9 狩り
「にゃあ。さ、寒い……」
雹風山が近づいてくるにつれて、薄積もりだった雪も厚くなり、肌を刺す風もその激しさを増してきた。
寒がりのシルフィは外套を頭から被り、小柄な体も相まってまるで布の塊がしゃべっているようだ。
「頑張って。もう少し行けばゴラティエだ。着いたら今日はゆっくり休んで、
アベルも震えながらシルフィを励ます。
「そんなに寒いなら精霊魔法?とやらでなんとかできないの?」
「こ、このあたりには雪と氷の精霊さんしかいないから無理。ほら」
「わぷっ、こら、やめなさいよ!」
厳しい環境にもある程度慣れているのだろう。シルフィとは対照的に、平気な顔で聞いてくるクレアの顔に、シルフィが精霊魔法で小さな吹雪を起こした。
「でもアベル、この辺ちょっとおかしい。これだけ自然の中なのに、精霊さんたちが全然いない」
今だって顔を凍りつかせるくらいの気持ちでやったのに、とシルフィがうそぶき、いい加減にしなさいよ!、とクレアが叫ぶ。
「精霊がいない?」
「みゅう……。今は見張りをお願いするのが精いっぱい……」
動揺を隠すようにそう言って、シルフィはうなだれた。
精霊を視ることのできないアベルにはわからないが、そもそも精霊は人里には姿をあまり見せず、自然の中にあればおのずと姿を増やすものと聞いている。
だからこそ精霊魔導士は都市の中ではその力をほとんど使えないが、自然の中では無類の強さを誇るのだ。なのに。
――雹風山にここまで近づいても精霊がいないなんて。
それがどれほど異常なのか、今も不安げに辺りを見渡して、心細げにアベルに寄り添うように馬を進めるシルフィの態度を見ればわかる。
「大丈夫だよシル。今は俺もクレアもいる。よっぽどのことがない限り……」
……ォオン……!
アベルが言いかけたその時、森の奥から響くような唸り声が聞こえ、精霊を偵察に出していたシルフィの顔つきが一気に真剣なものへと変わった。
「……よっぽどのこと、かも」
囁くようなシルフィの声。それを聴いた瞬間、アベルとクレアが顔を見合わせて頷きあう。
クレアは愛剣を抜き放ち、その隣でアベルも腰から抜いた白銀の長剣を構えた。
そしてシルフィがアベルの後ろに隠れた途端、轟音と共に木々をなぎ倒しながら、彼らの前に巨大な影が躍り出てきた。
「甲毛熊……!」
クレアが思わず息をのむ。
『甲毛熊』。雹風山に生息する魔獣の一種だ。野生の熊よりも一回り大きく、刃も通さない硬い体毛、そして何よりもその凶暴さで知られている。通常の熊とは一線を画す危険な獣。
「冬眠しなかったはぐれか……。シルは下がって。クレア、やれる?」
「やれるも何も、やらないと死んじゃうでしょう」
アベルは白銀の長剣を片手で持った自然体、クレアは王剣隊の長剣を両手で正眼に構え並び立つ。
猛る猛獣を前しても二人は一歩も引くことなく。
そしてアベルの静かな祈りとともに幕は上がった。
『――白翼、そして銀鎧』
眼は魔獣を射抜くように、そして口では祈りを唱えながら。アベルが空いた左手でクレアの背中にそっと触れる。
『駿馬の如き者、騎士の矜持を抱く者。この祝福は護りとなり、この福音は風に乗って君へと響く』
神聖教会で最も基本となる加護の聖句。『翼有る者の祈り』から、第四章二節。
クレアの背に淡く光が浮かび上がる。
「グォオオオオ!」
アベルの詠唱が終わったのと同時に、魔力の流れに反応して魔獣が雄叫びを上げた。
剛爪を振り上げてその身を引き裂かんと迫る、巨体に見合わぬ速度の一撃を。
「ハッ!」
裂帛の気合とともにクレアが受け流し、魔獣の懐に入るとともに一撃。が、しかし。
「くうっ!やっぱり固い!」
刃を弾く硬度の体毛、そしてそれを支える巨大な体躯。その体にはかすり傷もついていない。
「さすがに半端な一撃じゃ攻撃にもならない、ねっ!」
クレアに気を取られた甲毛熊の横っ面に、力任せのアベルの一振り。当然これもこの獣には叩かれた程度にしか感じないだろう。だが、その注意はクレアからこちらに移った。
「ゴオオオォ!」
不愉快な餌に怒りの咆哮を上げ、魔獣がアベルへとその牙を向けた。
地を抉るような重量の一撃。体全体で押しつぶそうとする魔獣を、アベルは躱し、受け流し、死角に入る。
踊るようなその動きを魔獣はとらえることができないが、しかし逃げるばかりではいずれ限界が来る。にもかかわらず、彼の表情に焦りはない。
なぜならば。
「こっちよ。デカブツ」
ドラウステニア王剣隊の華にして、名高いガーディニアの剣が付いているのだから。
「今度こそ、喰らいなさい」
魔獣の背後で腰だめに構えた剣を、クレアが一気に放つ。
それは雷の如く一点を穿つ王剣隊最速の突き。
「――雷鳴」
その名の由来はその速度、そしてそれに付随する、
「……ギャアアアアアア!」
遅れて届く敵の悲鳴だ。
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