第17話 雲上の魔術師たち――自らの存在証明

 圧倒的な、力の差。

 例えばアリが象を目の前にした時。例えば草食動物が百獣の王を目の前にした時。例えば――今。

 生きとし生けるものなら、誰もが感じるであろう。この絶望感を。

 そして、例外なくクレタ・クレストリングも感じていた。自らの劣弱さを。


 けれど。

 例え、無力であっても。

 一見どうすることもできなかろうと。


 彼女には、なさなければならないことがあった。

 そしてそれは、彼女が彼女であるがために必要な、アイデンティティー。

 『主の命を遂行する』

 それ以外に、クレタ・クレストリングの存在意義など、なかった。


「……クレスト・アポージョ・レジストリング」


 掠れる声で、唱える。

 膝をつき、右手を地に突いた無様な格好で、それでも、口を開く。

 それは、彼女の解放序詞イプソール


「……何をするつもり、かな?」


 一言で表すなら、うすら寒さ。今のシータが感じている感覚はそれだった。

 圧倒的実力差を前に、未だに戦う意思を失わないその眼光。

 一体、彼女は何をしようとしているというのか?


「其は遥かなる贄が如し……我が腕と化せ……っ!」


 ……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、彼女を止めなくては!


闘擲ゴリアテ!」

「――」


 しかし、シータが開いた口から言葉が出るよりも、クレタのそれの方が、早かった。

 そこからは、一瞬だった。

 前方――操縦室の方から、大きな叫び声と、何かが倒れる大きな物音。

 そして、次の瞬間、体を襲う、無重力。

 機体が急速に降下を始めたことが、すぐにわかった。


「あなた、一体何を……っ!」


 手近な壁につかまり体勢を保ちながら、何とか聞く。

 しかし、状況は相手の方が酷そうだった。明らかに、魔術を行使する前よりもやつれ、顔色も悪い。息も、フルマラソンを走った後の様に絶え絶えで、両手を地についている。立ち上がる余裕もなさそうだ。

 まるで、一瞬で年を取ったかのような、衰弱ぶり。


「……知る必要は、無いです。だって――」


 けれど、その瞳だけは、爛々と輝いていた。


「わたしも、あなたも、ここで……死ぬのですから。この飛行機もろとも……っ!」


 その言葉に惑うまでもなく、シータは、一体どうしたらいいか分からず困惑していた。

 闘擲ゴリアテ――確か、地続きの物体を動かせるような、そんな地属性魔術だったはずだ。……しかし、確認できていなければ著しく効果は落ちるはずだ。

 と、そこまで考えたところで、我に返る。

 起こってしまったものは、もうどうしようもない。だから、今私がすべきことは、魔術について詮索することではない、と。

 

 クレタという少女の困憊ぶりを見るに、もはや彼女に何かをすることはできないだろう。大方、魔力シカトゥール切れといったところだろうか。よほど魔力シカトゥールに恵まれていないのか、それとも先ほどの魔術がーー

 ……いや、今、そんなことを気にしている余裕は、ない。

 飛行機は確実に、その高度を落としている。ならば、自分がするべきことは――


「大丈夫ですか!?」


 大声で、操縦室の様子を確認するべく、呼びかける。しかし、それに対する反応は……ない。


「こうなったら……」


 ガンッ!

 しかし、勢い込んで開けようとしたその扉は、びくともしなかった。


「っ! ダメだ……カギが……」


 何か騒動が起きた状況。万が一にでも操縦室を占拠されないよう、機長が対処したと考えるべきだろう。しかし、安全性を上げるはずのその行動と、扉の頑丈さが、今は逆にシータの妨げとなっていた。

 ……一刻の猶予もない今、魔術の使用を、躊躇っている場合では、ない。


「シータ・クロスト・マジックキャスト」


 魔術で、こじ開ける!


「風を纏え。全てを無に帰せ! 烈風ウェルテクス!」


 バコオン!

 派手な音を立てて扉の鍵と思われる部分を、吹き飛ばす。


「どう!?」


 びくともしなかった扉が、開くと同時、中に転がり込む。


「――っ!?」


 酷い、有様だった。

 まず視界に飛び込んだのは、赤だった。

 室内の機械を染め上げる、濃い、血の、赤。

 そして、次に写ったのが、目の前の果てしない、空の青。

 最後に、抜けるように白い、雲。

 その鮮やかなトリコロールが、かえって毒々しかった。

 

 そこにあったのは、血を流し、体を金属塊に貫かれる操縦士二人の姿だった。


「……っっ……」


 思わず、目を逸らしそうになる。

 「どうすれば……」と言いそうになった口を、ギュッと閉じる。

 今、弱音を吐くことは、許されない。なぜならシータは、これと向き合わなくてはならないのだ。

 ……だって、震えているだけでは、誰も、救うことなどできないから。


 ――考えろ。

 今、自分がなすべきことを――っ!!

 

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