BOXes 20@1

神取直樹

prologue:adulescentia

 月の見えない夜。うざったい男女の嘆きと疼きと笑いが耳を繋ぐ。黒いワゴン車の中で、一人、男が眠りこく。冬の寒さの中、フードを被って、冷えを凌いだ。隣の助手席では、もう一人、男が仮眠をとる。


あきら


 突然、助手席の男から声が聞こえた。


「何だ、りょう


 眠ったふりで、二人はお互いに小さく声を上げる。どちらもフードを深く被り、目も外からでは見えないようになっていたが、本人たちは、鋭く尖った目線を外に送っていた。晶はその青い瞳を、自分達と一緒に路駐している前の車に。了は道行く人々に。


「あのキャリー何か変だ」


 了が目線をずらさずに言った。ゆっくりと、晶は了の方を見る。手袋をはめた指が、目線を誘導する。その先、あったのは、黒いスーツの男。彼は何処かに電話をかけている。その足元には大きなキャリーバッグが一つ、人々の足に隠されながら存在していた。


「何だろうなあ。どっかの駄作サスペンスの運び人みたいな臭いがする」


 晶のその言葉に反応して、後部座席から、水でも吹き零すような音が聞こえる。伸びをして、あぁ、と声を漏らし、了は後ろを向いた。


やす、このネタわかんの? 古すぎないか?」


 了の言葉に反応したのは、夜という男。彼は短い黒髪に、墨で塗り潰したような瞳を持って、藍着物と褞袍を着込んでいた。晶の座る運転席のシートに身を寄せると、男、夜は笑う。


「まあね。ヒヨさん達が前に見てたDVDにそんな話があったし」


 三人の共通認識にある、ヒヨという男についての話題が出たところで、フッと、晶が表情を曇らせた。


「どうした?」


 異変に近く気付いた夜は、彼の目線の先を見る。共に、キャリーケースの方を見る。何度か隠れてしまうそれは、遠く、狭い視野と周囲の騒音にかき消されつつあるが、ガタガタと不規則に飛び跳ねたりして動いていることがわかった。


「あぁ、死体じゃねえな。アレ」


 夜の目がかっぴき、その鞄をまじまじを見る。透き通るような夜の目は漆黒。彼は、その辺を歩く一般人や、共にいる晶と了とは違う、全く別の世界を見ていた。


 そのキャリーケースを覆うのは、糸。細やかで蜘蛛の吐き出したソレのようにも見える、不可思議な、色のない糸。それは人の縁。人間が生きている証拠のようなものであった。


「嫌な予感しかしないけど、どうする? 突撃? それとも放置?」


 夜がそう笑って、車窓を撫でた。既に硝子が曇り始めている。


「もしかしたらうちの知り合いかもしれないんだし、話しかけてみるだけでも良いんじゃないか? 身内だったら手伝えばいいだろ」


 助手席側のドアロックに手をかけて、了は外部の冷たい空気を、車内に取り込もうとする。フードの奥から、彼の赤い瞳がちらりと光った。


「あぁ、わかった。俺は待機してるよ」


 晶もそう言って、車のキーを回す。エンジンを温めた。夜は外に出る様子もなく、寒そうに褞袍に包まった。


「じゃ」


 了は軽快にガードレールを飛び越える。外に触れた了の吐息が、白く濁っていた。一瞬だけ入り込んだ外の冷気は、すぐに車内の暖房でぬるくなる。スタスタと小走りで、怪しげなスーツに近付く了を、晶はじっとりと見つめる。晶の目は青く、光を通し、濁った都会の空気を隔てて、双子の兄である了を映していた。

 白いスキー用のコートのフードを被ったまま、了が男に接触する。何か手ぶり身振りで男と会話をしていると、暫くして、指で、件のキャリーケースをさす。すると、直後、スーツ姿の男が、着けていた眼鏡を上げて、了の肩に触れる。


「やっぱ身内かね」


 共に様子を見ていた夜がそう呟いた。


「……だと良いけどな」


 晶がそう言ってすぐ、肩を触れられた了は近くの路地の中に、キャリーケースと共に入っていった。一瞬、了がちらりとこちらを見ていたのを、晶は見逃さない。瞬き二回。指を組み――幸運をグッドラック――見せつけた。


 温まったエンジンを一気に上げる。信号は青。動きだせる。すぐに車道を法定速度ギリギリに走る。行く先は晶だけが解していた。

 後ろ、夜が慣性でひっくり返ったらしい。ギャッと野鼠の断末魔の様なものが耳に入った。


「うぇえええ……何、何。あれ国営? テロリスト? 組の人? マフィアさん? 運び屋?」


 疾走する街の道、細い部分に躊躇なく入っていく運転手の晶に、夜は訴えた。急ぎ早に動く彼の考えが、いまいちテンポ遅れに届かない。


「最後のやつ。そんで雇い主が俺らの味方じゃない。国か、よその組織か。どっちにしろこのまま了が一人で敵陣営にぶち込まれちゃアレだ。回収するぞ」


 先程見た了の瞬き二回は、相手が敵であること。幸運の願いは自らへの願い。つまりは自分が危ない目に合いそうだと、示唆していた。回収場所は凡そ、『いつも使っている場所』であるとは、自然に晶ならば理解が出来る。細い路地、今走らせているワゴン車ならば、ギリギリ通れるくらいである。


「なるほどねえ! ゴミ置き場か!」


 その場所には、夜も見覚えがあった。古いアスファルトが、ビルの間を縫う。その地面に、上空、ビルの屋上から降ってきた生物が、ぶち当たって死んだ痕が、しみ込んで拭えなくなっている場所。そこに、その痕を覆うように晶は車を止める。しかし、エンジンは尚もつけたまま、いつでも動けるようにと熱くする。耳を澄ませる。夜は窓を開けた。頭を出して、外の様子を確認する。嫌に静かで、暫くを待つ。


「そろそろ来そうだ。夜、窓閉めてお座りしてろ。そんで後ろ見てろ」


 晶の指示に、渋々従う夜は、後部座席よりも一つ後ろ、いつもは荷物を多く置いている場所を見る。そこからは車の後部、晶にはミラーでしか見えない場所が、はっきりと見ることが出来た。窓を完全に閉めると、静寂が流れる。だが、何処からか、聞いたことのある叫びが聞こえて、それが夜には、自分の目線の場所からであると理解出来、身構える。


 三つ後ろの路地の集合。車では入り込めない、人間二人が通れる程度の場所から、了は走って飛び出した。その背には件のキャリーケースを抱え、道にあったのだろう、ゴミ箱を蹴り倒してこちらを視認した。フードは既に勢いで外れて、その整った容姿が露出していた。黒い髪は梳かれて僅かな街灯に照り、赤い瞳は車のバックライトに反射して一層赤みを表す。


 了はこちらまで焦りつつも走り、車の収納スペースの扉を僅かに開けて、滑り込んだ。冷気が一瞬で車内を満たす。上がった息のまま、了はキャリーケースをも車内に入れ、勢い良く扉を閉める。


「お前! やめろよ! 壊れるだろ!」


 扉の閉まる音に晶が後ろを振り向いて、了を怒鳴る。


「うるせえ! んなこと言ってねえで逃げるぞ! 『異能者』が三人! 銃は無い! 『肉人形』がよくわかんない人数! 轢き殺せ! 『亥島いのしま』に戻れば追ってこれない!」


 了がそう報告すると、晶はレバーに手をかける。既にスーツ姿が何体か見えている。

 ブレーキを外してグッとアクセルを踏むと、日常生活ではまず出さないだろう速さで、車体がバックしていく。それに伴って、幾人かの人間が、車にぶち当たっては、骨を折る音を奏でる。一気に路地を出て、前でまだ動こうとしている人間を三人は見ていた。こちらにとびかかられる前にと、後ろの衝突を上手く回避し、晶はまたレバーを切り替えた。


「明日は一日洗車だ畜生」


 人気の薄れた街の端、晶はそう唸って、法定速度などゴミ箱に捨て、目的地まで走り去る。自分達の安寧の地、住処である、亥島にタイヤを回した。

 一息吐いた了は、自分が持ってきたキャリーケースの存在を半分忘れて、安定した車内のスペースで、背をもたれる。ある程度体の大きな了にとっては、そこは何だかんだと窮屈ではあったが、数分の休息を、彼は貪っていた。

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