宇宙駅『神田』人情奇譚

いぐあな

深海狂想曲

「もう! しゅうくんたら、いっつも自分が、どうにかすれば良いと思っているんだから!」

 小さな女の子を二本の触手で背中に抱えた、灰色の小型ドラム缶そっくりの触手少年が走っていく。

「なんで僕、こんなに足が遅いのかな……」

 泥を蹴散らしながらも、のたのたとしか動かない四本の触足。友人の少年と、彼を追う男の姿は、とうに暗い海底の水の向こうに消えている。涙目になるファボスに女の子が声を上げた。

「ファボちゃん、アレ!」

 闇の奥から大きなウバザメが泳いでくる。

「確か、アレはライド用の……」

 腹側の触手で、空間をつつきパネルを出す。ファボスは触指を巡らせ、ウバザメに来るように命令した。



 カイナックのラグランジュポイントに浮かぶコロニー、宇宙駅『神田』の大手町には、夏休みに海水浴の町内行事がある。『神田』からシャトルに乗って、カイナックの静止衛星軌道上の宇宙エレベーターの発着場へ。そこから地上に降りて、海辺のホテルで過ごす二泊三日の行事だ。

 個人だと移動でかなりの旅費が掛かるが、参加者を募って団体割引を使えば、ぐっと押さえることが出来る。しかも、宿泊ホテルから団体客用の休憩所が借りられるとあって、子供のいる家庭に人気の行事だった。

『……でね、うちも、そろそろ参加しようかなぁとけんくんと話していたら、さくらがファボちゃんも一緒に行くって言い出して』

 休日の昼下がり、『準備中』の札を出した福沢食堂のテーブル席で、和菓子屋、青雲堂せいうんどうの季節限定、マスカット大福を持ってきた奈緒なおが困ったように弟の秀の淹れた茶をすする。

 桜は秀が養子になった福沢家の次女の彼女と、ファボスが養子になった神林家の長男、健二けんじとの間に生まれた今年三歳の女の子だ。桜はファボスが大のお気に入りで、彼女にとことん甘い彼も、すっかり行く気になっているらしい。奥のリビングで父母と遊ぶ姪っ子の声を聞きながら、秀もまた眉をひそめた。

『アイツ、海がどんなところか知っているのか?』

『多分、桜の話だけ聞いて大きなお風呂と勘違いしているんだと思う』

 ファボスの出身星、恒星ポルス系第四惑星マルクには、地下水湖とそれを繋ぐ地下河しかない。そこで誕生し、砂嵐が吹き荒れる惑星表面の岩影で進化したマルク星人は水が大の苦手だ。『神田』に来た当初、雨すら怖がったファボスを、このまま海に連れて行けばパニックを起こすのは間違いない。

『これは準備が必要だな』

 そこで、秀と奈緒は桜とファボスに海を体験させようと仮装空間『Sheep-World』のマリンパークに来ていた。

「さて、どこから行こうかしら」

 入り口のエントランス広場に四人のアバターが揃ったところで、奈緒が目の前の空間を指でつつき、ガイドパネルを出してエリアマップを広げる。

「まずは珊瑚礁エリアで熱帯魚と遊ぶのはどうかな? その後、海洋エリアでいろんな魚を見て、最後に海岸エリアで実際に波が打ち寄せる砂浜を体験……」

「奈緒さん、僕、深海エリアっていうのに行きたい!」

 横からマップを覗き込んで、ファボスが単眼をきらめかす。

「オレもそっちが良いな」

 サンプル映像を眺める二人に

「え~! さくらはくらいし、きみわるいからいやぁ~!」

 桜が抗議の声をあげた。

「男の子は深海エリアの方がいいかな? じゃあ、秀とファボちゃんは深海に、私と桜は珊瑚礁にしましょう。一時間後に海洋エリアのゲートで待ち合わせね」

 テキパキと奈緒は決めると桜の手を握った。

「……興味があることから体験した方が、怖さが薄れるかもしれないから……」

 義弟の耳にそっと囁く。

「解った」

「じゃあ、後でね」

 二人の姿がゆらりと揺らめいて消える。秀とファボスはマップから深海エリアにアクセスし、ゲートへと飛んだ。



 チュン!! 鋭い水を切る音と共に海底に積もった泥が跳ねる。

「……たく、剣だけじゃなくて、銃まで持っているのかよ」

 普通の少年なら足がすくんでしまう状況だろうが、秀はジグザグに走りながら逃げる。

「元スペチルをなめんな。本物を向けられたこともあるんだから……」

 養子になる前、秀は宇宙版ストリートチルドレン、宇宙船に密航して短いスパンで星々を巡る、スペースチルドレンだった。宇宙時代のアウトローの底辺として修羅場ならかじったことがある。

 目の前に横たわる沈没船が見えてくる。秀はその船底に開いた穴に飛び込んだ。



 ゲートを潜った瞬間、水に入ったような感覚が全身を覆う。

「大丈夫か?」

「うん。だってVWバーチャルワールドでしょ」

 ファボスの答えに、これは体験にならないかもな~と苦笑しながら秀は周囲を見回した。

 深海エリアは人気があるのか、薄暗い海底には老若男女様々な人が来ている。背に乗って移動するライド用の深海サメにはカップルの姿もあった。

「あ! デメニギスだ!」

 図鑑に変えたパネルを見ながら、ファボスが声を上げる。

「メガマウスに乗るには二時間待ちか……」

 パネルに浮かんだ待ち時間に秀が顔をしかめる。

「ライドは諦めた方が良さそうだな」

 二人でエリアを歩き始める。

「スゴイ! マッコウクジラの骨だっ!」

 様々な生物をまとわりつかせた海底に横たわる白い巨大な骨。真っ白なカニが大量に集う枕状溶岩石に覆われた煙をあげるチムニー群。光りながら、たゆたうように泳ぐクシクラゲ、鎮座するタカアシガニ。奇妙な深海の地形と生物を堪能していると、秀が図鑑の端のエリアマップのウィンドウを指した。

「お、沈没船があるらしいぜ」

「大航海時代の帆船かぁ~」

 うきうきと向かう二人のパネルが突然、サイレンと共に赤く明滅する。

「『Sheep-World』システム管理からのお知らせです。不正アクセスにより武器ツールを持ったダイバーが侵入しました。これより危険度の高いエリアから順次にお客様をログアウトします。お客様は今いるエリアから移動されないようにお願い致します」

 緊急事態用の必要以上に落ち着いた合成声のアナウンスがパネルから流れた。

「不正アクセス?」

「料金を払って正規のアクセスポイントから、じゃなくて、誰かが勝手にダイブしてきたんだよ。うわぁ~、ゲーム空間の武器ツールを持ってきている……」

 ファボスがパネルを触指で叩いて、詳細を確認する。

「ヤバイのか?」

「僕達は今、アバターだから撃たれたりしても実際の身体は傷つかないけど、襲撃される体験が下手すると心的外傷トラウマになるかもしれないから……」

 それで運営が客を避難させる処置を取っているらしい。周囲からも不安そうな声が聞こえてくる。

 そのうちの一つのパネルの光がゆっくりと動いて、二人の向こうを移動していく。と同時に「お母さん……お父さん……」小さな泣き声も聞こえる。

「おい、ファボ」

「うん」

 二人は光を追い掛けた。



 その光の子が今、ファボスが背負っている女の子、由香ゆかだ。二人は迷子になっていた彼女を保護したとき、彼女を狩りの獲物にしようとしていた不正ダイバーと出くわした。

 派手にパネルのシャッター音を鳴らし

『犯罪者激写っ! 運営にチクられたくなかったら、追ってきなっ!』

 由香を自分に渡して、男を煽って走り出した秀を思い返しながら、ファボスはライド用のVCバーチャルキャラクターウバザメに乗って、秀のアクセス№を入力し追尾させる。

「すごく早いね」

「うん、速度規定を外したから……」

 操作パネルのプロテクトキーを外し、管理者モードに変えたパネルを叩きながら、ファボスは答えた。更にウバザメのプログラムを探る。

「あ、良いもの、みっけ」



「……繋がらないな」

 緊急事態にアクセスが殺到しているのか、運営スタッフに連絡がつかない。沈没船の宝箱の影に隠れた秀は顔をしかめてパネルを消した。

「みぃ~つけた」

 思わず身を堅くする。

 どうやら想像以上にパネルの光が漏れていたらしい。コツコツと木の板を踏む足音に秀は立ち上がった。

 男が銃を剣に変える。

「こんなことして何になるんだ? 切られたって痛くもかゆくもないんだぜ」

「それでも、そっちは恐怖を感じるし、こっちは切り刻む快楽を感じる。しかも、リアルと違って罪にはほとんどならない」

 にんまりと笑う男を秀は睨みつけた。

「変態が!!」

「ビーストの分際で生意気な口を叩くな。今、狩ってやる」

 何かのアドベンチャーゲームのキャラクターの名前を口にして、男は楽しげに剣を構えた。

 長い耳に半袖のデザインTシャツの袖から延びる、肘から手の甲まで毛の生えた腕。獣人型の星人と地球人の人工ハーフの秀の容貌を見て、男は勝手にゲームの敵キャラに当てはめたらしい。船室内を泳ぐ深海魚の発する淡い光に鈍く光る剣先を秀は睨んだ。

 少しくらい切られても、オレなら多分大丈夫。正面から相手にぶつかり、ひるんだ隙に脇を抜けて逃げよう。

 秀が一歩踏み出す。そのとき、男を弾き飛ばして、ウバザメが入り口から飛び込んできた。

「秀くん!!」

 ファボスと由香が降りてくる。

「バカ!! 何で来たんだよ!!」

「バカは秀くんでしょ!! 何で一人で囮になろうとするの!!」

 怒鳴る秀に、ファボスが触手を振り回す。言い争う二人の向こうで男が起き上がった。

「お前……シーアネモネの分際で……」

 ファボスも何かのキャラに当てはめたらしい。憎々しげな視線を送る男に

「僕、水生浮遊生物系じゃなくて、陸生表着生物系触手型星人なんだけど……」

 ファボスが真面目に間違いを指摘する。

「そんな場合かっ!!」

 二人をかばおうと前に出た秀を見て、ファボスは由香に呼び掛けた。

「由香ちゃん!」

「うん!」

 二人で拳を突き上げる。

「チェンジ! ウバちゃん!」

 ウバザメが声に合わせ、姿を変える。サメの頭部はそのまま、ヒレから下が消え、二本の足が床を踏みしめると、下半身が屈強な男の身体に変わる。

「スゴイでしょ! この子、前は期間限定イベントの海賊のVCやってたの! そのコードが残っていたから、ちょっといじってみたんだ!」

 喜々として告げるファボスに「どうやって……」と言い掛けて秀は口をつぐんだ。母星の外貨稼ぎに作られた、プログラマー特化型のデザインチャイルドのファボスなら、レジャー用VCの組み替えなど朝飯前だ。

「バカか……」

 男が鼻で笑う。

「VCは人に危害を加えられないんだぜ」

「ううん」

 ファボスが触手を振る。

「VCはお客様のアバターを襲わないだけ。そして、お客様かどうか判断するのは、アクセスしたときアバターに埋め込まれる、正規のアクセス№を使うんだ」

 ぴっと男を指す。

「で、お兄さんは不正アクセス」

「あ……」

 三人が拳を突き上げる。

「やっちゃえ! ウバちゃん!」



「バイバイ! ファボちゃん! 秀兄ちゃん!」

 何度も頭を下げる両親に向こうで由香が手を振る。

「ズルイ! さくらも、うばちゃんとあそびたかった!」

 怒る桜をなだめる二人を連れて、奈緒は『Sheep-World』を出た。リアル……といってもコロニー内だが、光があふれる通りを歩く。

「……不正ダイバーは無事捕まったらしいけど……」

 元スペチルの秀と、遺伝子操作受精卵から、商品として養育されたファボス。大人の勝手に振り回された二人の少年の行動は、まだまだ危なっかしい。

「二人で解決しようとせずに、エリアにいた大人達を頼ってくれたら良かったのに……」

 息をついて、奈緒は振り返った。

足立あだちさんのフルーツパーラーに寄って帰ろうか?」

 だからこそ、二人は今、『普通』の子供時代を『神田』でやり直しているのだ。

「奈緒姉、オレ、パフェが良い!」

 ようやく見せるようになった、幼い笑みを浮かべて秀が走り出す。

「僕、ワッフル!」

「さくらは、ぱんけーき!」

 奈緒を追い越して三人が駆けていく。

「……そのうちきっと、ね」

 背を追って、奈緒は小さく微笑んだ。

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