


 絵礼奈は少し考える素振りをして言った。


「うーん、てぃあちゃんでもわからないかぁ……」


 心底悲しそうな顔をした。


 これには、さしもの梯亜も怒りの漫符まんぷを頭にった。


「そこまでおっしゃるならいいでしょう。少々手荒ですが、私のほうで全て解決させてみせます。誤って会社を倒産させてしまうかもしれませんがあらかじめご了承くださいね」


 梯亜の発言を聞いた絵礼奈は慌てる。


「まって、まって、てぃあちゃんゴメンて、わたしの言葉がたりなかったよぉ」


 梯亜の前で拝んで必死にゆるしをう。


「星葉さんのお父様の会社ということは日鳴製薬ひなるせいやくですか。まず、その子会社の名前と状況の詳細をお聞かせ願いますか?」


 絵礼奈はかばんから虹色のカラフルなスケジュール帳を取り出して、パラパラとページをめくった。


「ええっとぉ――」


 記載されている情報を読み上げようとする。


「――その前にひとつお訊きしたいのですが、お父様はこの件を私に話しても構わないと?」


「うん。パパがてぃあちゃんに相談してみてって」


 梯亜は周囲を見て提案する。


「ちょっと場所を替えましょう」


 それから生徒たちに断りを入れる。


「皆さん、私は少し席を外します。今お聞きになった件は全て忘れてください」


 そう告げると、梯亜のデスクのさらに奥にある扉を開いて、絵礼奈とともにその中へと消えていった。



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