第33椀 ほくほく「ミートコロッケ」。校則で禁止でも買い食いに最適です

 ぼくは中学から高校の途中まで剣道部に所属していた。

 運動量が多く、激しく消耗するので部活の直後は水やスポーツドリンクしか受け付けず、夏場なんかは本当に死ぬかと思った。

 両親が亡くなって部活はやめてしまったけれど、剣道そのものは楽しかった思い出ばかりだ。

 運動後にちゃんと水分を補給しておくと、今度は帰り道の途中でものすごくおなかがすいてくる。

「おなかとせなかがぺったんこ」という格言通り、もう狂おしくカロリーを欲してやまない危険な状態となるのだ。

 田舎だったので通学路にコンビニなんてなく、学校の購買はお昼しか開かない。

 途中に雑貨や駄菓子を商う小さなお店はあるものの、お菓子で満たされる類の飢餓感ではないので通り過ぎてしまう。

 そしていよいよ空腹に耐え難く、食べられる野草でも引っこ抜くかと思い詰める絶妙なタイミングで、古い古い商店街にたどり着くのだ。

 ほとんどのお店にシャッターが降りたもの寂しい雰囲気ながら、入り口近くのお花屋さんと八百屋さん、そしてお肉屋さんが現役でがんばっていた。

 そのお肉屋さんはお惣菜の揚げ物が自慢で、近くを通るとラードの甘く香ばしい匂いに食欲を刺激されたものだった。

 そんなお店で、ぼくと部活の仲間たちがたいそうお世話になったのが「ミートコロッケ」だ。

 当時1個50円。

 小ぶりなサイズではあったけど、ひき肉がみっしり入っていてボリュームたっぷりのコロッケだった。

 目の細かいサクサクのパン粉は黄金色で、マッシュポテトはほんのり甘くてコクがあった。

 しっかり味が付いているのでソースがなくてもそのまま食べられ、なによりお財布にやさしい。

 ぼくたち学生が群がって注文すると、お肉屋さんのおやじがぎょろりと目を剥いて、昔ながらの新聞紙に包んで渡してくれる。

 揚げ置きしておいたものも必ずもう一度油通しをして、できたてアツアツにしてくれるのもお決まりだった。

 剣道具をかついで歩きながら、さくさくもふもふとコロッケをほおばるのはとっても幸せだった。

 まことに他愛もない高校時代の思い出なのだけど、ここでひとつ問題がある。

 それは"校則"について。

 おそらく日本全国どこの学校でも、

「風紀の範囲内において買い食いはこれを許可する」

 などと定めてはいないだろう。

 通常、買い食いはお行儀がよくないのと、通学路で衛生問題になると困るなどの理由で禁止扱いであることが多い。

 ぼくの学校でも基本的にはそのような建前だったのだけど、空腹には抗えない。

 したがって、集団で移動しながらこっそり素早く食べるというのがお決まりのパターンだった。

 でも実は、校則にはわざわざ買い食い禁止条項が設けられているわけではなく、風紀の先生もそんなに目くじらを立てたりはしなかった。

 なんとなくコソコソ食べるのが楽しかったのだ。

 伊緒さんにこんな話をすると、

「いいなあー!そんなことしてみたかったなあ」

 とうらやましがられた。

 彼女の通っていた学校は校則が厳しく、なんとはっきりと「買い食い禁止」と記されていたのだという。

 まあ、伊緒さんがコロッケかじりながら下校するというのも想像しにくいけど、ちょっと見てみたい気はする。

 もっとも運動部ではなかったので、飢餓状態になるほどの部活体験はないそうだ。

「でもコロッケって、たしかに買い食いに最適な感じがするわ。紙に包んで歩きながら食べたくなるというか、ものすごく手にフィットする気がする」

 ははあ、なるほど。そう言われればそうかもしれない。

 "手にフィットする"というのも言い得て妙だ。

 ハンバーグとかトンカツとかを手で持っていると変わった人みたいだけど、コロッケだと急にかわいくなるので不思議だ。

「下校中にコロッケ買っちゃうと、きっとあんまり自然に手になじんで他のものと間違えるのよ」

「たとえばなんでしょう?」

「あ、もしもし?って電話出たと思ったらコロッケだったとか」

 ぶほっ。アホな。

「カバンから定期出したはずがコロッケだったとか」

 ぶふっ。どんだけコロッケ好きですか。

 あとカバンに入れるのやめましょうよ。

「なんだかものすごくコロッケ食べたくなっちゃったわ。あ、でも晩ごはんのメニューはひみつだからね!」

 そう宣言した伊緒さんは、やっぱり夕食には期待通りにコロッケの支度を始めてくれた。

 揚げ物の中でも特に手間がかかる料理なので、いそいそとぼくもお手伝いをさせてもらう。

 芽を取ったじゃがいもをまるごと茹でる、玉ねぎをみじん切りにする、付け合わせのキャベツを千切りにする。

 特にキャベツは念入りに準備するよう伊緒さんが気をもむ。

「"♪キャーベツーはどーおーしたー"ってなったらどうしよう」

 何の話か分からない世代の方、ごめんなさい。

 あとは挽き肉かなと思っていると、伊緒さんが牛肉細切れをまな板に広げている。

「市販のミンチだと細かすぎてお肉感が足りないから、細切れを叩いて粗挽きミンチをつくるね」

 おお、さすが仕事が細かい!

 でもつぶつぶした挽き肉はすごく嬉しい。

 きっとボリュームたっぷりのコロッケになるだろう。

「少し濃い目に下味つけとくね」

 そう言って伊緒さんは、玉ねぎと粗挽きミンチを塩こしょうだけではなく、ほんの少しのお醤油·砂糖·オイスターソースを加えて炒めた。

 いい匂いが立ち上って、もうすでにすごくおいしそうだ。

 茹で上がったじゃがいもをマッシュしたものと混ぜ合わせ、コロッケ種の完成だ。

 あとは小麦粉·卵·パン粉をつけて揚げる、というのが工程のはずだけど、これが結構めんどいのではないか。

 それに作業が終盤になると、指にいっぱい衣がついていまにも自分フライが完成しそうになってしまう。

 でも、その辺りの対策もさすが伊緒さんだった。

 まず、溶き卵に小麦粉を混ぜて薄いバットに流し込む。

 小麦粉と卵の工程を一本化するので、これだけで洗い物がひとつ減る。

 卵液を張ったバットに成形したコロッケ種を並べ、くるんくるんとひっくり返してまんべんなく浸していく。

 もうひとつバットを用意して、パン粉を少なめに敷き詰めておく。

 そこに卵液をまとったコロッケ種を移して、上からさらさらさら、とパン粉をふりかけていく。

 バットの底に降り積もったパン粉を、やさしくコロッケ種の側面にもまぶして、ひっくり返して同じことをすれば完了だ。

 素晴らしい手際!指もそこまでパン粉でダマダマにはなっていない。

「ただのズボラよ」

 伊緒さんはそう言って笑ったけど、小麦粉も卵もパン粉もこれなら最小限の量で済む。

 それに余った卵液はホットケーキに、パン粉は使い回さずに冷凍して、ハンバーグの種に混ぜ込むのだという。

 いっさい無駄がなくて、ちょっと感動してしまう。

 あとは油でからりと揚げるだけ、とはいえこれにも技がいるはずだ。

 伊緒さんは鍋の油を熱し、おもむろにキツネの写真を正面に貼り付けた。

「……キツネですね」

「キタキツネよ。夏毛のね」

 冗談かな、と思ったけど伊緒さんは真剣だった。

 ああ、キツネ色の目安にするんですね。

 やや高めの温度で揚げられたコロッケは、種にあらかじめ火が通っているので短時間で引き揚げられ、まさしく黄金色に輝いていた。

「はい!味見よ」

 そう言って、伊緒さんは半端になった種でつくったミニコロッケを食べさせてくれた。

 さくさくほこほこしてやさしい口あたりながら、挽き肉や玉ねぎにはしっかりと甘辛い味がついている。

 うわあ、めちゃくちゃおいしい。

「ほいひいれふ!」

 ふぉこふぉことコロッケを頬張りながらぼくが言う。

「ほう。よふぁっふぁ」

 伊緒さんもふぉこふぉこと答える。

 すごく楽しい。

「ねえ、晃くん。なんだか買い食いっぽくない?」

 そういえばそうだ。

 揚げ立てをもらってほおばるこの感じ。まさしくあの頃の風情だ。

「そうよね!ふふっ。夢がひとつ叶ったわ」

 伊緒さんはそう言って笑い、ミニコロッケをもうひとつ、ぼくの手にのせてくれた。

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