第三節 向き合う
第10話 向き合うーーあの魔王の娘だということ
「なかなかおいしかったわね」
「うん……おいしい」
「……よかった」
顔は相変わらず無表情だったが、喋るのも億劫というようにさらに残ったスープをすすっているところからもよほど気に入ったのだと見て取れる。
そんな彼女たちに唐突な、声。
「お嬢さん方。隣、いいかな?」
「え?」
突然の声に隣を見ると、そこにはふくよかな、この地域ではあまり見ない体型の男が立っていた。頭には体に対して不釣合いなほど小さい山高帽を被り、黒のスーツを着ている。けれど、その大きく出っ張った腹を見ているといつボタンが飛んでもおかしくないだろうと感じる。右手に持った木の杖は転倒防止だろうか。
「あ。はい……、どうぞ」
「ありがとう」
男はそう言うと椅子を引き、マリーの隣に腰かける。
「ここは私のお気に入りでね。お嬢さん方、なかなか見かけない顔だがここは初めてかね?」
「え、ええ……」
「そうかいそうかい。ここは美味しいだろう」
「そ、そうですね。美味しかったです」
初対面のマリーに親しげに声を掛けてくる男に、困惑するマリー。チラ、とアイアスの方を向くが、彼は男のことなど気付いていないのか、一心不乱に皿に向かっている。……もう空のはずだが、舐め回すのをやめさせた方がいいかもしれない。
折よくやってきた店員が男の注文を取り、去って行ったタイミングで、マリーは帰ろうと思い声を掛ける。
「じゃ、じゃあ私たちはこれで――」
「ところでお嬢さん」
そこで、これまでよりも少し語気を強めて、男はマリーの言葉を遮りながら言った。
「アルべ・フレッツェという人物を知っているかね」
「……ッ!?」
男のその言葉に、一瞬マリーは心底驚いたというような表情をしたが、次の瞬間にはしまった、というように表情を消し、返答する。
「い、いえ……初めて聞く名前です」
「はっはっは。……別に隠すことはないよ。私は以前彼にずいぶん世話になってね。君も、魔術師の端くれなんだろう? 彼の名前を知らないということはあるまい?」
「……」
チラリと周囲を見るが、周りの人々がこちらの会話を気にしているような様子はない。
しかし、そんなことよりも、マリーはこの男の思惑が分からず、困惑していた。
いきなり飲食店に現れ、自分たちの隣に座り、こんな話をするこの男の思惑が。
だから、質問には答えず質問で返す。
「……それで? なにか私に聞きたいことがあったんじゃないんですか?」
すると、男は大仰に手の平を肩の高さまで持ち上げ首を振りながら、
「あーーダメだなあこれだから、最近の若い子は! 質問にはちゃんと答えで返すのが年上の人への礼儀ってもんだろうに! でも、まあ私は寛大な人物だ。それぐらいのことで、君たちへ悪いイメージを持ったりはしないさ!」
と、いかにもな台詞を高説する。
そんな男に、いい加減嫌気がさして来て、マリーは話を早く切り上げようと、こう言った。
「……急いでいるんです。帰ってもいいでしょうか」
すると、その言葉に、男は初めてマリーの方に目線を向ける。
その鋭い眼光に、思わずマリーは帰ろうとしていた体を動かすのを躊躇してしまう。……動くな、と言われたわけでもないのに。
「確かに私は寛大だ! でも、嘘はイケないなあ。嘘は。急いでいるだって? もう用事は済んでるんだろう? お嬢さん」
この男には、何もかも筒抜けなのか。一瞬そんな錯覚に陥る。
「そうはいっても、だ! 私は有り余らんばかりの慈悲を持っているから君たちが急いでいるというその言葉も信じよう! だから、手短に言いたいことを伝えようじゃないか。お嬢さん」
素性の全くわからない、謎の相手のペースにのまれていることへの危機感はあった。けれど、なぜだかその言葉を聞かなくてはならない、そんなことを、感じてしまう。
「なーに、そんな怖い顔をしなくてもいい。私が言いたいのは一つだけだけだからね。……でも、その前に少し歴史の授業といこうじゃないか。ここがどう言う場所か知ってるかい? お嬢さんよ」
話の流れに、嫌な予感を感じ、喋ることができないマリーを一瞥すると、男は酒をグイッと煽ると続きを話し始める。
「この地域は、アルべ・フレッツェがかの虐殺をした、ってことで有名な場所さ。だから、奴に反発を持つものがここらには大勢いるってわけよ。……それを踏まえた上で、だ。奴がこの地でなんと呼ばれているか知っているかい?」
マリーに、その質問に答えることは、できなかった。
「……魔王だよ、魔王! ハッハッハ! あんなひよっこが魔王とはね!」
ひとしきり笑うと、男はマリーの反応を見るように一呼吸置く。けれど、彼女がうつむいたまま黙っているのを見ると、つまらないとでも言いたげに、核心の一言を投げかけた。
「――お嬢さん。君はもっと自覚した方がいい。君が、あの悪名高いアルべ・フレッツェの娘だということをね。さもないと……きっと、痛い目を見る」
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