駄菓子屋狂騒曲
「本当に、英樹が『神田』に来てくれて良かったよ。この時期はいつも一人ぼっちでさぁ~、退屈だったんだ」
夏の眩しい光の中を小学生の少年が二人、人気の少ない住宅地の通りを歩いている。地球歴八月の中旬。この時期、太陽系第三惑星の島国出身の人達は二週間ばかり『お盆休み』というバカンスを取り、帰省や他コロニー、母星や他星系へ旅行をする者が多い。それは、恒星レント系、第四惑星カイナックのラグランジュポイントに浮かぶ宇宙駅『神田』も同じで、残っている子供は、親の仕事でどこにも出掛けられない子がほとんどだった。
「うちの母ちゃんは、お盆に休みがなくて」
「うちも。何か、納期の短い仕事が入ったみたいで、父さんが『今年もすまんな……』って」
さっきまでキャッチボールをして遊んでいた友人の
英樹は三年前、ここ『神田』の北区の工場町にある『田中機械部品製作所』の
「オレも茜もちっとも気にしてないのにさ」
塀を曲がり、角にある小さな個人商店に二人は入った。
『駄菓子・
ジュースケースから遼はコーラを、英樹はサイダーを取る。
「おばちゃん、一銭焼き、ちょうだい」
声を掛けると、おばちゃんはカップを二人分出した。
「何にする?」
「オレ、チーズとウインナー」
「オレは……コーンと干しエビを入れて下さい」
一銭焼きは粉と水を混ぜた生地に、好きな具を二つ選んで入れ、店の奥の座敷席に置かれた、ヒーターが仕込まれたテーブルで焼いて食べる。おばちゃんからカップを受け取ると二人は代金を払い、奥に向かった。
「
二つあるテーブルの一つに見慣れた人影がある。
髪から突き出た長い耳と、半袖から伸びた肘から甲まで、茶色の毛が生えた腕を持つ、英樹の兄貴分の少年と灰色の小型ドラム缶のような身体をした、陸生表着生物系触手型星人の少年。
秀が見ていた多機能万能カード、バリカを、ファボスが自分用の端末『KOTETU』をスリープして振り向く。
「英くん、遼くん」
「お前達もこっちで焼くか?」
席をずらし、目の前の自分達の一銭焼きを端に寄せて、誘う二人に
「うん!」
英樹と遼はいそいそと隣に座った。
「秀もファボも、ここのところ連日、昼はうちに居っぱなしなんだよ」
美味しそうに一銭焼きを食べる子供達に目を細めながら、おばちゃんが笑う。
「『オベロン』にでも遊びに行けば良いのに」
「『オベロン』なんて行ったら、一日でお給料使い果たしちゃうよ」
ネギとチーズの入った一銭焼きに甘口のソースを塗って、頭頂の口に運びながら、ファボスがとんでもないというように触指を振る。
カイナックコロニー群の第一コロニーである『オベロン』は星間一流企業オベロンの本社兼、社員の居住用コロニーだ。高給取りの人々が住む『オベロン』で売っている物はどれも『神田』のものより一桁高い。
「秀は『オベロン』に
「翔子姉は今、カイナックにいるんだ。リゾートホテルの系列レストランの手伝いに行っている」
秀の一番上の姉、翔子は『オベロン』の一流レストランで修行も兼ねて働いている。
「バカンスシーズンが終わったら、休みをとって帰ってくる予定なんだ。翔子姉、オレといると、すぐにあれこれ『買ってあげる』が始まるから、『オベロン』では会い辛くてさ」
翔子は家族の中で一番、秀を猫可愛がりに可愛がっている。今、彼が着ている服も夏前に翔子が次姉、
「オレはこのくらいが楽なんだよ」
ソーセージとネギの一銭焼きを酢醤油に付けて口に運ぶ。
「『このくらい』とは、言うねえ」
「うそうそ! おばちゃんの一銭焼き、最高!」
睨むおばちゃんを、秀が箸を振って、慌てて取り繕った。
一銭焼きを食べ終わり、ヒーターを消したテーブルに、今度は店から買ってきたお菓子を広げて、四人の子供達が好き好きにつまみ合っている。
店の前に黒い影が差す。キキッ!! 自転車のブレーキ音が鳴り、小柄な老爺が飛び込んできた。
「ファボ、いるかっ!!」
「いるよ~」
ファボスが触手を高く上げて振る。老爺は老いを感じさせない動きで座敷席に駆け込んだ。
「どうしたんだい? 会長」
炎天下を全力で自転車を漕いできたのか、汗びっしょりの姿に、おばちゃんが麦茶を持ってくる。
「ひったくりが出た! 商店街を逃走中だ!」
彼は神田商店街会長の
「ファボ、探索を頼む!」
ファボスは単眼の横に張った白い小型端末をつついて、『KOTETU』のホログラムスクリーンを広げた。
「前田のおじいちゃん、商店街のお店に一斉緊急通信は?」
「した」
「
「やった」
「OK。じゃあ、今日のアクセスコードを教えて」
触手を十本の触指に分け、パネルを叩き、毎日変わるアクセスコードを聞いて打ち込む。ファボスはオペレーターを任されている神田商店街管理システム『OSAFUNE』にアクセスした。
「事件はいつ、どこで?」
「三十分ほど前、東通りの鶴さんの店の前でだ」
「犯人と被害者の人物像は?」
「鶴さんの話だと、犯人は30代前半の大柄な男。被害者は60代の女性だ。肩掛けバッグの持ち手を切られて、奪われたらしい」
「……刃物持っているのかよ……」
清輝の言葉に秀が顔をしかめる。ファボスはテキパキと『OSAFUNE』に指示を出した。
「『OSAFUNE』、二時半頃の
『KOTETU』の画面に次々と該当画像が貼られていく。
「ファボ、こういうひったくり犯は、被害者と目を合わさないように、後ろや横から近づく奴が多い」
元スペチルで、世慣れた秀が、次々と違う画像を消させていく。
「これじゃないか?」
指したのは60代の身なりの良い女性の後ろに大柄な男が立っている画像だ。
「男の手がバッグの持ち手の近くまで伸びて光っている。……多分ナイフの刃が日の光を反射してるんだ」
宇宙空間に浮かぶコロニーでは、レント星系宇宙軍の兵士でも、高エネルギーを発生する武器の持ち込みは禁止されている。後ろ暗いことをしたい者が、厳しい入管検査を抜けて武器を持ち込むには金属製の刃物が一番簡単なのだ。
ファボスが画像を拡大する。
「本当だ」
そこには、男が刃でバッグの持ち手を切る瞬間が映っていた。
「『OSAFUNE』、この男の顔を映像から360度、拾って。それを使って首から上の3Dモデルを作成」
しばらくして、スクリーンに男の頭部の3Dホログラムが現れる。ファボスが商店街の緊急連絡網を使い、目撃者の鶴丸商店の店主に映像を見せて確認を取る。すぐに『ファ坊、そいつだ』返事が返ってきた。
「『OSAFUNE』、商店街の全商店と駅前交番に犯人の顔を一斉送信」
スクリーンに送信中のマークが回る。マークが消えると
「さてと」
ファボスは更にパネルを叩いた。
「顔認証システムを使って、防犯カメラの映像から、犯人がどこに行ったか追っていくね」
スクリーンが商店街の地図に変わる。
ぼつん。鶴丸酒店の前の防犯カメラが赤く光る。男の映像が映ったカメラだ。赤い光点は時間を追うごとに北上し、やがて商店街の北へと抜けていった。
「あ~あ」
こうなると『OSAFUNE』では足取りを追えない。
「前田のおじいちゃん、香さんに連絡して、『MASAMUNE』配下の防犯カメラの映像を調べて下さいって、コロニー管理局に頼んでくれないかな?」
コロニーの管理システム『MASAMUNE』にアクセスするには、警察とコロニー行政機関の許可が必要だ。ファボスの頼みに「おう」清輝がバリカの通話ボタンをタップする。
「刃物を持って、まだ、うろついているのかね……」
消えた光点におばちゃんが不安そうに呟く。秀が弟分とその友人を振り返った。
「英樹、遼、犯人が捕まるまで、この店にいろよ。おばちゃん、店のドアに鍵を掛けて」
北東に逃げたとなると、一銭屋も十分逃走先の範囲に入る。
「解ったよ」
おばちゃんがレジの内側にある、自動扉の開閉ロックを操作しようと座敷席を離れた。
シュー……。自動扉が開く音が響く。
バタバタッ!! 何かがまた飛び込んでくる。
「きゃあっ!!」
「おばちゃんっ!?」
悲鳴が店内にこだました。
「動くな!! 動くとこいつを刺すぞっ!!」
胴間声が店内に響く。駄菓子を並べた棚の影から、大柄な男が、太い左腕におばちゃんを抱え込み、右手でナイフを顔前に突きつけながら叫んだ。
「あっ!! ひったくり犯の……」
3Dホログラムそっくりの男に、思わず声を上げた遼の口を英樹が押さえる。秀が『KOTETU』のスクリーンを切った。
「ちっ! 何でこんなに手配が早いんだ……」
耳にはめ込んだインカムで警察の通信を盗聴しているらしく、男が忌々しげに舌打ちをする。
どうやら、素早い犯人の特定と捜索網の動きに、逃げきれないと悟ったらしい。
「ガキにババアにジジイか……人質にちょうど良い……」
立てこもり、人質を盾に逃げることにした男がニヤリと笑った。
「……だから、警察通信の暗号をもっと早くバージョンアップするように言ってたのに……」
ファボスがぼそりと嘆く。
「おい! お前等、バリカを出せ! そこの触手のガキはその端末をだ。全部まとめて、そっちの二人のガキのどっちかに持ってこさせろ!」
男がまず全員の通信手段を絶つ為、ナイフをちらつかせながら要求する。
「ヒッ!!」
おばちゃんの悲鳴に、急いでバリカを出し、ファボスが『KOTETU』を単眼の横から外した。
「……オレが持っていくよ」
英樹が座敷に座り込んで、顔を青くして固まっている遼のポケットから、学校で任意で配られている、児童カードを抜き、自分のを重ねる。
その上に秀と清輝のバリカ、そしてファボスの『KOTETU』も重ねる。まとめて持つと、立ち上がり、座席席を降りて、靴を履きながら、男に気付かれないように、遼のカードの横の緊急連絡ボタンを押した。
児童カードは、違法サイトの閲覧や保護者の同意無しの契約や課金を禁止するアプリの他に、子供を狙った犯罪から身を守る為の機能がいくつもついている。
カードの横に設置されている緊急連絡ボタンもそうだ。一定秒数長押しすれば事前登録された通話番号に一斉に発信する。放課後、遼と一緒に先生にカードを使い方の説明を受けたとき、英樹は彼がこのボタンに誰を登録したのかを知っていた。
微かにカードが震えて発信完了を伝える。英樹は男の元に歩いていくと差し出した。
「よし、こいつと交代だ。お前が人質になれ。ババア、お前は奥に行っていろ」
ふくよかなおばちゃんより、小柄な英樹の方が人質として御しやすいと考えたのだろう。おばちゃんを奥に突き飛ばし、ナイフを翳したまま、カードを服のポケットに入れる。そして、英樹の腕を掴み、引き寄せ、首に左腕を回して押さえ込んだ。
「英樹!!」
叫ぶ秀に「黙っていろっ!!」英樹の顔にナイフを向けて怒鳴る。
「……ごめんね、英樹くん……」
おばちゃんが腰が抜けたのか、はうように座敷席に向かう。清輝が腕をつかんで座敷に引っ張り上げた。
『オレは大丈夫』
英樹は目で皆に告げた。
英樹も六歳でスペチルになってから二年間、ときには危ない橋を渡っている。ぐっと腹に力を入れて、無理矢理、恐怖を押さえ込む。英樹は横目で男のポケットに入れたカードを見詰めながら祈った。
プルルル……。
突然、男のポケットが鳴る。
「なんだっ!!」
男が左手にナイフを移し、英樹を抱え直すと、右手をポケットに入れ、鳴っているカードを掴み出した。
遼のカードだ。画面が赤く光っている。
『あれは緊急連絡に応えた返信の着信画面だ』
それを見てファボスが、いつも声代わりに使っているテレパシーを、男だけ聞こえないように調整して皆に告げた。
『もしかして、英くんがしたの?』
英樹が目で頷く。
「なんだっ!! これ切れねぇぞぉっ!!」
男が何度も画面をタップするが着信音は止まない。
『緊急連絡の返信はカードの持ち主の生体認証が無いとダメなんだ』
持ち主である子供が登録した生体認証を照合しないと応えることも、切ることも出来ない。
『そして……』
「音がどんどん大きくなりやがるっ!!」
『一定時間、持ち主が応えないときは、返信者にカードの位置を発信した後、周囲に緊急事態が起こっていることを知らせる為に音をどんどんボリュームアップする』
店中にわんわんと響き始めた着信音に男が焦り出す。
「このままじゃあ、外に気付かれてしまうっ!!」
必死に画面を何度もタップする。とうとう切ることを諦めて、床にカードを叩きつけ、足で踏みにじって壊そうとする。そのとき、完全にカードに気を取られた男のナイフが英樹から離れた。
「今だっ!!」
秀が座敷席から飛び出す。ファボスが触手を伸ばし、男の左手首に巻き付け、ぐっと引っ張る。大きく離れた左手に秀が飛びつき噛みついた。
「うっ!!」
ナイフが床に落ちる。英樹が蹴り飛ばし、棚の下に滑り込ませる。
「このガキっ!!」
男が秀と英樹に右の拳を振り上げる。
「ファボ、アッパーだっ!!」
「えいっ!!」
ファボスが触手をもう一本伸ばす。
『お前ならこれで大の大人でもしばらく動けなく出来る』
以前、秀に教えられたように、男の顎を下から上に打ち抜く。
砂嵐の吹く惑星表面の岩影で、根を張るようにしがみついて生息する生物から進化した、ファボスの触手は筋肉の束だ。男が大きくのけぞり、二三歩後ろに下がった後、尻餅をつく。
その隙に秀は英樹の腕を掴んで座敷席に逃げる。二人が飛び込むと、ファボスは皆を庇うように前に立ち、八本、全部の触手を出して、うねうねと男に向かって牽制するように動かした。
男がふらつきながら立ち上がり
「お前等……」
怒りつつも、素手では立ち向かえない相手と解ったのか、身を翻す。
「店を出て、別の人質を探すつもりだっ!」
秀が叫ぶ。そのとき、また自動扉の開く音が響いた。
「母ちゃんっ!!」
遼が入ってきた人影を見て、声を上げる。
「母ちゃん?」
男が新しい人質候補に、唇を歪めて笑う。
「うぐっ!!」
その鳩尾に鋭い拳の突きが入った。男の息が止まる。と、同時に身体が空に舞った。
スダンッ!! 投げられ、床に叩きつけられ、したたかに背中と腰を打って目を剥く。身動き出来ない男の右手首にガチャリ! 金属音が鳴り、そのまま転がされ、背中に回された左手首にまた金属音が鳴った。
「被疑者、確保っ!!」
凛とした女性の声が聞こえる。男がなんとか顔を上げるとそこには
『アレにだけは関わるな』
仲間から散々注意された駅前交番の巡査長が立っていた。
「皆、無事ですか?」
「母ちゃんっ!!」
遼が奥から走ってきて、涙目で彼女に抱きつく。
「遼、大丈夫? ずっとカードに出てこなくて心配したのよ」
アレ……森田香巡査長が微笑んで、泣き出した息子を抱き締めた。
「ひったくり犯、確保しました。場所は東区藤丘町二丁目の駄菓子屋、一銭屋。パトカーを回して下さい」
「……運が無ぇ……」
どうやら自分は彼女の息子のいる店に押し入り、その友人を人質にとったらしい。男はがっくりと床に顔を伏せた。
「……無事で良かった……」
連絡を受け、駆けつけた猪吉が息子の元気な姿を見て安堵のあまり、へなへなと一銭屋の床に座り込む。
「香さんから、連絡を受けたときは心臓が止まるかと思った……」
「父さん、心配掛けてごめん」
英樹が謝りながら抱きつく。その彼を横と背中から妹の茜と母、静が抱きしめる。団子のようになって、無事を確認する田中家の横で
「もう! 本当に心配したんだからっ!!」
状況が状況だっただけに怒るに怒れず、太い腕を組む父、
「……二度と危ないマネはするな」
口下手な父、
「……ごめんなさい」
秀もうなだれる。
「あまり責めないでおくれ。話を聞きながら、すぐに店の鍵を掛けなかった、私が悪いんだから」
おばちゃんがすまなそうに身を縮め、香巡査長から連絡を受けて駆けつけた親達に謝った。
「私もだ。ファボが商店街から犯人が北に向かったのを確認した時点で、鍵を掛けるように注意するべきだった」
清輝も白髪頭を下げる。二人のとりなしにようやく店内の空気が和らぐ。
「……本当に皆、無事で良かった……」
ちょうど、実家の福沢家に夫と娘といて駆けつけた奈緒も、目尻の涙を拭う。
「……もしもし、姉さん、ええ、皆無事よ。秀もファボちゃんも英樹くんも怪我一つないわ。ええ…………えっ!! 今、カイナックの宇宙エレベーターに向かっているって!? えっ!? いや、姉さんっ!?」
彼女らしからぬ、大きな声に秀が弾かれたように顔を上げる。
「奈緒姉! 翔子姉に知らせたのか!?」
「秀の一大事を知らせないわけにいかないから……。そうしたら、姉さん、お店の仕事を同僚の人に交代して貰って、リニアカーに飛び乗って、今、宇宙エレベーターに向かっているって……」
切れたバリカと画面の時刻を奈緒は呆然と眺めた。
連絡を受けて、翔子に連絡し、駆けつけて、一時間。おもむろに返して貰った『KOTETU』のスクリーンをファボスが開く。
「三十分前に翔子さんのいるリゾート地から、宇宙エレベーターへ直通のリニアカーが出ているね」
つまり彼女は三十分で仕事の引継を終え、そのリニアカーに乗り込み、今、終点の宇宙エレベーターに着こうとしているらしい。
「……翔子は鉄砲玉だから……」
余りにも素早い行動に花江が大きく息をつく。翔子は大事があると、一直線に目的を果たすまで走り通すタイプの人間だ。
「……誰に似たのか……」
料理の腕だけでなく、行動力も一流の娘に、誠也が眉間を押さえた。
「この後、最短ルートでくると…………明日の朝につくかな?」
リニアカーの到着時間、宇宙エレベーターの昇降便の発着時間、カイナック宇宙港の時刻表を検索する。搭乗料金を無視し、最短で計算して出た『神田』到着時刻に、ふむとファボスが単眼の下をつつく。
「いや、いくら翔子姉でも、そこまでは……」
秀が乾いた笑いを上げたとき、また奈緒のバリカが鳴った。
「姉さん、あのねっ! …………そう、もう宇宙エレベーターに着いたの……。……明日の朝、着くのね……。解ったわ」
諦めきった顔で通話を切る。
「となると、出発ウィンドウを無視して、『神田』への高速便で来るな」
猪吉が『KOTETU』のスクリーンに並ぶ『神田』へのシャトル便の一番上の便を指した。
宇宙エレベーターはカイナックの自転で回り、コロニーである『神田』もカイナックの周回軌道を回っている。その為、二つを行き来するには、間の距離がなるべく短くなるように、軌道計算して便の出発時刻を決める。
一番距離が近い便が最も安く、距離が離れるにつれて運賃が上がるのだ。が、それとは別に到着コロニーがどの位置にあろうと、今ある最短出発ウィンドウより短い時間で到着する高速便と呼ばれる小型高速艇による便があった。
勿論、特別仕様のエンジンを乗せた船に、燃料も多く使う為に、搭乗チケットはかなりの高額になる。
「……すごい……0がいっぱい……」
父の指した便をタップして英樹がチケットの値段を出す。秀がスクリーンを覗き込む。顔から血の気が引いた。慌ててバリカで翔子に連絡を取る。
「翔子姉!! オレ、大丈夫だからっ!! 来なくても良いからっ!! えっ!! もう高速便のチケット買ったってっ!?」
必死にバリカの向こうの姉に叫ぶ秀を見て、誠也はゆるゆると首を振った。
「……まあ、秀には良い薬になるだろう……」
自分が無茶をすれば、それ以上の無茶をして、身を案じてくれる人がいる。そのことを身をもって知った方が、無鉄砲な息子には良いだろう。
「翔子ねぇぇっ!!」
秀の叫びが夕刻の日差しが差し込んできた、店に響き渡る。
「翔子にがっつりと説教して貰うか」
「なら、うちのファボも一緒に頼むわ」
大吾がニンマリと笑いながら、誠也に頼む。
「えええっ!! 僕もぉっ!!」
他人事のような顔をしていたファボスが慌てる。シャキシャキした翔子の理詰めの説教は、彼にとって夏海のお叱りの次に苦手なものだ。
「……秀くん……」
ファボスが涙目で秀を見上げる。秀がげんなりとした顔で見返す。
「逃げるなよ。逃げても翔子さんはコロニーの隅まで追いかけるからな」
二人が慌てて、バリカと『KOTETU』をタップする。
「……秀兄とファボにはひったくり犯より怖いかも……」
通話とメールで必死に翔子を止めようと説得する。
ぼそりと呟いた英樹の声に、大人達が楽しげに肩を震わせた。
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