第三節 帰還

第19話 帰還――迫る蒼海

「シータ!」


 飛行機の先頭の操縦室にたどり着くと、そこには破壊されたような扉と、無言で立ち尽くすシータの姿があった。


「……っ! マリー!」

「……っ……。これ……」


 マリーは、目の前の光景を見て、目を逸らしたくなった。

 綿菓子のような雲を切り裂いて飛ぶこの鉄の鳥の眼前には、ただただ蒼空が広がっていた。そして、その下には、うっすらと海のような青も見える。

 けれど、何より目を引いたのは、部屋の中を染める、狂気の赤だった。


 あまりの情報量に、どうしたらいいのか、わからなかった。

 この血は、何? 何があったの……?

 もしかして、このまま墜落してしまうの……?

 私たち以外にも大勢の乗客を乗せた、この状態で?


 ブルッと思わず身震いする。


 ……そんなこと、あってたまるか。

 必ず、みんなを救ってみせる。なんとしても……っ!


「ねぇ、これどうするつもり……?」


 マリーの姿を見て、少し安堵したかのような雰囲気のシータに、尋ねると、彼女は一つ大きく深呼吸をした。


「……ひとつだけ、思いついたことがあるんだけど、出来る?」

「あ、なーんか嫌な予感が……」


 シータの策は単純明快だった。


「魔術で機体を操って海面に不時着させる!? それ、本気で言ってるの?」

「じゃあ、それ以外、何かある?」

「う、うーん……思いつか、ない……かな……」


 むしろ、この案も、シータなりに、必死に考えて導き出したのだろう。マリーにそれ以上の案を出せる自信はなかった。

 迷っている時間は、もうない。


「「風を纏え。全てを無に帰せ! 烈風ウェルテクス!」」


 二人で、術式を詠唱する。

 烈風ウェルテクスは簡易に表現するなら、空気を移動させる魔術だ。厳密には、違うが、結果としてそのような現象が起きる。そして、これは応用が利きやすい術で、例えば疑似的なパンチを打つなどにも利用できる。

 これを応用して、機体周りの空気の流れを操ろうというのが、シータの提案した策であるわけだが――


「無理無理無理無理! こんなのできるわけないって!」


 魔力シカトゥールの方向性を安定させるために体の前に両手を突き出しながら、マリーが叫ぶ。

 でもそんなことは、シータもわかっている様子だった。彼女もまた、苦しそうな顔で魔術を行使している。

 この頭脳を失った迷える鉄の鳥は、あまりにも、重く、そして速すぎる。


「ク……ッ!」


 そうやって嘆く間にも、視界の奥の海の青が、あまりにも無情にその濃度を深めていく。


「とにかく機首を上げよ!」


 マリーに伝えるためか、それとも、自分を鼓舞するためか。シータが声を上げる。

 このままの角度で落ちていけば、たとえ勢いを殺せても、着陸などできない。


「……だから、言ったんです。……あなたたちも、私も、ここで死ぬ、って……」


 声は、背後。


「あなた……っ!」


 シータの反応から察するに、もう一人の侵入者、になるのだろうか。それが、まだ年端もいかない少女だということに驚くと共に、その衰弱しきった姿に浮かぶ、爛々と輝く眼に、底知れない恐怖を感じる。


「……あなた、何か勘違いしてない、かな?」


 しかし、シータが驚いた声を上げたのは、一瞬のことだった。ふと見ると、逆に冷静さを取り戻したように見えた。


「生きて帰ることぐらい、私たちには簡単な、こと」

「……え、そうなの!?」


 しかし、その発言に驚いたのは、他でもないマリーだった。


「もー……。いーい? こいつらが何人かは知らないけど、そのうち誰かは外から来たんでしょう?」

「え、そうだけ、ど……って。ああっ!」


 察しの鈍いマリーも、そこで気付く。


「そういうことだよ。いくら準備がないとはいえ、ここまで近づいたら私たちだけならまた地面を踏むぐらいはできる」


 それに泡を吹いたのはもちろんクレタだった。


「あなたたち、それでも――!」

「……でもさ」


 その声を、遮る。


「それなら、ここに乗ってる人たちも救っちゃったら、みんな幸せ、でしょ?」


 マリーのその発言を聞いたシータが一瞬、驚いたような、そんなキョトンとした顔になる。そして、一度、二度と瞬きを繰り返した。


「マリーって、いっつも、そうだよ、ね」


 呆れたように、でも、口角が吊りあげて薄く笑いながら、シータが言う。

 その顔はいつしかキッと前を向いていた。


「そんなの当たり前、だよ!」


 今までよりも、心なしか少し大きいその声。それを言い放った彼女の腕には、先ほどよりも力がこもったように感じる。

 そんな二人を見て、クレタは何をあきらめたのか、吐き捨てるように言った。


「バカな人たち……」


 その言葉に、思わず笑いそうになる。

 うまくいくかもわからない。

 むしろ、失敗したら、死んでしまう可能性すらある。


 それなのに。

 自分たちだけなら、ほぼ確実に助かるというのに。


 それを捨ててまで人助けしようなんて、バカじゃなかったら何だというのだろう。

 そう思うと、思わず、笑ってしまいそうだった。


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