積み重ね

 ジャスが家に来たのは、まだ父が生きていたときだ。母の育休が終わって、仕事を再開したときに、姉の子守と家事サポート用に買ったらしい。それからオレが生まれ、オレが五歳のときに一度機体を交換した。

 そのときは、まだ新しい機体にメモリーと感情プログラムを移す、ということが解らず、リサイクル業者のトラックに乗せられたジャスを、オレは泣きながら追い掛けた。

 二度目の機体交換は父が亡くなって九年経った、十五歳のときだ。家事ロボットの仕組みが、もう理解出来ていたから取り乱したりはしなかったけど、それでも移行の際のバグ取りの結果、ジャスがジャスのままで帰ってくるのか、心配していたことを覚えている。

「二度目のときは、もうあの性格だったよな……」

 となると、オレが五歳から十五歳になるまでの間に、切っ掛けがあったことになる。

 オレは、ゆっくりとデスクの上に置いた冷めたコーヒーを啜った。ブラインドの隙間から気象管理センターが再現した、八月の強い夕日が射し込んでくる。

 今日は、今日中にどうしても出さなければならない見積書があるのだが、それは今、外出中の同僚が帰ってこないと作れない。定時を終えたオフィスは、人がまばらに残っていた。

 既にジャスには、残業で遅くなることは伝えてある。

 バリカの向こうで『解りました。御夕食はどうしますか?』と相変わらず抑揚の無い声でヤツは答えていた。

 感情プログラムの無いジャスとの生活は、胸のモヤモヤが納まらないまま、次第につまらないものになっている。ここ数日、帰りはついつい寄り道をして、夕食も外で食べていた。

 ……今夜もそうするか……。

 バリカを耳に当てて話していた部長が、オレを呼ぶ。

「もうすぐ帰ってくるらしい」

「そうですか」

 部長は通信を切り、モニターに書き掛けの見積書を開いたオレに尋ねた。

「お前のところのジャスは、まだ戻らんか?」

「はい」

「うちも、そろそろ娘が『いつ戻るの?』って言い出してな……」

 それまで自分に優しくしてくれていたロボットが、まさに機械的にしか接しなくなったことが、段々辛くなってきたらしい。

「どうやら、先日、工場群のロボットが元に戻ってな。それを夏休みの登校日に学校で友達から聞いたのか大泣きされた」

 参ったように眉を下げる部長に、オレは思わず振り向いた。

「工場群のロボットが戻ったのですか!?」

「例のオペレーターが、対策プログラムを完成させたようだ」

 工場群のロボットは、管理システム『KIKUITIMONZI』を通して、星間ネットに繋がっている。工場群が共有している、膨大で貴重な修理データを出来るだけ、コロニー外部から接触させないようにする為の処置だ。

 工場群のロボットは、腕は確かだが頑固者や偏屈者が多い技術者達のマスコット、良い緩衝材になっているものが多い。そのロボットが感情を失って、人間関係にトラブルが出始めたので、オペレーターが至急、対策プログラムを組み、『KIKUITIMONZI』に組み込んだのだという。

「『意地悪だったけど、意外と簡単なウイルスだったよ』だそうだ。まあ、あのオペレーターの『簡単』はアテにはならんが……」

 やれやれと部長は肩を竦めた。

「家庭のロボットの感情プログラムは、その家庭であったことの積み重ねから生まれたものだから、それが無くなると本当に寂しい、と妻も落ち込んでいる」

『寂しい』その一言がすとんと胸に落ち、オレはずっと感じていたモヤモヤが何だったのか、ようやく解った。

 ……そっか、オレも部長の娘さんや奥さんと同じで、機械的に接してくるジャスが寂しかったんだ……。

『ジャスはさ、生まれたときから面倒を見ているアンタが一番好きだからね』

 姉の言葉が聞こえてくる。

「ただいま帰りました!」

 オフィスのドアが開く音と同時に、にぎやかな同僚の声が入ってくる。自覚した途端、更に胸に寂しさが広がり、オレは小さく息をついてパネルを叩き始めた。



 日曜日。相変わらず元に戻らないジャスの用意した、朝食を食べ、今日は昼食と夕食は外で済ます、と言ってオレは出掛けた。

 昔、中学生の終わりまで住んでいたコロニーの北地区に足を伸ばす。

 姉と違って、オレは中学に上がる頃には特撮ヒーロー物を卒業していたから、切っ掛けがあったとすれば、小学生時代だ。懐かしい母校の小学校を訪れ、周囲の住宅街に苦笑する。

 北、東地区の住宅街はコロニーが作られた当初の家が多く、本当にここが宇宙空間に浮かんでいるとは思えないほど、レトロな造りの家が多い。

 そういえば、カイナックから、こっちに引っ越してきたときは、余りにレトロな町並みに住む同級生をバカにしてしまって、クラスからハブられたことがあったな……。

 他にも商店街のアーケードとか、東西にあるお寺とか、海神を祭った神社をバカにしまくって、クラス全員から一時的に無視された。

 今思えば、転げ回りたい程の黒歴史だ。全身に走るむずがゆさに、足早に小学校を離れ、通りを行くと、子供達のにぎやかな声と共に、小さな個人商店が見えた。

「うわっ! まだ、この店あったんだ!?」

『駄菓子一銭屋いっせんや』。丁度、小中学校の通学路の交わる位置にある店は、子供向けのお菓子と一銭焼きという小さなお好み焼きを出す店だ。

「懐かしいな」

 おまけのくじをスキャンして、はしゃぐ子供達の間を抜け、店に入る。ジュースケースには色とりどりのパックに詰められたジュース。一個単位で売られている小さな飴やチョコや乾き物に、遠い昔、地球の国際宇宙ステーションで食べられていたという宇宙食。ジューンと音がして、奥を見ると部活帰りか、ジャージを来た中学生と、小学生の一団が、ヒーターの仕込まれたテーブルで、一銭焼きを焼いていた。

 夏の日差しの中を歩き回り、喉が乾いたのでジュースを買う。店の外で飲んでいると、隣で同じようにジュースを飲んでいた小学生がカードを耳に当てた。

「もしもし……英樹、今から野球しない?」

 今でも、自分の身体を思いっきり動かして遊びたい子供は一定数いるらしい。

「あ、皆で映画に行くんだ。何? 何を見に行くの?」

 ちょっと残念そうな顔をした後、少年が通話の向こうに訊く。

「ジャステリオン!? 良いな! オレも母ちゃんが非番の日に行く予定なんだ!」

 通話口から弾んだ声が漏れ聞こえる。

 ジャステリオン……確か姉がジャスに毎週バックアップ用の録画を頼んでいる星間ネットの特撮ヒーロー番組だ。

 姉の話だと、古風なヒーローのお約束と現代的な設定とドラマが見事に融和して、子供だけでなく大人にもヒットしている番組だという。

「じゃあ、また、今度な!」

 少年がバットを担いで、去っていく。

 ジャステリオン……、そのときオレの頭の中にある光景が浮かんだ。

 オレの前で姉が作った、厚紙の丸いパラボラを着けて、はしゃぐジャス。

『尊様! ほらほら、こうするとシャンデリアンのマスコットキャラにそっくりだよ!』



 家に帰るとPCを立ち上げる。カイナックの姉の家と通信し、母にIDとパスワードを確認すると、オレは家族で使っているクラウドストレージにアクセスした。

 ストレージの中には、母がマンションを出るときに、持って行った家族の写真がアップロードされている。離れていても、いつでも見られるように、年ごとにアルバムに分けて、簡単な説明文付きで整理されていた。

「本当に赤ん坊の頃から、いつもジャスと一緒だったんだな……」

 姉の言うとおり、オレの写真には、ほとんどヤツが写っている。

 北地区に引っ越したのは、確か小学校四年生のとき。その年のアルバムを開くと、ちょっと暗い顔をした少年が写った写真が沢山出てきた。

「あーあ、情けない顔してるな」

 今なら自業自得だと反省も出来るが、その頃は『オレは間違ってない!』と思い込んでいたから、謝るのもシャクで一人ぼっちの学校生活を送っていた。

 そんなオレの横に、記憶にあった手作りパラボラを着けたジャスが写っている写真がいくつもあった。

「マスター、御夕食はいかが致しますか?」

 予定より早く帰ってきたオレに、ジャスが聞きにくる。

「あー、悪いけど家で食べるから用意してくれ」

「かしこまりました」

 ふよふよと背を向けて、キッチンに向かうヤツをオレは呼び止めた。

「ジャス、これ、覚えているか?」

 カメラアイがモニターを見る。

「はい。マスターが九歳の頃、転校後、御学友とトラブルを起こされたときのお写真ですね。彩絵様と私で御慰め致しました」

「そうなんだよ。毎日ふさいで帰ってくるオレを、好きだったヒーロー物のキャラクターで、お前と姉貴が慰めてくれたんだよ」

 当時、流行っていたシャンデリアンというヒーロー物には、マスコットキャラクターに、ふわふわ浮かぶパラボラを着けたロボットがいた。それをジャスに真似させて、姉がオレを元気付けようとしたのだ。

「姉貴らしいよな。で、真似したジャスとオレが遊んでいるところを見た、クラスメイトが少しずつ、声を掛けてくれるようになったんだ」

 ジャスが上手く、キャラクターになりきってくれたのもあって、これを切っ掛けに、クラスメイトとオレは仲直りすることが出来、ようやくクラスになじめるようになったのだ。

 そのときのクラスメイトのうち、何人かは今でも友人として付き合っている。

 ジャスにしてみれば、自分が正義のロボットの真似をして、振る舞うことで、オレがまた明るいオレに戻ったという、とても重大な出来事だったのだろう。その成功例がジャスの感情プログラムに深く根付いて、そこから正義のロボットに憧れるという性格が生まれたに違いない。

「家庭であったことの積み重ね……か」

 まさにジャスの、あの性格はオレの為。そして、オレがいると暴走気味になるのも、家に客が来ると更に暴走するのも、未だにジャスなりに、あの頃のようにオレを励ましたり、友人との仲を取り持とうとしたりしているのだ。

「……ったく、もうオレはいい大人だっていうのに……」

 思わず苦笑する。オレは隣で浮かびながらモニターを見ているジャスの頭に手を乗せた。

「……早く感情プログラムを立ち上げられるようになると良いな。ジャスがジャスでないとオレは寂しいよ」

「はい、多分、『ジャス』も、そう思っているでしょう」

 ヤツの基本表情のまま揺るがない顔の表面に、子供のオレとジャスが笑い合っている画像が写り込んでいる。

「もう少し、一緒に見てくれ」

「はい」

 ふわりと頷く。オレは写真をクリックしながら、ヤツの丸い頭を撫でた。

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