無感情
最近、無口でいることが増えた。
以前は様々な理由があって、独り言を無意識化でも行えるようにしていた。
それがオレにとっての『自分で自分の機嫌をとる』ということだった。
イライラに対して、意味がないと諭す。ダルけに対して、後悔するのは自分だと鞭を打つ。
悲しい時にも、辛い時も、何もかもネガティブな感情はすべてその二択で処理をしてきた。
自分で自分の首を絞める、のではなく。自分で自分の首を締め切るのだ。
殺してさえしまえば、感情というのはただの骸になって訪れるのは静寂。
ずっとそれを繰り返してきた。
実際、当時のパフォーマンスはよかったと思う。
どんなに気だるくても締め切りが間近でも必ず間に合わせることができた。なんなら、気怠さが起きても大丈夫なように環境や仕組みも自分で管理していた。
だけどある時から、それができなくなった。
うつ病というやつだ。今年の一月にオレはそう診断された。
最初のころはあまり気にしていなかった。鬱だからどうした。そんなもの、オレが頑張らない理由にはならない。
社会ではそんな奴らは五万といる。だからって休んでいいわけがない。
そう自分のマインドを整えていた。
オレは自分自身のことよりも、社会の基準を優先していたんだ。
それこそ友人たちから見る周りの基準よりも厳格に、抽象的な基準で自分を測っていた。
社会の基準ってのは客観的な基準よりも不合理でマイナスも含めている分タチが悪い。
でも、それが正しいと思っていた。
だって。社会は俺たちにそういうものばかりを押し付けてくるんだから、社会っていうゴミだめで生きていくには自分を適応させなきゃいけないんだって、そう思うことのなにが悪い。
でもいつしか、自分に対する圧力に自分自身が耐えられなくなっていった。
その時気がついた。
オレの自分殺しは、『殺ろした感情が今度はオレを殺したがっている』。その反骨精神で成り立っていたんだ。
感情がそのまま死んでしまえば、この手法は成り立たない。
殺されることに慣れすぎてしまったはずのオレの感情は、いつしか抵抗しなくなった。死んだままになった。
だから諭すという余地がない。鞭を打っても動かない。
もう自分の意思ではピクリともしなくなってしまった。
だから怒りたい時、うまく怒れない。泣きたい時に悲しめない。
うまく感情が表に出ない。
だからこそ、その制御もできない。
いったいぜんたい、オレの本心はどこにいったんだろう。
気づけば、先日心療内科に行っていた。当たり前の生活がおくれなくなったからだ。
診断結果は鬱。まぁ、予想はしていた。
でも原因がわからなかった。
目に見えたストレスなんてなかった。
わからなかったから、わからないなりに考えて、独り言をまた行うようにした。
その時だった。
感情というものが急に口を介してどばどば出てきた。
はじめにきたのは怒り。現状への怒り。不満。
そして悲しみ。惨めさ。でも思うように泣けるわけじゃない。
とにかく何かタガが外れて、いろんなものが溢れて結果——
死にたくなった。
感情の整理とか、そんなことできる情報量じゃなかった。
喉が潰れる。叫んでいた。
ひどく疲れる。虚脱感がすごい。
そんなものが今まで潜伏していたなんで、まったく予想だにしなかった。
手が震えていた。どうすればいいかわからない。
なにもわからない。
ただ言葉にしてはダメだ。声に出してはダメだ。これは
寝よう。ひとまず寝よう。何も考えないほうがいい。
そうして怯えるように目を閉じたのが、昨日。
家にいるのが怖い。自分を見つめるのが怖い。
でも大学にいるのもストレスがかかる。他人を見るのも正直怖い。
いつまたそんなものが溢れるかがわからない。
だから、いまの気持ちはフラット。負荷にならないように、とにかく思考にストッパーをかける。
オレはいったいどうなってしまったのだろう。
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