28 報告書を作成しよう!

 エウレカがようやく人員配置を終えて我に返ると、玉座特有の硬さとは違う柔らかい感触と温かさに気付いた。咄嗟にその違和感の正体を探すと……。


「シルクスよ。少し、距離が近くないかのう?」

「気のせいです」

「気のせいではないぞ。ほれ、こんなに密着しておる」

「気のせいです」

「シルクス、悪いことは言わん、離れるのだ。我は理性を失いたくない」

「いっそ理性を失ってしまえばいいと思います」

「ひどい!」


 エウレカの腕にはシルクスの両腕が絡みついていた。彼女の豊満な胸がエウレカの二の腕に押し当てられている。頭頂部にある猫耳がエウレカの頬をくすぐった。


 シルクスがプクりと頬を膨らませ、顔を赤らめる。だがエウレカはそんなシルクスの変化にも、隠された真意にも気付かない。


「報告書って、何をすればよいのだ?」

「先日のドラゴンとの一件に関する報告をすればいいんです」

「……勇者のことも報告するのか?」

「逆に、それを報告せずにどう状況を説明するのですか?」

「…………こんな報告したら、他の者達に呆れられぬだろうか」

「魔王様、その心配は今更しても遅いです。魔王様の穏和な姿勢を嫌がる者は皆、とっくに魔王城から離れています」


 勘違いした勇者が魔王城を襲撃したことは記憶に新しい。その原因が誤解であると知り、エウレカは勇者と行動を共にした。そしてその結果、ドラゴンと対立することになってしまった。


 事の次第はすでにiアイtubeチューブを通じて世界中に配信されている。ドラゴンと戦う様子も、勇者と共に戦う様子も、勇者を殺そうとしなかったことも、全て。


 ドラゴン達はエウレカを狙っていた。エウレカを誘い出すためだけに勇者の仲間をさらった。これはドラゴンの独断で行われた事件であり、エウレカの命令に背いた裏切り行為である。


「今後、このような事件が増えるのだろうか」

「魔王様と同じことをされていた先代、先々代がどうかはわかりかねます。ですが……魔王様がitubeを始めたことが刺激になり、動きが活発化しそうですね」

「『まおうチャンネル』は良くなかっただろうか?」

「私は、いいアイデアだと思いますよ。きちんと報告書も出されていますし、企画が承認されてから動いていますし。ですが……人族と仲良くしたくないという者には面白くないでしょうね」


 シルクスの言葉にエウレカが体を起こす。しかし起こした反動で患部を玉座にぶつけ、痛みに悶絶することとなった。悲鳴をぐっと堪えながら、似たようなことがどこかであったなとどうでもいいことを考え始める。


「勇者を含め、人族の方では魔族に対する認識が変わり始めていると聞きます。魔王様が始めた動画投稿により、魔王様の気持ちが人族に広まったのは間違いありません。敵対するつもりはないと多くの人族に示すのは、魔王様の始めた動画投稿以外には不可能です」


 折れた右足の痛みに涙目になるエウレカ。シルクスはそんなエウレカを眺めながらも、淡々と言葉を紡いでいく。


「そんなわけですので、勇者とのことも、ドラゴンの巣の崩壊も、包み隠さず報告してください」


 痛みに苦しむエウレカに突きつけられる1枚の紙。それは、エウレカが書かなければならない、事の顛末てんまつを記すための書類――報告書であった。





 魔王城では全ての書類にテンプレートが用意されている。必要な時に必要な数だけ印刷し、記入して提出することになっているのだ。エウレカの手元にあるのはそんなテンプレートの、まだ何一つ手書きでの文字が記されていない報告書。


「ゴルゴンゾーラだったか?」

「それは異世界のチーズです」

「ゴルファーか?」

「それは異世界のスポーツ、ゴルフをする人のことです」

「ハッ! モッツァレラか!」

「それも異世界のチーズです。魔王様、ふざけてます?」


 エウレカが困っているのは報告書の出だし、物事の起きた場所についてだった。勇者と共闘した地名がどうしても出てこないのだ。頭に浮かぶのは何故か地名に似たような違う単語ばかり。


「ふざけてはいないぞ! 本当にわからないのだ」

「……ゴルベーザ山です。ゴルゴンゾーラでもモッツァレラでもありません。ゴルベーザ山です」

「むう。どれも似たようなものではないか」

「全く違います。異世界のチーズにも違いがあるんですよ?」

「南高梅と白加賀梅のようなものか?」

「異世界の梅以外にも知識を増やしてください!」

「梅を馬鹿にするでない!」

「その前に、人族の土地であれ地名の1つや2つ覚えてください。これでは人族と話し合ったところで失敗しますよ?」


 シルクスの正論にエウレカは返す言葉もない。むむっと口をへの字に曲げた。唸り声を上げながらも渋々地名の欄に「ゴルベーザ山」と記入する。


「そういえばあのドラゴン達は何者だったのだろう。どれも長という感じではなかったが」

「わかりません。必要最低限について書けばいいと思います。彼らが何を目的にこのようなことをし、その後どこへ逃げたのかを」

「要は人族と仲良くするのが嫌ということであろう。そしてその根源にあるのが……我の作った『まおうチャンネル』であるわけか。解せぬ。なぜそれで我が狙われるのだ?」


 報告書を前に混乱するエウレカ。そんなエウレカにシルクスが冷たい梅茶の入ったコップを差し出した。


「安心してください。私でもドラゴンの意図はわかりかねます」

「その言い方ではまるで、我の頭が悪いみたいではないか」

「少なくとも、梅干しや人族に関すること以外は疎いですよね。魔族や魔物の気持ちにも疎いですし、お世辞にも賢いとは言えないかと」

「なんだと!」

「……疎くなかったら私やケルベロスの気持ちに気付いているはずです」

「おい、シルクス。ゴニョゴニョと小声で何か言うのは止めぬか? 我に意見があるなら、聞こえるように言うがよい」

「いえ、今のはただの呟きです。気にしないでください。そんなことより手を動かしてください、魔王様」


 シルクスはエウレカの鉛筆を持つ手が止まったことを見逃さなかった。その左手からコップを取り上げると、報告書を仕上げるようにと急かす。


「ああー、我の梅茶がー!」

「飲みたいなら、早く報告書を仕上げてください」

「早くは無理じゃ!」

「起きたことをそのまま書くだけです。あのエルナですら1時間で仕上げましたよ?」

「……エルナに負けるわけにはいかぬのう。ぜ、善処しようではないか」


 エルナとは物理攻撃に特化したドワーフであり、色々とやらかすことで名が知られている。魔王のプライベートルームの扉を壊した回数は数知れず。敵と味方を間違えることも多い。


 そんなエルナがすでに報告書を仕上げていると知り、ようやくエウレカは弱音を吐くのを止めた。部下に負けていられない。エウレカは弱々しいプライドを守るために、報告書と真正面から向き合うのであった。

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