幸運な偶然・1
「うわ……冷たい……」
ヒューと足下を抜けた風に、クラスメイトの家で開かれたクリスマスパーティから、家へと帰る道を歩いていた茜は思わず足を止めた。今日の風は湿気を帯び、凍りついているかのように冷たい。
「そういえば、今日は五時から雪が降るんだっけ……」
見上げる空は鉛色の重い雲が垂れ込め、ぐっと地表に近づいてきている。
普通のコロニーではあまり無いが、『神田』のような観光も収入源としているコロニーでは、冬のイベントの演出に雪を降らせることがある。
特に『神田』では移住元の故郷の島国の気候を再現しようとする、気象管理センターのこだわりもあって、ボタン雪、細雪、灰雪、粉雪……と降らせる雪の種類が多いことで有名だった。
夜の神田商店街の東通り、西通りの個人店が、暖色の照明を控えめにつけ、道端の灯籠を模したランプを灯す。そこに雪が降っている風景は、幻想的で、毎年発行される『銀河夜景百選』の上位にいつも載っていた。
「今夜は、どんな雪が降るのかな?」
茜は大晦日にお参りする『御東さん』と呼ばれる龍泉寺で見る雪が好きだ。お参りをした後、家族皆で、境内で寺が振るまう暖かい福茶を飲みながら、次々と訪れる人達と年末年始の御挨拶をする。除夜の鐘の中、新年を迎える特別な空気と、ほっこりとした優しい雰囲気が大好きだった。
「……幸せだなぁ……」
今も、暖かなピンクのコートに模様編みの白いマフラー、ミトンに覆われた手には、プレゼント交換したプレゼントの入った小さな紙袋を持ち、可愛らしいショルダーバッグを下げている。
三年前までは、宇宙駅の隅や旅客船の隅で見ていることしか出来なかった幸せだ。
でも……。
茜はこの幸せが、幸運な偶然が重なって、今あることを知っている。
スペチルグループの中でも、仲間思いで優しいシュウが率いるグループに拾われたこと。旅客船で保護された先が『神田』だったこと。兄妹二人を揃って引き取ってくれた夫妻がいたこと。
そのどれもが本当に幸運過ぎる偶然の結果で、茜は今ここにいる。
そして、そんな運に恵まれず、悪い大人に売られた子も、飢えや私刑で死んだ子も沢山いることも知っている。
だから……。
「サンタさん、本当にいると良いな」
茜はぼそりと呟いて、また歩き出した。
『神田』東区から、コロニーの中央にある、宇宙駅・神田駅の横を通り、自分達の住む北地区の工場町へ向かう。
宇宙駅の近くの通りを歩いていると、前に茶色い大柄な影がチラリと見えた。
「お父さん!」
猪吉は午前の仕事を片付けた後、お昼ご飯を一緒に食べて、そそくさと出掛けていった。
『きっと、今夜のプレゼントを買いに行ったんだぜ』
楽しげに笑う兄の顔が浮かんで、茜は影を追い掛けた。影は宇宙駅の近くで消える。
「お父さん……?」
茜は首を傾げながら、周囲を見回した。宇宙駅前の大きな通りは、クリスマスイブの買い物客や降雪を見に来た観光客であふれている。老若男女、人種も様々の人混みに、完全に父の姿を見失ってしまったようだ。
「あ……」
茜は華やかなイルミネーションとツリーをエントランスに飾った、デパートの入り口に目を止めた。
「……あそこかな?」
確か、父は自分達だけでなく、母にもプレゼントを買う予定だったはずだ。
『なあ、茜、どれが母さんに一番似合うと思う?』
ファイルの婦人用のジャケットのカタログのページを見せて、こっそり自分に尋ねていた照れた笑顔を思い出し、茜はくすりと笑った。
きっとそうだ。
デパートのショーウィンドウには、そのときのカタログのページにあったブランドのロゴも描かれている。茜は人の波に乗り、デパートの中へと入っていった。
「…………」
天井から下がる、屈折率を上げた硬化ガラスの切り子細工のシャンデリアが、キラキラ光っている。その光を弾く、様々な化粧品のサンプルのカプセル。両親学級の教室、そっくりの香りが漂う中を、人の波が階上への昇降床、地下のグルメ街への移動床、沢山の3Dモデルがポーズをとって、高級そうな服を着て立っているブランド専門店に流れていく。その中で茜はぽけ~と立っていた。
宇宙駅・神田駅に併設された、高級デパート。裕福な星間旅行者を顧客としたデパートに並んでいる商品は、田中家が普段買い物をする、神田駅前商店街に並ぶ商品より、どれもゼロが二つ、三つ多い。
以前、父母に連れられて来たとき、兄が『何か、オレここ怖い……』と値札を見て、顔を真っ青にして以来、訪れたことのない場所に戸惑いつつ、茜はピカピカに磨かれた重厚な壁の側に置かれた、デパートの案内ホログラムの前に立った。
「えっとぉ……」
指でホログラムを回したり、拡大したりしながら、猪吉に見せられたカタログのブランド名を探す。
「二階だ」
茜は階上に向かう昇降床に向かった。淡く緑と赤に交互に光る床が、客を乗せ、オーナメントが飾られ、ペイントが施された透明なチューブを上下している。その入り口の前には、乗り降りを待つ人の固まりが出来ていた。一番後ろについたとき
「ちょっと良いですか?」
若い男の人の声が背後から掛かる。
「はい?」
茜が振り向く。そこには紺色の警備員らしい服を着た、ひょろりとした男の人が立っていた。
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