第13話 ある晩に自宅サーバが起動しなくなったこともあったわね(1)、あるいは、キンキンに冷えた銀色の缶ビール

 自宅サーバについての経験談をするはずが、ファミレスではなんかゆっくりできなかったもんだから、ウエノちゃんを家に連れて来ることにした。


 やっぱり、実物を見ながらの方が、いいからね。


「ここが、小枝葉先輩の家……ああ、小枝葉先輩の匂いがする」


 玄関を入るなり、妙な感慨を抱いているウエノちゃん。


 そりゃ、あたしが一人暮らす家なんだから、あたしの匂いでしょうけどね。


 掃除はキッチリしてるから、変な匂いはしないはずね。


 玄関から少し廊下があって、バス・トイレ。

 廊下の先がリビングで、その先に、寝室にしている部屋がもう一つ。


 そこそこの広さの1LDKね。


「なんというか、その、質実剛健な部屋、ですね」


 リビングを見たウエノちゃんの第一声がそれだった。


 シンク周りはキッチンとしての食器やら冷蔵庫やら買い置きの食材やらアルコールやらが並んでいる。


 それ以外は、パソコンデスクと、その隣には幅の狭い背の高いパソコンとその他周辺機器を収めたスチールラック。


「インテリアとか、ないんですね」


「小物で作る美より、機能美を重視してるわ。この配置なら、パソコンデスクに座りっぱなしで色々できるのよ。食事もここで取ってるし、生活空間の全てをここに集約しているのよ」


「そうなん、ですね。うん、なんだか、小枝葉先輩って感じがします」


 どういう風に見られてるのか今一判然としないけど、一般論に照らしてどうこういってこないのは、ありがたいわ。


「とはいっても、パソコンデスクに二人では座れないし……」


「あの、小枝葉先輩の膝の上でも構いません」


 真面目な顔でウエノちゃんは言うが、


「それじゃ、操作がしにくいから。テーブルを出すわ」


 作業台のように使っている卓袱台を出してくる。二人並んでノートパソコンを見るには、ちょうど言いサイズね。


 普段は枕元に置いてあるノートパソコンをリビングに持ってくる。無線もあるけど、作業用に引っ張って机の下に出してある LAN ケーブルを接続すれば準備完了ね。


「それで、どれが自宅サーバなんですか?」


 寝室から戻るのを待っている間に、興味津々でスチールラックの前にいたウエノちゃんが聞いてくる。


 因みに、スチールラックは四段。天板の上にプリンタ、最上段にはギガビットハブも兼ねたルータ。その下にはメインで使ってるデスクトップパソコンがある。そして、


「下から二段目のキューブ型のやつよ。コンパクトでいいでしょ?」


「これが、サーバ?」


「ま、サーバと言っても運用方法がサーバなだけで、ハードウェア的にはデスクトップパソコンと変わらないけどね」


「なるほど。別に、高価なハードウェアは必要ないんですね」


「そうよ。業務で使うようなのは、数十万から数百万とかするけど、自宅サーバなら、数万円で十分。これも、確か五、六万かしらね」


「そんなもんなんですね……それで、一番下のはなんなんですか?」


「 UPS よ」


「え? 自宅に UPS があるんですか?」


「サーバ運用するんだから、当然でしょう?」


 UPS 、 Uninterruptible Power System は日本語で『無停電電源装置』のこと。停電時に、一定時間の電源を供給することで、サーバが突然動作を停止して壊れるのを防ぐためのものよ。


「自宅だとね、消費電力の大きい電子レンジと電子ケトルをうっかり同時に使ったりすると唐突にブレーカー落ちたりするから、あった方がいいわね」


「もしかして、やらかしたんですか?」


「……そうよ。自宅サーバには UPS 。ま、経験から学んだのも事実だけど、サーバというからにはある方が望ましいのも事実よ」


 そうして、卓袱台に二人並んで座る。


「あ、ノートパソコンはピンクで可愛いですね」


「いいでしょ。ピンクゴールドで可愛い中にも高級感があって気に入ってるのよ」


 ちょっとは女子っぽい会話もしつつ、でも、サーバ関連の説明とか実演を想定すると、真っ黒な背景に主に英数字が表示されるコンソールを眺めることが多くなりそうなんだけどね。


「小枝葉先輩と肩が触れあって、温もりに包まれて……幸せです」


「って、胸に倒れ込まないで!」


 パソコンの起動を待つ間に、ウエノちゃんがじゃれついてくる。


 ポニーテールが尻尾みたいに揺れて、ちょっと犬っぽいところがあるわね。


 でも。


「離れてくれないと、操作できないんだけど」


「はーい」


 すぐに離れてくれる素直さはいいわね。


「できる限り、経験をそのまま話してください。そうすれば、小枝葉先輩の経験を、自分の経験のように感じて、より深く学べると思うんです」


 それは、その通りね。なら、頑張らないと。


 よほど期待してくれているのか、ワクワクが隠し切れず、ポニーテールを揺らして妙に浮かれたウエノちゃんに、あたしは語り……始めない。


「待って。あたしは呑むわ」


 そうして、先ほどファミレスでお預けを食らった黄金色の泡立つ麦ジュースを、冷蔵庫から出してくる。


 ありがたいことに、キンキンに冷えている銀の缶だ。


「ふぅ、落ち着いたわ」


 空いた缶は分別用にストックしてある適当なコンビニ袋に入れる。


「え? も、もう呑み終わったんですか?」


「ええ。お話しの前の景気づけね」


 二本目の缶をコンビニ袋に入れ、次のプルタブを開ける。


 これぐらいしないと、ウエノちゃんの期待には応えられないわ。


「じゃ、始めましょうか」


 そうして、語り始める。


 今でもよく覚えている、あの春の悪夢と奇跡を。



 それは、ちょっとしたことから始まったのよ。


 次の日もお仕事っていう日の深夜だったわ。

 そろそろ寝ないと次の日に差し支えそうな時間。


 でも、ちょっとだけ作業しようと、枕元のノートパソコンを触っていたの。


 自宅サーバは、仮想サーバにしてあってね。中にファイルサーバとウェブサーバが動いているわ。


 え? ウェブサーバで何をやってるのかって?


 う~ん、それは、乙女の秘密よ。


 あ、ファイルサーバにしてるのは、クラウドとかが今一信用できなかったからよ。外に繋がない方が安全なのは、今日の最後に話したでしょ?


 まぁ、これに懲りて今はクラウドサービス使ってるんだけどね。


 と、話が逸れたわね。


 そのとき、あたしはファイルサーバ上のファイルを操作しようとしたの。


 でも、繋がらなくってね。


 さっさと更新して寝ようって思ってたのが判断を鈍らせたのかしらね。


 ほら、ウエノちゃんも繋がらなくってイライラしてたでしょ? 理由は違えど、イライラするとミスるってことを覚えておくといいわ。


 あたしは、この時、特大のミスをしちゃったから。


 何せ、自宅サーバだからね。他の人が触ることはありえない。


 取りあえず、仮想サーバに繋がらないなら、物理サーバを丸ごと再起動すればいいか、ってぐらいの適当な気持ちで ssh で繋いで reboot コマンドを実行しちゃったのよね。


 でも、いつまで立ってもファイルサーバが上がってこない。


 十分以上立っても、ファイルサーバに繋がらなくてさすがにおかしいって思ったのよ。


 それで、改めて確認したら、 ssh クライアントが繋がらないのは勿論、 ping コマンド にも反応がなかったわ。


 次に、さっきは普通に繋がった物理サーバで直接動いてるホストのサーバに繋ごうとしたんだけど、


 ファイルサーバは仮想サーバ上に構築してたりするので、今度はその仮想サーバを動かしてるホストサーバに繋いでみようとしたんだけど、


「もしかして、 ping 通らなかったんですか?」


 あたしは、神妙に頷く。


 そうなって、ようやく最悪の事態に思い当たったのよね。


 慌てて布団から飛び出てそこのサーバを、ほら、ディスプレイから伸びてるケーブルあるでしょ? あれを繋いで直接確認したのよ。


 そうしたら、出てたわ。


「 Operating System not found. ですね」


「ええ、そうよ。本当、昨日はあのときのことが頭をよぎって仕方なかったわ」


 ま、そのお陰で、こうして後輩への指導に活かせるんだから、結果オーライね。


 そこからは、ハードウェアの再起動とか試してみたんだけど、ブザーみたいな音が鳴って全然ダメでね。


 またまた現れた、 Operating System not found. の文字に、厳しい現実を理解したわ。


「それで、どう対処したんですか?」


 そうね、こういうときのセオリーとして、冷静に問題の切り分けを行うのが先決なのよ。


 状況的に、オペレーティングシステムが読み出せないということは、ディスクが正常に稼働していない、というのは確か。


 でも、ディスクが動かない=ディスクが死んだ、と結論づけるのは早計よ。


「ディスクは生きているのに、ディスクが読めない状況って何か解る?」


 教育係らしく、質問を挟んでいくスタイル。


「……接続ケーブルが切れている、とかですか?」


「うん。正解よ。本体と繋がらないと動かないからね。あとは、本体側の故障の可能性もあるわ」


 ブザーもなってたし、本体側の異常通知も主にブザーだから、その希望に賭けて本体を解体バラしてディスクを取り出したの。


 そうして、 SATA->USB2.0 変換ケーブルで上にあるパソコンに繋いでみたんだけど。


 まさかの、ディスクからブザー音がしてきたの。


「え? ディスクにそんな機能あるんですか?」


「勿論、無いわよ」


 ハードディスクが音を出すとしたら、その構成部品から。


 これは、取り出して気付いたんだけど、ブザーだと思っていたのは、ディスクを回転させるモーターが空回りする音だったのよ。


 まぁ、レアケースだけど、ディスクからの異音が本体のブザーみたいに聞こえることがあるってのは、事例として覚えておくといいかもね。


 そうして、めでたくあたしの希望は打ち砕かれたわ。


「そういう訳で、そこから本格的な復旧に入っていったわけだけど、ここで一つ問題を出すわ」


「は、はい」


 身構えるウエノちゃん。


「では問題。あたしは、最初に『特大のミスをしちゃった』って言ったけど、それはなんでしょう?」


「え? なんでしょう……」


「状況をよく思いだして。ウエノちゃんの昨日の状況にも少し通じるわ」


「小枝葉先輩はファイルサーバに繋がらないから、ホストサーバ側を再起動した。そうしたら、本体ごと起動しなくなった……」


 今日の作業中も器用に正規表現も含めて口に出してたけど、口に出して考えるのは、もしかしてウエノちゃんの癖なのかしら?


「……状況としては、ファイルサーバに繋がらなかった時点では、ホストサーバには繋がった」


 そこで、何かに気付いたようだ。


「つまり、ホストサーバや、もう一つの仮想サーバであるウェブサーバのデータはこの時点でバックアップできた可能性がある、ということですね」


 疑問形や曖昧な語尾にしないところが、ウエノちゃんのいいところね。


 勿論、彼女の言葉は、


「正解よ。よくできました!」


 ノリで頭を撫でると、目を細めて身体をすり寄せてくる。本当に、犬みたいね。


 それはさておき。


「まぁ、その失敗を実感するのは、翌日になってからだったんだけど。本当、サーバに異常が出た場合は安易に電源を落とさずに、可能な限り動いている状態での復旧作業やデータのバックアップを優先することね」


「はい。これだけ撫でてもらえれば、忘れることはありえません」


 まだまだ話は始まったばかり。


 ぐっと拳を握るウエノちゃんには、あたしの経験を通じてもっと学んでもらわなくっちゃね。


 その前に。


「あたらしいお酒出してくるから、ちょっと待ってね」


 ダース単位の空き缶で膨らんだコンビニ袋を部屋の隅に寄せて、あたしはステンレス製のアイスペールに冷凍庫に常備しているロックアイスを満たして、琥珀色に輝く液体の入った瓶を持ってくる。


 ただ、さすがにロックで飲むとすぐなくなっちゃうから、炭酸水もつけるわ。


「あの、まだ、呑むんですか?」


 驚愕とあきれ半分の表情のウエノちゃんに、


「いっぱいどう?」


 と尋ねれば、


「いっぱいはいいので、おっぱいをお願いします」


 また胸に倒れ込んでくるんだけど、彼女、呑んでないよね?


 ともあれ、変なテンションのウエノちゃんを胸からどかして、話の続きをすることにする。


 その前にロンググラスに氷を満たし、ウィスキーと炭酸を注いで、次の飲み物を用意する。


 では、続きを話すに先立って、一人虚空に向けて、


「乾杯!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る