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 ――ナイセストには理解できなかった。

 あのマリスタ・アルテアス道化が、何故いっぱしに人を諭すまでに変節へんせつしたのか。



 アルテアス家の一人娘。

 一族のたゆまぬ魔術研鑽けんさん優性保護ゆうせいほご母体育成ぼたいいくせいの積み上げの果てに産み落とされた、人工の・・・天才。

 類稀たぐいまれな才能を余すところなく継承した彼の同類・・・・は、しかしその低俗ていぞく極まる精神性から、幾星霜いくせいそうに及ぶ一族の努力をすべて無駄にしようとしている。



 最悪。

 ティアルバーにとってマリスタ・アルテアスは、最悪の女。



 それが今更、なぜ貴族の猿真似さるまねなどという目障めざわりを犯すに至ったというのか。



 原因ははっきりしていた。



(――――ケイ・アマセか)



 ナイセストの理解が及ばないのは、彼女の変節そのものである。



 会場がどよめいた。



 ざわめきの正体は、眼前。

 ナイセストの目の前に、浅黒い肌を持つ一人の少女が立っていた。

 グリーンローブをまとったその少女は、一目見て緊張していると分かるほどに体を固くし、息の上がった状態。

 それでも、少女はナイセストを強く睨みつけ、スペースへと入っていく。



 少女の棄権きけんで、始まらずして終わると目されていた第三試合。

 その少女がスペース内に入ったことの意味を、理解しない者はなかった。

 会場のきようは、そうした番狂わせによるものであろう。



(ケイミー・セイカード)



 少女の顔を、ナイセストは覚えていた。

 二ヶ月ほど前、ケイ・アマセとビージ・バディルオン、チェニク・セイントーンの小競こぜり合いをきっかけにした貴族と「平民」の騒動そうどうの時、貴族への不平不満を声高に言い立てた少女である。



 またも、ケイ・アマセの名がナイセストの脳裏のうりをかすめた。



「………………」



 ゆっくりと歩みを進め、スペースへと入るナイセスト。

 観衆かんしゅうの興奮が空気を伝う。ケイミーは体を固くしながらも、唇を引き結んでホワイトローブと相対する。

 その腰には、一振りの大きなナイフが下げられていた。



「私もっ、」



 震えを必死でこらえ、ケイミーが口を開く。



「アルテアスさんのようになりたいから」

「………………」



 実力のともなわない、空虚くうきょな言葉。

 ナイセストは一切の反応を示さず、また一切の構えを取らず、意識を思考へと埋没まいぼつさせていた。



「それでは、第三試合――始め!」



(……なんでもない。結果はすでに見えている)



 精一杯の速さでナイフを構えて地を蹴り、たけびと共に突進してくるケイミー。

 ナイセストは十分にそれを見切り、かわし反撃する力を備えている。



(――第二試合先の戦いでも、俺は同じことを思わなかったか?)



 避ける。



「だぁッ!!」



 避ける。



「たあァっ!」



 避ける。



「おおォ――――!!」



 縦横無尽じゅうおうむじんに振るわれるナイフを、ナイセストはただ避け続ける。

 試合時間は一秒、また一秒と過ぎていく。



(どいつもこいつも)



 観衆が言葉を失う。

 一瞬で終わるはずの戦いが終わらず、刻一刻こくいっこくと時を刻んでいく。

 ナイセストはケイミーを、ただ見ていた。



(どいつもこいつも、変わり始めている)



 ――どいつもこいつも?



 他人・・に限った話だろうか、と白の少年は自問する。



 貴族と「平民」の力関係に一石を投じたのは誰か。

 貴族と「平民」の激突を、表面化させたのは誰か。



〝面白いではないか〟



 ディルス・ティアルバーの心をおどらせたのは、誰か。



〝面白いぞ、ナイセスト。お前が馬の骨に・・・・・・・劣っていることが・・・・・・・・



(――――誰だ。俺の行動さえも、変えているのは――――――!)



 ――瘴気しょうきのような圧が、二十四層全てをおおう。



 各所で小さな悲鳴が上がる。

 障壁しょうへききしみを上げ、重力を倍したかのような重い空気が観衆かんしゅうを襲い、数人が意識を失って倒れたのだ。



 口を閉じたまま、大きく呼吸をするナイセスト。



 彼の目の前には、まさにひざから崩れ落ちていくケイミー・セイカードがいた。



 受け身もとらず、顔面から地にるケイミー。

 その顔は毛穴という毛穴から大粒おおつぶの汗を拭き出し、よだれなみだと鼻水と尿にょうと――、ありとあらゆる体液をれ流しながら、焦点しょうてんの合わない眼球で痙攣けいれんを起こしている。



 スペースの障壁が解ける。

 飛び降りてきたペトラがすぐさまケイミーを抱きかかえ、救護きゅうごスペースへと駆けていった。



「勝者、ナイセスト・ティアルバー。……しかし、容赦ようしゃねぇなお前さんは」



 トルトがあきれ顔でナイセストを見た。

 ナイセストが目で応じる。



「今の魔波、致死圧ちしあつだったぞ。ロクな実力を持たねぇ奴が真正面から浴びたら精神を粉微塵こなみじんにされちまうやつだ。やるにしたってもう少し加減できなかったのか」

「………………」

「あぁそうとも、殺しも認められてるさこの死合しあいはな、お見事じゃねぇか。死ぬか、良くて精神崩壊、魔力回路ゼーレ再起不能で魔術師まじゅつし廃業か……ったく、これだからガキってのはすえおそろしい」



 トルトがスペースを去る。

 観覧かんらんせきからナイセストへと注がれる視線。



 その意味合いは、明らかにこれまでと違っていて。



(……もう、疑いようもない)



 力の入らない足をつとめて平常に動かし、スペースを出る。



(――――動かされている。ティアルバーが、たった一人の異端いたんに)



「――――」

「!」



 入り口に、ヴィエルナ・キースが立っていた。



「…………」

「…………」



 いつもと変わらない、無表情。



 ヴィエルナの試合は、第四試合だ。

 第三試合が終わったのだから、彼女がここに居ても何の違和感もない。

 彼女はいつも通り、会釈えしゃくで一礼し、そのまま無言でスペースへと入っていく――――



「…………」



 ――――ヴィエルナは、何の挨拶あいさつも無いまま、スペースへと入っていった。



「…………」



 ナイセストがとらえた、ヴィエルナの視線。



 それはまるで威嚇いかくのようで、



(……もてあそばれていたのか。知らず知らず、俺は。あの、異端いたんに)



 闇に沈む少年の心を、一瞬だけ震わせた・・・・・・・・



「……いや。もはや異端な・・・・・・どとは呼ぶまい・・・・・・・



 観覧席かんらんせきを見上げる。



「――――――――――」

「――――――――――」



 赤き金色は、未だかわききった目で白き白黒へ視線を返した。



(その渇きで、俺からも奪おうというのか。ケイ・アマセ)



〝我々のような、全てに関し非の打ちどころのない一族になると、どうも『敵』に欠けるのだ、ナイセスト〟

〝お前ならば――その馬をみ殺せよう?〟



 視線を切る。



 ナイセストは、小さく口のはしを持ち上げた自分を穏やかに認識した。



おどらされるのはここまでだ。俺は舞台へ上がり、自ら踊る――――)

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