荒唐無稽(こうとうむけい)のアニマルビジョン!

パンドラキャンディ

始まりはいつも騒がしい

「私達ってデートしてるように見える? 恋人同士に見えてる?」


 喧騒けんそうで埋め尽くされた昼時の大通り。通称“冒険者通り”と呼ばれる場所にて。

 カフェテラスに座る虎の獣人少女——ミストナは、ジュースを飲み干しながら嬉しそうに頭部の猫耳を凛と立てた。椅子からはゆるりと垂れた長い尻尾が揺れている。

 他の部位は人間ノーマルとあまり変わらない。

 だが、肩まで整えられた髪。その髪色までもが黄と黒の“危険色”に染まっていた。

「ふぇ? あぅ、どうでしょうか。ミストナさんも私も女の子なので……です」

 対面ではモジモジと顔を赤らめる兎人——ラビィが座っている。

 垂れ目がちな目。頭から肩までペロンとお辞儀した大きなロップイヤーの兎耳。身長百五十のミストナよりもっと小柄な少女だ。

「じゃあここでクイズね。女の子同士でも恋人に見える方法とは? 時間は十秒。さぁラビィ、良く考えてみて」

 にやにやと。ミストナは咥えたストローを甘噛みしながら、ラビィを見つめる。

「えっと、ミ、ミストナさんと私がアレをすれば……あっ! 違うですっ違うですっ! 今考えたのは想像であって、決してそういう事をしたいとういう訳では!?」

 ロップイヤーをぎゅーっと、引っ張りながらラビィは首を左右に振った。

 ミストナは『にししっ』と笑って返す。いったい頭の中ではどんな妄想が広がっているというのだろうか。覗けるものなら見てみたい。

「——三、二、一、ぶっぶー。とても残念だけど時間切れよ」

「はぅぅ……すみませんです」

「んっふっふー」

 その潤んだ上目遣いを見て、ミストナの心が満たされた。

 ミストナはこのおどおどとした小動物のようなラビィを大切な妹のように思っている。くしでどれだけいても飛び跳ねるショートヘアーの癖っ毛すら狂おしいほどに溺愛している。

 ラビィの全身を覆う水色のローブ(丸い尻尾の穴付き)。これは物理衝撃を和らげつつ使用者への負担も少ない一級の装備品だ。そこにがま口タイプの収納バックが肩からかけてある。これら全ての衣装はミストナが自ら目利きしてプレゼントした。

 対する『触るな危険』という色を体で示すミストナの服装は、前衛職アタッカーに多い軽装備だ。銀色の胸当てと鉄靴ブーツ。武器の類は携帯していない。代わりに“拳闘士”を示す特殊な軽鉄を使用した両拳の鉄甲グローブが、一際目を引いている。

「そうよねー。お互いの格好はどう見ても防具。このまま話してるだけじゃ友達かパーティーメンバーにしか見えないものね」

 同性であること。自分達が余所行きの服を着ていないこと。そして幼い年齢。それぞれを一般常識に当てはめれば、ラビィの言う事は概ね正しいだろう。

「でも私達はにデートをしてるように見られないといけない——この意味が分かるわね?」

「それはあまり……分からないです」

 グラスを両手で握るラビィが、はにかみながら視線を逸らした。

(そっか。ラビィには分からないか、当然よね。だってラビィは例えるなら花。花は自分の姿を美しいとは思わない。それと同じで、超越した美しさは自分では気付かない。ラビィは……いいえ、この地上に舞い降りた奇跡の塊のようなラビィは…………自分が犯罪的に超可愛い事に、まーーったく気付いていない!! なんて罪な兎ちゃんなの!!)

「どうかしましたですか? お顔が険しくなってますです」

「うーん。ちょっとね」

 なるべく澄まし顔を装いながらミストナは背もたれに体重を預けた。仲の良い姉妹や友人。普段ならそう見られても問題は無いだろう。しかし、ここは街の中でも一番の賑わいを見せる冒険者通りだ。

 このままでは可愛い可愛いラビィに、変な虫が寄ってくる事は確定事項。即ち、この楽しいキャッキャッウフフの幸せ買い物タイムがその辺のナンパ野郎共に邪魔されまくるという事だ。

「ギリリリッ!」

 ミストナは顔を歪めて歯軋はぎしりを繰り返す。周りから見れば頭のおかしい獣人と思われかねない。

 だが、今だけはどう見られても構わない。これはミストナの人生に大きく関わる案件なのだから。

 邪魔が入るとどうなるか。結果ははっきりと分かっている。きっと片っ端から鬱陶うっとうしいナンパ野郎を、この鉄甲で殴り飛ばしてしまうだろう。

 性根を叩き直す意味も込めて、ボコボコにしてしまっても良いのだが——トラブルを起こして捕まってしまうのは本意では無い。

 だからここは嘘でも『私達は恋人同士! 話しかけないで! 二人の世界に入って来ないでちょうだい!』と、周囲にアピールしておくことが、双方にとって有益な関係を築けるはずだ。

「ふっ。自ら犯罪を防ぐ術を考えつくなんて、今日の私は冴えまくってるわね」

「犯罪です?」

「えぇ。遠くない未来に起こるなんだけどね。気にしないで。それよりさっきのクイズの解答を実践で答えるわ」

 ミストナの細長い尻尾が激しく揺れた。

 テーブル越しにラビィにずいっと迫り、目を閉じる。そして——『んー』と、唇を突き出した。

「ふぇっ!?」

「ねぇラビィ。チューしましょうよ。チュー。こうすると私達は恋人同士に見えるはずよ。ほら……んーーっ」

「あぅ……でも……だって、ここは外ですし! はっ、はっ、恥ずかしいですです!!」

「良いじゃない。減るものじゃあるまいし。早くっ早くっ」

「 あうぅぅぅぅぅ」

 口ごもる反応を薄目で覗く。

 ラビィはどうすれば良いか分からず、またロップイヤーの兎耳を手で引っ張り、赤く染まった顔を隠している。

「あれー? こんなに私が待ってるのにチューがやってこないなー。ラビィは私の事が嫌いなのかしらー。だったら悲しくて泣いちゃうかもー」

「うぅぅ……」

 種族は虎と兎の獣人。血は繋がっていない。しかしラビィとはこの五年間同じベッドで眠り同じ物を食べてきた。血は繋がっていなくても家族同然の仲だ。むしろ家族よりも信頼し合っている。時間が合えばお風呂も一緒に入るのだから、チューの一つや二つくらいどうってことはない……はずだ。

 だがここは大勢の人々が行き交う冒険者通りに面するカフェテラス。他者の視線というものは避けようがない。そしてラビィは極度の恥ずかしがり屋。

(にっしっしっ。カップル作戦から思い付いたこのチュー作戦。ラビィの勇気を試すにはちょうど良い作戦じゃないかしら?)

 ミストナはニヤニヤしながら唇を突き出し続ける。

(さぁ、この試練をどう受け止めるの!? ラビィ!!)

 ロップイヤーの隙間から垂れ目がちな瞳が見える。恐る恐る周囲を伺って、あまり注目が浴びていないのを確認し——コクリと。何かの覚悟を決めたようにラビィは強く頷いた。

(きた! きたきたきたきたきたわーっ!!)

 ギュッと目を瞑り、唇を少し尖らせたラビィ。

 その幼い顔が段々と迫ってくる。

(三……二……一……今よ!)

 唇が触れ合う、その瞬間——

「なんちゃって」

 ミストナは唇を寸前で躱し、ラビィの顔横に頬擦りをした。獣人が親しい者に愛情や感謝を示す行為の一つだ。

「ひゃ!?」

「んっふっふー。ラビィの度胸をちょっと試しただけよ。合格合格。街中でこんなに大胆な事が出来るようになるなんて、しっかり成長してるのね」

「はわわわ、冗談が過ぎますですよ!」

「んっ可愛い可愛いっ。よしよし」

「わ、私はミストナさんの為なら何だって出来ますです! 本気です!」

 プルプルと小さな唇を震わすラビィを思い出しながら、ミストナは向き直った。

「知ってるわ。ラビィは私が大好き、私もラビィが大好き。これはこの街の辞書に載せるべき常識よね」

「そうなのです! その通りです!」

「じゃあ今夜は——襲っても良い?」

「ふぇえええーー!?!?」

 再びロップイヤーで顔を隠すラビィ。その隙間からモクモクと湯気が昇っていく。

「にししっ。冗談よ」

 大切な妹分を傷物にするつもりは微塵も無い。が、決まってラビィはこの台詞で意識がどこかに飛んでしまう。臆病というか想像力が豊かというか。その姿も格別に可愛いのだ。

「さぁ、そろそろ買い物の続きに戻りましょう。まだ買い揃える物が残ってるし」

「です!」

 左手に紙袋。右手にラビィの小さな手を握り、テラスを出て冒険者通りの人混みの中へ。

「この一週間は届いた書類の整理や申請に追われて本拠地ホームに篭りっぱなしだったからね。今日は存分に買い物をしてストレスの発散をするわよー」

 ぐっーーと、伸びをしてミストナは改めて周りを見回した。

「さっきの話の続きじゃないけど、この街の住人からすれば私達ってどう映ってると思う?」

「うーん……。小さい獣人の女の子です?」

「そうね。だけどちょっと違うかも。個々の存在がちっぽけ過ぎて目に入っていない、っていうのが正解かもしれない。このと呼ばれる——【ホワイトウッド】という街の中では」


 ◇◆◇◆◇◆

 

 ミストナとラビィが歩いている場所は、ホワイトウッドという大きな街の五番街。その東西を真っ二つに分断する冒険者通りと呼ばれる場所だ。

 特殊な装備や魔術道具アイテムを求め、様々な人種が年柄年中ごった返している。

「飲食店には空席があるみたいね。だったら私達みたいにランチでもしてくれれば、少しは見通しも良くなるっていうのに。いつもいつも人が多かったらありゃしないわ……あっ」

 そこまで言って、ミストナは虎縞の尻尾をへの字に折り曲げた。

(間違えた。一概にと一括りにしてはいけないんだった。この街はおいては、特に)

 すれ違う者達を見やる。

 人間ノーマル、同じ種族である獣人、耳長のエルフ、小人族ハーフリングなど。手があって足があって顔があって……ここまでは一般的に人と呼んでも差し障りの無い種族だろう。

 飽きれた顔で騒ぎ声が聞こえる方を向く。

 紫色の煙が屋台から登るオープン型の大衆屋台だ。どのような食べ物を煮たり焼いたりすれば、あれほどのおどおどしい煙が発生するのか。

 疑問を抱えながら視線は群がっている者達へ。そこには牙をむき出しにしたオークや、緑の皮膚が特徴的な小型のゴブリン。そして巨大な岩肌のゴーレムが窮屈そうに三角座りしていた。飲み干したであろう酒樽からは、青緑の液体——スライムが這い出てきている。

 本来ならば天敵であるはずの魔族達が、真っ昼間から酒盛りしているのだ——大勢の人間ノーマル達と肩を組み、同じ歌を歌い、バカ騒ぎしながら。

 急に膨れた青緑のスライムの中から、紫のスライムが飛び出た。いや……よく見ると違う。地面に広がった紫の液体は動かない。あれは恐らく葡萄酒か何かだ。

(スライムが酔って吐くって、どれだけキツいお酒なのよ。そもそもスライムって酔うの? 初めて見たんだけど)

 人と認識出来ない者はそれだけではない。

 骨董店こっとうてんと書かれた店前で「丈夫な骨はいらんかねー」と、客引きしている店主らしき人物。彼は他所の国では一体現れただけで厳重警戒令がかれるはずの、全身の肉が無いスケルトンという種族だ。

(骨董店ってそういう意味じゃないからね?)

 三本指の鉤爪に鳥肌の女性。本来ならば人をさらい、生きたまま肉を貪り食う害魔族指定された獰猛なハーピィ。彼女は「そこのかっこいいお兄さん! 肉ばっかりじゃ強くなれないよ! そこで提案だ、この人食いトマトを食べると一週間はビタミンを取らなくて良い。今なら生きの良いのが入ってるよ!」と、威勢良く声を張り上げ野菜の叩き売りをしていた。

(いやいや。あんたは肉食でしょうが。肉を売りなさいよ。肉を。それにしたって新鮮な人食いトマトなら、逆に食われちゃうでしょ)

 ミストナとラビィはその光景を見て、苦笑しながら冒険者通りを南下して行く。

「頭の固い私達の国だったら考えられない光景よね」

「はいです」

 雑踏の中、足下を通り過ぎた人影。上空を見上げると白い翼を広げ、空を飛ぶ者が。白鳩の獣人の女……かと思ったけれど違う。頭上にはぼんやりと光輪が見える。天使だ。神族しんぞくと呼ばれる希少な種族。

 そんな彼女は何故だろうか、首から大きな麻籠をぶら下げている。麻籠には街の配達員を示す印が。

『なんで神の使いが配達員を?』そんなツッコミはこの街では誰も口にしない。

「天使さんも大変ですねー」

「私も空が飛べたらなー。ラビィも空を自由に飛んでみたいでしょ? きっと風が気持ち良いわよ」

「低い所だったら……高い所はちょっと怖いです……」

「そのロップイヤーをパタパタとさせたら飛べるかもよ? あ、それだったら飛ぶじゃなくて浮くになるのかしら」

「どっちも無理ですよー」

「んっふっふー。どう? 少しはこの街に慣れた?」

「……あぅ。まだまだかも、です」

 すれ違った大型のサイクロプスにビクつきながらラビィは答えた。

「怖がらなくても大丈夫よ。あれはきっと鍛治師だわ。背負ってる金槌に年季が入った焼き跡が見える。きっと良い職人ね」

「そうなのですか。ミストナさんは凄いのです。まだこの街に来て一ヶ月しか経ってないのに何でも知ってますです」

「ラビィが買い出しや雑務をしてくれてるお陰で、ホワイトウッドの勉強が出来たのよ。自分だけの力じゃないわ」

「それでも私には一ヶ月でこの街の事や、知らない種族さんや職業を覚えるなんてとても——」

 最後まで言わせず、わしわしとラビィの頭を撫でる。

「ゆっくりで良いの。ラビィは自分のペースで頑張りなさい」

「はいです!」

 ミストナとラビィがホワイトウッドに来て一ヶ月が経った。最初はすれ違う見慣れぬ種族達に唖然とし、大口を開けて良く立ち止まったものだ。その時に比べると随分と慣れてきた。

(種族という垣根を超え、皆が肩を並べる。その大きな理由がこのホワイトウッドにはある——それが【ダンジョン】)

 街にはダンジョンに繋がる異なる次元の入り口ゲートが存在している。一つでは無い。内部構造が違った大小様々なダンジョンが実に数百種類もだ。


 五番街北部に突如として出現した、巨大で捻じ曲がった塔。

 冒険者通りのど真ん中に降ってきたのは、豪奢な鉄の門。

 路地裏にぼぅと浮かび上がった、光る小さな鳥籠。

 街の上空に我が物顔で浮かぶ、幽霊船。

 何の変哲も無いレストランの勝手口、等々——。


 これらは何の前触れも無く現れたり、あるいは既に街にあった物を乗っ取り、ダンジョンへのゲートは完成する。この物体の総称をオブジェクトとも呼んでいる。

 ダンジョンでは難易度に見合った魔石や、精製すれば魔術道具アイテムとなる素材を獲得する事が出来た。

 そしてクリア時における恩恵は——それらを遥かに超えていた。人智の考えでは理解しかねる摩訶不思議な秘宝。常識を覆す魔術の付与。または、この世とは思えない壮大な感動など。

 大いなる目的の為に価値観の違いはさて置き、多種族の足並みが揃うという訳だ。

 むしろダンジョンの性質によっては、種族をバラバラにしたパーティーの方が攻略し易いとも聞く。宴を謳歌する大衆屋台の彼等も、懐が涼しくなれば再び多種多様な装備に身を包み、ダンジョンの冒険稼業に精を出すのだろう。

(めちゃくちゃで、大雑把で、まとまりなんて皆無のこの街。法の整備だって曖昧な部分が多い……だけど、私はこの街が大好き。種族を超えて仲良くなれる方法を模索し、実行しようと頑張ってる。そんな素敵な街は世界にここだけ。このホワイトウッドだけ————それはともかく、今はの方が超重要ね)

 ミストナはにんまりと笑いながら、左手に持った大量の買い物袋の中を覗き見た。

「あーあ、早く本拠地ホームに帰ってラビィに新しく買ったローブを着せてあげたいなー」

 今回買ったラビィの防具は同じ水色の形だが、戦闘職ジョブに対応した魔術式が練り込まれている。今着てるローブより防御力は劣る反面、魔術使用に伴う体内の反動が抑えられるという優れ物。

「あぅ。帰ったらすぐに着ますですから、ミストナさん」

 上目遣いで見つめてくるラビィ。

 一見するとマスコットのような存在だが、彼女の戦闘職ジョブは目には見えない精霊を使役する事が出来る“精霊術師シャーマン”だ。一般的にエルフが得意とする職業ジョブでもある。当然、服装もそれに合わせた仕様になっていた。

「久しぶりの休日に愛するラビィの服を買う。私思うの。こういうのを幸せって言うのかなって」

「えへへ、ありがとうございますです。私も、すごく嬉しいですっ」

「——っ!?」

 ラビィの可愛さレベル上限突破照れ笑いが炸裂。

(暗闇の世界に初めて昇った朝日……いや、後光が世界の隅々まで照らす女神の再来かも知れないわ!)

 それくらいラビィの愛くるしさはミストナの胸にキュンとくるものがあるのだ。

 可愛すぎるせいで、寝ぼけてロップイヤーに噛み付いた事もしばしば。ラビィが兎だからと言って虎としての捕食本能が刺激された訳では無い……多分。きっと。

「どうかしましたですか?」

 ピンと立った縞の尻尾を、ラビィは不思議そうに眺めている。

「だめよ、眩しすぎる……。さっきから思ってたけど、今日のラビィは一段と可愛いわ。なぜかしら」

「えへへ。ミストナさんったら大袈裟過ぎますですっ」

「くぅぅーー!」

 我慢は出来る限りすべきではない。ストレスは乙女の最大の敵なのだから。そう言い聞かせてラビィに飛びつく。感情のまま情熱的に。あるいはセクハラ一歩手前を見極めながら。再びミストナは激しく頬を擦り合わせた。

「ひゃっ!」

「んふふ〜。ラビィ可愛い。大好き。凄く可愛い。今日も明日も未来永劫愛してるわ」

 ぷよんぷよんと赤ん坊のような柔らかい頬っぺたと、高級生地のように滑らかな兎耳のコラボレーション。そして、本能を直接刺激するような甘美な匂い。

(この耳を焼いたらもっと美味しそう……いや、違う違う! そうじゃない!)

「もう、お買い物が進まないですよー。それに私はいつもと同じですっ」

「そんな事無いもん。私には分かるわ。ランチを食べてラビィの可愛さがまたレベルアップしてしまったのよ。となると……困ったわね」

 ミストナの虎耳が力を無くしてお辞儀した。

 疑念が生じたのだ。左手に持った紙袋の中、先ほど買ったラビィの洋服達の一部に。

「やっぱり黒にするべきだったかも……」

 ガサゴソと紙袋に手を突っ込み、赤い紐をつまみ上げる。

 不思議そうな顔しているラビィの前に、はらりと。面積を限りなく削った、欲情を誘うが揺れ動く。

「ミ、ミストナさん!? 一体何を!?」

「うーん。赤の際どいのも良いと思ったけど、今の進化したラビィには黒の透け透けブラの方が可愛らしさと対比出来た気がするわ」

「あわわわ、私の下着を街中で出さないで下さいです!?」

 ミストナは「?」と、首を傾げた。

 なぜラビィの下着を冒険者通りのど真ん中で見てはいけないのか。これはダンジョンのクリア報酬に匹敵する代物。絶対に末代まで崇められる家宝のはずなのに……。

 真っ赤なブラを片手に悩み抜いた結果、恐るべき最悪の答えが導き出された。それは——

「まさか……このラビィの初ブラがどこかの変態に狙われてる!? 」

 ミストナは腰を落とし、辺りを警戒した。

「出てきなさい! 一体どこのどいつよ! 今すぐ八つ裂きにして地獄の池に突き落としてやる!!」

(あの好青年風の人間ノーマルの剣士か! その剣は女の子の服を一枚ずつ切り流す為の装備!? それとも隣にいる大きなゴーレム、お前か!  無口そうな顔をして実はムッツリ!?  太い指で掴んで人形のように愛でるタイプの変態ね!)

 すれ違う冒険者達に、ミストナはブラを握りしめたまま『ガルル!』と威嚇を繰り返す。

「違いますですよ! あぅ、その、恥ずかしいって意味です……」

「あっ、そうよね。ラビィの可愛さにちょっと興奮しちゃった。ごめんね」

「でも……やっぱり私にはまだまだ早いような気がしますです。胸だって成長していませんですし……背も、ちんちくりんのままです……」

 胸に手を当てて、ラビィは小さなため息をついた。

 ラビィの年齢は二つ下の十二歳。獣人は他の種族より圧倒的に成長が早い。しかしラビィは逆だ。他の獣人よりも遥かに成長が遅かった。

 体力も魔力も不安定な面が目立つ。要領に関しても良い方だとは言えない。

 だが、ミストナはそんな事を毛ほども気にしてはいない。どれだけ不向きな事に対峙しても、健気に努力するその小さな背中を何年も見て来たのだから。

「早いとか、遅いとか、そういうのは関係ないわ」

「でも……」

 ここは人生の先輩(たった二年であるが)の出番だと、人差し指と尻尾をピンと立てた。

「ラビィ、よく聞いて。こういった成長イベントはあらかじめ準備しておくものなの」

「そうなのです?」

「ふふん。少し背伸びしてお洒落するのが、愛され乙女の秘訣よ」

「なるほどです! 勉強になりますです」

「んっふっふー。どういたしまして」

「でも、ミストナさんは付けてないですよね? その……ブラジャー」

「わ、私は良いのよ。窮屈なのは嫌いだし? 鉄の方がカッコいいと思ってるし?」

 ミストナは焦りながら、鉄甲と銀の胸当てをコンコンと打ち合わせて答えた。もっともミストナとて付ける必要があるほど、成熟しているわけでは無い。まだ大人の階段を上がり始めた成長期の子供。十四歳の獣人だ。胸もサキュバスのような気高き大山脈————ではなく。どちらかと言えばなだらかな平野に分類される。

 付けない派であるはずのミストナが、ラビィにブラを押し付ける理由。それは趣味がラビィを様々な角度から愛でる事だから。

 特に色々な服を用いての着せ替えごっこは至福の時間だった。今日は待ちに待ったメインイベント。大人の下着試着大会。『まだ早いですーっ! 恥ずかしいですーっ!』と、逃げ回るラビィを説得するのにどれだけの月日を費やした事か……。

 今日はその集大成。その場面を考えただけで————。

「あのミストナさん、ミストナさん? おーいおーいです」

「はっ!? ごめんなさい。聞いてなかったわ。ラビィが大人の階段を登り始めたって考えただけで、意識が朦朧と……」

「あぅぅ」

「でも心配しないで! いやらしい下着を穿かせても、私の心はいやらしい気持ちに染まりはしないから! 食べちゃいたいくらい好きだけど、これは純粋な家族愛なの! 姉妹的な意味の! ね!?」

「私は……ミストナさんになら……食べられても良いのですが……」

「はぁううぅぅぅん!!」

 両手を口元に当て覚悟を決めるラビィの可愛さ全振りアピール。正に即死攻撃。

 大槌で殴られたような衝撃が、脳の中を高速で駆け巡る。よろける頭、折れる膝——だが! 今ここで倒れる訳には行かない! 体勢をギリギリの所で踏ん張り持ち直す。そして握っていたブラを勝ち誇ったように天に主張した。

「勝ったわ!! 私は人生という名のゲームに勝ったのよ! 今すぐエンドロールを流してちょうだい!」

「私のブラを高く掲げるのはやめて下さいですー!」

 顔を真っ赤にしながらピョンピョンと飛び跳ねるラビィ。

 その姿を心のメモリアルにしっかりと刻んでいる最中だった。ミストナの視線がすぅーと後方に吸い寄せられた。

「ん?」

 魔石を散りばめた高級そうな甲冑が入り口に飾ってある装備店。その店のガラスのウィンドウの中に、何に使うかわからない珍妙な魔術道具アイテムが所狭しと飾られてあった。

 そこに大きく書かれた謳い文句。『本日オープンにつき全品半額!! 赤字覚悟だ! 持ってけ泥棒、いや冒険者共!!』

「ラビィ見て! このお店セール中だって!」

 走り寄り、ウィンドウにおでこをくっつけながら飾られた商品達に目を光らせる。

 魔術師ウィッチー等が魔力を増長させる為に使うロッドや、封印術式が込められた盗賊シーフが使うロープ等に破格の値札が付いていた。

 しかしミストナの戦闘職ジョブは拳闘士。ラビィは魔石を媒介して発動する精霊術師シャーマンだ。そんな二人にこういう武器は似合わない。惹かれたのは、手前に置いてあった安価な鉱石。属性魔術が込められた魔石だ。

「そういえば飲料用の水魔石が切れかけです。買っておきますです?」

 ラビィが言ったのはいわゆる使い捨ての消耗用魔石。これらは水や電気、火などの魔術を予め魔石に込めて一度だけ好きな時に使う事が出来る。ダンジョンで得られる魔石を鍛治師や錬金術師アルケミストなどが加工し術式を付与した物だ。内容量はそう多くない。

 充電式もあった。そちらの方が遥かにパワフルで長期的に見れば経済的なのだが、その分値段は跳ね上がる。

 例え壊れても紛失しても良いように、ミストナ達は使い捨ての安物タイプを好んで使っていた。

「銀貨ニ枚か。確かに相場よりは安いはずだけど……うーん」

 ミストナは尻尾をくるんと捻った。

 さきほどラビィの買い物にはかなりの額を使ってしまった。下着から普段着に、パジャマ。そして精霊術師シャーマンの正法衣と同じ効果のある水色のローブ。

 その全てに別途で虎と兎の小さな銀刺繍を仕立ててもらっている。この刺繍のせいで想定した倍以上の値段を払うハメになったのだが……これだけは自分のお小遣いを削ろうが、どれだけパーティーが財政難になろうが、絶対に、必須で、どうしても、何が何でも、まったくもって譲れない愛情。

 簡潔に言えば勝手に貢いでいる。

「私も出来れば予備のブーツくらいは買わなきゃダメだし……消耗用魔石ならもっと安い店があるかもしれないわ。他の店を回ってから決めましょ」

「はいです」

 ラビィとしっかりと手を握り直し、再び大通りの中央に向かって歩き出す。

 その時だった。

「今日って金曜日でしょ。だったらギルド支部の隣にある店が——いっ!?!?」

 ドン! と、背中に強い衝撃が走った。

「もー。いったいわねー。何なのよ!」

 目の前に転びながら現れたのは、紫の布の塊お化け——ではなく、自身の長いマントでぐるぐる巻きになった三つ目の魔族の男。

「こら! あんたの目はなんの為に三つ付いてるのよ! 私達みたいな超可愛い女の子を守る為でしょうが」

 とって付けた理由を主張しながらミストナは逃さないようにローブの裾を踏み付けた。そして生まれつきそういう種族なのか、もしくは怒鳴りつけたからなのか。真っ青な顔色の男の胸ぐらを掴みあげる。

「あっ、分かったわ。あんた私からスリをするつもりだったんでしょ。それが、失敗して転んでしまったって訳ね……今すぐ四つ目、いや倍の六目にしてあげようかしら」

「ち、違うんだよ! 話を聞いてくれ!」

「聞かないわ! 私は今ラビィと良い感じにイチャイチャしてたの! このまま行けば初夜を通り越して、結婚まで見えていたの!」

「何を言ってるのですです!?」

「それを邪魔するっていうなら例え神だろうと、創造主だろうと関係ないわ。ホワイトウッドの郊外まで——この拳でぶっ飛ばす」

 ミストナは自身の力を誇示するように右手を振りかぶり魔力をたぎらせる。拳を中芯にうっすらと黄色と黒危険色の蒸気が立ち込めた。

「わざとじゃねぇって! 俺はそんなつもりで!」

 まるで猛獣に襲われたような必死の形相で、男は首を振る。

「だったらまずは謝りなさい。話はそれから聞いてあげる」

「俺が悪かった! ぶつかってすまない! 謝るから、謝るから早く手を離してくれ!!」

(……なによコイツ)

 心からの誠意とは全く思えず、本当に殴ってしまいそうだった。

 だけど可愛い妹分の手前だ。例え相手がスリのド下手くそな盗賊シーフでも、未遂ならば証拠は無い。手荒な真似が許されるのも、胸ぐらを掴む程度が関の山だろう。

 渋りながらもミストナは三つ目の男を解放した。

「スリじゃなかったら何でぶつかってきたのよ。前見て走ってたとは思えない強さだったけど。不意打ちで本当に痛かったんだから、納得出来る説明をしなさいよね」

「あ……あぁ……ひぃいいいいーーーーっ!! 来るーーーっ!!」

 手を離した途端。男はおぼつかない足取りのまま、冒険者通りの北に向かって無我夢中で走っていく。

「あぁ! 逃げた!」

「……来る? クールです?」

「もうなんだったのよアイツは! 当たられ損よ! ムカつくったらありゃしないわ!」

「ミストナさん。あの魔族の人なにか言ってませんでしたか?」

「え? そうだった? 私には怯えて叫んでただけに聞こえたけど」

 キョロキョロと周りを見回しても何の変化も感じ取れない。あの男は一体なんだったのだろうか。そして——

「なにこれ?」

 ブーツにこつりと当たり、止まった丸い球体。さっきの男が去り際に落としたと思われる拳大の水晶だ。

「商売道具? さっきの奴、占い師フォーチュンテラーだったの?」

「凄く慌ていたのです」

「うーん、個性的な戦闘職ジョブは変わり者も多いって聞くし。危ない薬でもやって自分の死相が見えたのかもね」

「ふぇぇ……」

「この街は変な奴らが多いから、ラビィも気を付けないと食べられちゃうわよ?」

「お、脅かさないで下さいです……あれ?」

「本当かもしれないじゃない。だってここは何でもありの街——ホワイトウッドよ」

「ミ、ミストナさん!!」

 ふわりと。顔の横に垂れていたロップイヤーが浮き上がり、ラビィは慌ててそれを抑えた。

「どうしたの?」

「何かおかしいです! 精霊さんに耳を持ち上げられました!」

 兎人特有の危機管理能力。本来、兎という動物は狩られる側の動物だ。故に身に迫る異変を一瞬だけ事前に感じ取る事が出来る。ラビィの場合は視覚出来ない精霊達が、耳を持ち上げて教えてくれるというものだった。

「さっきの男といい、ラビィといい……なにが起こってるの……」

 返答を聞き返す間も無く、辺りで悲鳴が弾け出した。

「おいおいおい!! 冗談じゃねぇぞ!」

「きゃああああーーーっ!!」

「やべえええぇぞおおおおおおおーーーっ!!」

 異変を察知する周りの冒険者達。

 視力強化に聴力強化。何かしらの魔術を使った者達が、騒ぎ、走り、空を飛ぶ。さっきの魔族の男同様、この冒険者通りの中央から一目散に離れて行く。

 まだ状況が把握出来ていないミストナと周囲の冒険者達は、何事かと警戒を強めた。

「一体何が起こってるのよ!!」

「「「お前ら何やってる! 早く逃げろおおおおおおーーー!!」」」

 最善の行動らしき答えが遠くから聞こえた。確実にミストナとラビィに向かって。だが——もはや遅過ぎた。

 瞬間で大きな、大き過ぎる影が二人を覆う。

「ミ、ミストナさん……」

 ラビィが口をパクパクさせながらこちらを見ていた。目線は少しあっていない。上だ。上空を見つめ顔を強張らせている。

「——っ!!」

 急いで振り向くとすぐ上に。正確にはミストナのが現れていた。

 それは体長五十メートルを超える輸送用の。一枚の鱗が顔よりも大きく、魔力を伴った皮膚の強度は鍛え抜かれた鋼鉄をも優に上回る。従順で大人しく普段は上空の貨物ルートを飛行しているそれが、真っ逆さまにこちらに向かって突っ込んで来ていた。


「なぁあああああああああああーーーーーーーーっ!?!?」

「ふぇえええええええええええーーーーーーーーっ!?!?」


 

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