39 キツネの宿と眠るスズ

 さて、どうしたものか。

 今はとにかくスズを起こすことを考えねばならない。



「スズー起きろースズー」



 頬を突っついたり肩を叩いてみたりしたが起きるはずはなく、お湯の上に浮かんだまま眠り続けるスズ。本当に生きているのかと心配になったが脈も呼吸もちゃんとある。ちょっと失礼してまぶたを持ち上げてみたが瞳孔もしっかりと反応していた。


 まるでフレンズがセルリアンに襲われた時と同じじゃないか。一番最近ではタカだろうか……いや、あいつもなんだかよくわからない物質を使われていた。それにあいつは輝きを奪われていたが無気力になっていただけだ。


 今のスズは他のなにかに影響されたわけでもなく、ましてやセルリアンに襲われたわけでもない。


 イヌガミギョウブの言うことをそのまま信じれば、スズは何かに絶望し自らの輝きを意識を保てなくなるまで手放したことになる。



「一体どうすりゃ目をさますんだ? なあ、教えてくれよ…」



 そこで俺の頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。それは本当にシンプルで、アニメや絵本の中でよく見る王道の方法。


 そう……それはキs……


 いや、いくらなんでもまずい気がする。守護けものがどこからか見ていたらきっと後で天罰を食らう気がする。というかした瞬間食らう。

 この間口移ししたのはあくまで不可抗力だった。



 それにもしかしたらスズが意識のないのを良いことに、俺の心の何処かの悪い部分が暴走しているのかもしれない。偶然浮かんだアイデアだと言い訳をしているのかもしれない。


 でも可能性が0%でないならやってみる価値はある。



「ごめんよ? 悪く思うなよ……」



 俺はスズを温泉から引き上げた。水を含んでいたが鳥のフレンズなので見た目ほどの重さはなく、すぐに俺の胸元まで抱き上げることが出来た。首がだらりと垂れ下がっていたので腕で支えてやると、至近距離で見つめ合う形になった。


 温泉に入ってほのかに朱に染まった頬…


 濡れてまとまった髪…


 首元にのぞく真っ白な肌…


 よく見れば、いやよく見なくてもなかなか良いじゃないか。今までラッキースケベとやらを何回か経験しているがその時に似た…いやもっともっと熱い何かが、俺の心を支配した。今の俺にはそれがどんな物かは分からなかった、いや理性のようなものが理解を妨げていたのだが一つだけは確実に分かる。


 それは飼育員が抱いてはいけない感情だということ……


 ああ、なんだかんだでこうなったのは2回目ぐらいだろうか。仕事に支障が出るのでさっさと捨ててしまいたいのだが、この感情は抑えが効かない。

 タカやキツネの一糸まとわぬ姿を見たりしても二、三回深呼吸すれば簡単に落ち着いてしまったのにこれだけは本当に我慢ができない。


 

「…やっぱりスズは女の子だな」



 …ハッ!? なにかとんでもなくキモいことを口にした気がする。

 とにかく変な情が沸く前に済ませなければ。


 

「さあ、行くぞ。せ~の、……せ、せ~のっ」



 ……やっぱり後でにしよう。


 ________________



 あれから何時間か経ったがスズが起きることはなかった。結局諦めて引っ張り出した布団に寝かせ、俺はただそれを見守っているだけだった。


 誰かが部屋のドアを叩いた。誰も呼んでいないはずだが。

 そしてガチャリ、とドアが開く。真っ白な頭の羽に白髪のセミロング。一見スズに見えるが顔つきが明らかに違う。



「どうした、キタキツネ」

「こゃ! なんでボクだって分かったの? キュウビに教わって変身の練習頑張ったのに、うう」

「顔がそのまんまだよ。尻尾はごまかそうとすらしてないし」



 スズに化けていたキタキツネは、一瞬煙に包まれるといつもの姿に戻った。

 特に何かを持ってきたというわけでもなさそうだし、何をしに来たのだろうか。



「せっかく来たのにおふろ入らないの? ボクげぇむもしたいな。

 あとご飯食べなくていいの?」

「いや、俺達は守護けものに相談しに来ただけなんだ。別に遊びに来たわけじゃない。それにスズもこんなになっちゃったからな」



 スズに目を移すと、布団にくるまって気持ちよさそうに…う、見てはいけない。

 キタキツネも心配そうにスズのそばにしゃがみ込み、手を握った。


 ん、待てよ。ご飯……ご飯! この温泉宿は安い割に謎に豪華な食事を用意してくる。つまり俺の分も用意されているということ。流石にそれはまずい。



「やっぱり飯だけは食ってくるよ」



 キタキツネはそれを聞くと嬉しそうに部屋を立ち去っていった。俺も立ち上がるとスズのために書き置きを残し、部屋を後にした。



 _____________________



「ヒデ、待ってたわよ。さあさあ早く」



 食堂に着くなりギンギツネが迎えてくれた。食堂には親子連れやカップルなどの来園客でとても賑わっている。

 ギンギツネに案内されて席につくと向かいに座っている子供と目が合った。小学生くらいの男の子だろうか、動物の学名とジャパリパークのシンボルがいい感じのフォントで印刷してあるシャツを着ている。



「こ~んなでっかい鳥がキツネの親子を……」

「あの吹雪の中そんなのが見えるわけ無いだろう?」

「本当だって!」



 子供がかなり興奮した様子で喋り続けており、その横の両親がたまに相槌を打ちながらそれを聞いていた。おそらくさっきの吹雪に頭をやられてしまったのだろう。その証拠に両親の表情は完全に死んでいる。



「ヒデ、ヒデ?」

「ん、ギンギツネか。どうした」



 ギンギツネに話しかけられ、向かいの親子の会話に集中していた意識が現実に引き戻された。



「私達は温泉宿に来たお客さんをもっともっと喜ばせたくて、いろんな事を試しているの。そういうわけで新メニューを開発したのだけれど、試しに食べてもらってもいいかしら」



 どうやらお代は変わらずに少し豪華な新メニューを試させてくれるらしい。できるだけ早く帰ってスズを見守りたい旨を伝えると『じゃあ巻きで作るわ』とだけ言い残し厨房の奥に消えていった。

 いや、まだ俺何も言ってないんですけど。


 しばらく親子の会話を聞いたりしながら待っていると、ギンギツネが自信満々な表情で土鍋を運んできた。



「これがゆきやま温泉宿の新メニューよ。火が着いてしばらくしたら開けてみて」



 ギンギツネがよく宿とかで出てくるあのをセットすると、ライターで火を付けた。しかしこのライター、持ち手から火の出る部分までが異常に長いのがあまりにも気になる。



「ヒッ・・・」

「怖いなら俺がやろうか?」

「いや、私は女将としてこれをやらなきゃいけないの。いつまでもお客さんに頼ってはいられないわ!」

「そ、そうか」



 苦戦の末(?)青いやつに火を付けしばらくすると鍋からグツグツと沸騰する音が聞こえてきた。



「さあ、開けてみて」

「もういいのか? じゃあいくぞ」



 鍋のフタを開けると、蒸気に包まれた何かがついに姿を表した。

 なんか…すごく奇怪な見た目のものばかりだ。モニュモニュとした何かと、プルプルとした何かと、デロデロした何かが入っている。



「真ん中のは…牡蠣か? 食ったことはないが見たことならあるぞ」

「正解よ! 他のはなにか分かるかしら?」

「脳みそ……?」

「えっ」



 ギンギツネが硬直して動かなくなった。俺は結構真面目に答えたつもりなのだが、ダメだったようだ。残念ながらこれまでずっと苦学生だった俺は食品に対する知識はほぼ0に等しかったのでまあそこは許してちょんまげ。



「白いのは白子よ。黄色いのはあん肝」

「白子ってなんだ?」

「タラの精巣よ。試しに食べたらとっても美味しくて驚いちゃったわ」



 せ、精巣だと!? お魚さんのキ◯タマを食べるだと!?

 しかも美味しい!? ◯ンタマって美味しいのか!? いや、むしろギンギツネだけがそういう性癖なのかもしれない。こいつ純粋そうな顔をしてキン◯マ大好きな変態フレンズだったのか、たまげたなぁ。しかも人にまでキンタ◯を勧めるとはなんたる卑猥の極み。ああ、こんなやばいヤツと一緒に暮らしていたらキタキツネまでキンタマニアになってしまう。それは絶対に嫌だ。誰か助けて。お願い。



「どうしたのかしら? 考え込んじゃって」

「いや、なんでもないぞ。俺は道を踏み外す事にする」

「へ? 道?」



 Let's be キンタマニア。男の誇りを捨てていけ。

 俺は白子をすくい取ると、一口で頬張った。


 うめぇ。なんか罪悪感と贅沢の具現化みたいな濃厚な味がする。ていうかうめぇ。



「なんだこれやばいな」

「お、美味しいかしら?」

「・・・」



 あまりの美味しさにギンギツネの言葉など耳に入らなかった。そのまま牡蠣もあん肝も飲むように平らげ、あっという間に土鍋が空になってしまった。



「最高だったよギンギツネ。今すぐこの宿のメニューに取り入れていいと思うぞ。

 牡蠣の加熱だけ気をつければきっと人気になる。ああ、そういやこれどんな名前にするんだ?」

「まあ! そんなに! ちなみに名前だけど、にしようと思っているの。どうかしら?」

「痛風はいらないと思います…」

「あらそう? じゃあジャパリ鍋で行くわ。協力してくれてありがとう、ヒデ」



 ギンギツネは上機嫌で歩いていった。


 向かいの家族はいつの間にか居なくなっており、特にこれ以上ここにいる理由もないので部屋に向かうことにした。


 そんな事を考えながら席を立ったのだが見回してみると誰も居ない。どうやら俺が食べている間に来園客たちは部屋に戻ってしまったようだった。更には厨房のキツネフレンズ達も仕事を終えて出てきている。



「ヒデ、げぇむしよう」

「えぇ? 俺はスズのこと見守ってなきゃ駄目だしなぁ」



 キタキツネが既にビデオゲームのプレイヤーとコントローラーを抱えて待っていた。管理センターに頼み込んで買ってもらったものらしい。



「そうよ。忙しいんだからやめときなさい」

「ギンギツネさっき試作品の鍋食べさせてたのボク見たよ」

「んな!? あれは大切な宿のお仕事なんだから遊びじゃないのよ!」



 キタキツネとギンギツネが火花を散らし始めた。これはまずい。

 まあ最近キタキツネと遊べてないので今日ぐらいは付き合ってやってもいいだろう。


「二人共落ち着け。スズも当分起きなさそうだしゲームくらいなら付き合ってやるよ。ギンギツネもそう言うな。少しくらい好きにさせてやりゃ良いよ」

「ええっ? まあアナタが良いなら別にいいわ。さあ行きましょう」

「やった、いこ、行こう! ヒデの部屋で良いよね!」



 結局三人で俺の部屋に向かいゲームをすることになった。なぜかギンギツネもついてきたが特に気には止めなかった。


 そしてゲームを始めたのだがなにかおかしい。妙に暗い。



「なあキタキツネ。これってさ」

「ホラーげぇむだよ。ヒトの世界だとすごく人気なんだよ」

「ホラー!? や、やめなさいよキタキツネ! 寝れなくなるわよおぉお!」



 そのゲームは主人公がやべー建物に入り込んでやべー陰謀やらなんやらを暴くやべーホラーゲームだった。どこからこんなのを持ってきたのかは知らないが気味が悪い。



「ギンギツネ、アイツをどうにかして」

「無理よ! ヒデ! 助けて!」

「しょうがねえなぁ、おらおらぁ! 3コンボだ倒れろ馬鹿野郎!!」



 キタキツネが敵のトラップにハマり、とばっちりを受けたギンギツネがやばそうなモンスターに追いかけ回されていたのでモンスターを棍棒で叩きのめした。続けて出現する雑魚モンスターも全て殴り倒してやった。



「ヒデ、これは格闘げぇむじゃないよ?」

「知ってるさ。でも怖いなら怖い原因を無くしちまえばいいだろ?」

「ひぃぁぁあああ!!??」



 相変わらずモンスターに追いかけられるギンギツネ、そして俺とキタキツネはひたすらモンスター討伐に勤しみ始めた結果ホラーゲームは格闘ゲームへと早変わりした。


 結局その面を抜けた頃には俺とキタキツネのキャラは敵のドロップ品で恐ろしく強くなっており、ギンギツネのキャラは凄まじい速さでステージを走り回る韋駄天を化していた。時間も1時間ほど経ったので解散することになった。



「ん・・・コン・・・」

「キタキツネが落ちかけてる」

「そうね。今日は楽しかったわ、ヒデ。鍋の試食もしてくれて本当に助かった」

「じゃあ、な」

「おやすみなさいね」



 ギンギツネはキタキツネを背負って部屋を出ていき、賑やかだった部屋は静寂に包まれた。部屋にはスズの寝息だけが聞こえている。



「スズ・・・」



 布団にくるまって眠り続けるスズ。今日はご飯もゲームも楽しんでしまったが、なにか引っかかるものがあって全力で笑うことは一度もできなかった。


 早く目覚めて一秒でも長くそばに居てほしい。なによりもただ笑顔が見たい。



「早く目を開けてくれよ……ん? おいおいおいおいなんだこれはぁぁ!!」



 スズの顔を見ようと立ち上がった時、なにかとんでもない物が目に入ってきた。俺はスズを窓際で寝かせていたのだが、問題はその窓の外だ。


 これは…木の実だろうか。様々な木の実がゴロゴロと転がっていた。そして何より気になるのは……ネズミの死骸だった。そんな物が窓の外にうず高く積まれていた。



「なんじゃこりゃあああああああああああ!!??」

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