サエバサバエのちょっとセキュアなお話、あるいは、呑み女子エンジニアのだらしない食卓
第3話 不安を煽られるのってよくないけどだからこそ効果的だったりしてたちが悪い、あるいは、超絶乾いた麦酒とお手軽焼き鳥丼
第3話 不安を煽られるのってよくないけどだからこそ効果的だったりしてたちが悪い、あるいは、超絶乾いた麦酒とお手軽焼き鳥丼
ある休日の午前。
トーストと発酵したぶどうジュースで朝食を済ませ心地良い時を過ごしてたところに、学生時代からの腐れ縁、
「なんだかパソコンの様子がおかしいから見てくんない?」
なんとも簡素なメッセージね。
専門職の友人に気軽にプロの技を使わせるのは感心しない行為だけど、ま、今は気分がいいから、様子ぐらいは見にいってあげるかな? 対応してあげるかはともかく。
家も近いしね。
何せ、隣のマンションだ。
最低限外出できる程度に身支度を調えて徒歩数秒の道のりを経て、隣のマンション前へ。
「いくのん、あたし」
オートロックなので、部屋番号を押して開けてもらって、いくのんの部屋に辿り着く。
「いらっしゃい、サバエちゃん」
ドアを開けて出迎えたのは、腰まである長い髪をボサボサにした、華奢な体格の黒縁眼鏡の女。
これが、あたしの腐れ縁。田島郁乃、愛称『いくのん』である。
「相変わらず、本ばっかりねぇ」
玄関を入った瞬間、満載の本棚がある。
左手にバス・トイレがある短い廊下の右側壁面が、天井突っ張り式の本棚で埋め尽くされているのだ。
その先に広めのリビング。左奥がキッチン、正面奥が寝室にしている部屋への扉。そして、残りの壁面は天井までの本棚。
その中央にピンクのカーペットと、十七インチの大きめのノートパソコンが載った折りたたみ机。
「その服は、嫌み?」
来てからずっと、あたしの胸元をマジマジと見詰めるいくのん。
適当なTシャツ着てきたけど、確かに少々身体の線が出ちゃってるかしらね? まぁ、お隣にいくだけなんで気にしてなかったけど。
「胸を強調して……自分の抜群のスタイルを誇示して……」
「別にそんなつもりはないけど」
「なんで同じインドアな仕事なのにそのスタイル維持してるのか……不公平よ」
やたら本を読んで無駄に知識豊富ないくのんは、フリーのライターで本や映画やゲーム関係の記事を書いている、らしい。
長年の付き合いだけど、決してどこの何の記事を書いたかは教えてくれないから、正直、正確なところはわからない。尋ねても、
「守秘義務よ」
と言われては、ツッコンだことは聴けないからね。
あ、あたしのサイズは乙女の秘密だから。想像もするな。
でも、
「あたしからしたら、いくのんみたいに薄い方が身体が軽くていいと思うんだけどなぁ」
「定番の嫌みね……まぁ、いいわ。一杯どう?」
そういって、バーボンの酒瓶とグラスを取り出す。
これはあれよ、アメリカの映画なんかでよくあるやつね。昔、二人で観に行った映画にそういうシーンがあって、成人したらやってみたいというのを律儀に覚えていてくれているのだ。
ありがたく、グラスに注いで一杯いただく。喉を抜ける熱さと口内に広がるバーボン特有のキツメの香気。
「ストレートでグラス並々一気飲みって……ホントいい飲みっぷりよね、サバエちゃん」
あたしの姿になぜかあきれているいくのん。一杯飲んだだけなのに、何を言ってるのかしらね?
「で、様子がおかしいって?」
「これを見て」
机の前に二人並んで座る。
人の飲みっぷりどうこう言いつつ、いくのんは自分も並々注いだグラスをちびちびやっている。
いくのんがグラスを持った手で示したノートパソコンのモニタには、ウィルス駆除のソフトのライセンス料の支払いのために、クレジットカードの番号を入れろという表示。
ああ、これ、あれね。
「もしかして、ウィルスに感染してるとか言われた?」
「うん。警告音が派手に鳴ってうるさかった」
「で、除去するにはこのソフトをインストールしろとか言われて、案内に従ってインストールした?」
「うん。親切よね。対策をすぐに教えてくれて」
「で、続いてこの画面が表示された?」
「うん。それで、お金とるなら先に言ってこないのはおかしいと思って、いくのんに連絡したの」
とても素直ないくのんだった。
「……って、どうしてそうホイホイ指示に従うのよ! 最初の段階で明らかに怪しいんだから、そこで連絡してよ!」
「それは、ウィルスに感染してるってピーピー鳴らしながらうるさく言ってくるから、黙らせたくて」
「ウィルス対策ソフトは入れてあげたじゃない!」
よく考えたら、このパソコンのセットアップは私がブランデーのボトル1本で請け負ったのだ。自動更新もすべて有効にしてセキュリティ面は万全にしてある。
それを伝えていたはずなんだけど。
「そうだけど。サバエちゃんが築いた防壁を突破したウィルスがいるなんて、ちょっと興味がそそられて。誘いに乗ってみたのよ」
「ああ、うん……」
いくのんはあたしより物知りだし、パソコンもすぐ使いこなせそうなものなんだけど、危険を承知で飛び込む悪癖があるのよねぇ。
その上、怪しかったら似たような事象がないか検索してみろって言っても、
「いやよ。ネタバレしたら人生面白くないじゃない。初見は、自分の感性だけを信じる主義よ」
という、面倒臭いやつである。
「おっけー。状況はわかったわ。まぁ、最初に入れちゃったソフトを除去すれば終わりかもだけど、一応、プロに作業させるってこと、解ってるよね?」
こういうのを、いやらしいと思うなかれ。
プロは技術をタダで売っちゃダメ。ついつい友達だからってやっちゃうこともあるけど、そこはキチンと線を引いておくべきよ。
ほら、絵描きにタダで描いてもらおうとする人がいたりするじゃない? そういうの聴くたびに、『技術』ってものに対する敬愛のなさに辟易とするわ。
技術は、特別なものよ。自分にできないからこそ、技術ある人に頼るんだからね。
そうして、あたしたちの社会は回ってるのよ。
だから、技術職に「タダで当然」みたいな態度で安易に技術提供をねだったらダメよ? 現金である必要はないから、キチンと何かしらの報酬を支払う意思は持とうね。
『報酬』がなんだかいやらしく聞こえるなら、助けてもらったことにたいする誠意とかお礼とか、そういうものを忘れないでね。
こういうなぁなぁが積み重なると、技術の価値が下がって、仕事でさえ無償で働かせようというバカがでてくるのよ。ホンット、前のあの会社、不具合対応させておいて金は払わないとか……っと、愚痴はともかく。
技術者は、霞み喰って生きてるんじゃないんだから、無償が当たり前だと食べていけなくなっちゃう。そうなったら、結果的に技術を潰すことにもつながるのよね。すでに、業界によってはそうなっちゃってる気がするから、思いのほか状況は切迫してるのよね。
ま、いくのんは、その辺よく解ってくれている。
「まぁまぁ、今日はこれあげるから」
出してきたのは、赤を基調にしつつ銀色の缶が描かれた箱。
キンキンに冷えていないが、家で冷やせば問題なし。
「よし、引き受けた」
快く引き受けることにする。
というわけで、ボトルからもう一杯景気づけにバーボンをいただいてから、作業に入る。
とりあえず、クレジット番号の入力画面は放置して、まずはタスクの確認。
見るからに怪しいタスクが存在したので、
すると、クレジット番号入力を促す画面も消えた。
どうやら、インストールさせられたソフトが、勝手に出してたみたいね。
あとは、さっき見つけたタスクを起動してたアプリケーションをアンインストール。
また、インストールしたディレクトリやら、関連のありそうなディレクトリを調べて残っているものは削除、削除……と。
いくのんはクラウドにデータを置いているので、不審なディレクトリが解りやすいのは助かるわ。まぁ、そうしろっていったのはあたしだけど。
でも、ここで、安心しちゃいけない。
「ああ、やっぱりウィルス対策ソフト、止められてるわね」
悪質なことに、不安をあおって入れたソフトがすでに入っているウィルス対策ソフトの起動を妨害することはよくあるのよね。
だから、消すだけじゃなく、そっちも復活させないといけない。
幸い、ソフトが消されたわけじゃないんで、自動起動するように再設定して、念のため、OSを再起動。
「うん、ちゃんと起動したわね」
さっきの変なソフトは消えて、もともとあたしがインストールしたウィルス対策ソフトが動作していた。
「これで大丈夫と思うけど、念のため全体のウィルスチェックをしておくわね」
パターンファイルを最新に更新し、フルスキャン実行。
「はい、これでおしまい」
「さすが、サバエちゃんね。そのデカパイは伊達じゃない」
なぜかあたしの胸を揉みながらいういくのん。そっちの趣味はない。
「やめい!」
その手を振り払う。
「でも、これ、結局なんだったの?」
「
「いやよ。検索に頼らないのがこのわたしのアイデンティティよ」
一応尋ねたけど、いくのんが、絶対にそれを曲げることはないのはよくよく理解している。
だから、あたしは折れるしかないのよね。
「……わかったわ。これは、『スケアウェア』って呼ばれるものよ」
「『スケアウェア』……『スケアクロウ』 scarecrow が『カラス脅し』から『案山子』を意味するから scare は脅しって意味合い。『ウェア』はソフトウェアのウェアか……なるほど『ウィルスに感染してる』って脅しで偽のソフトを入れさせて、そのライセンス料を装ってクレジットカードの番号を盗もうとした、ってところか。人間相手なら不安を煽るのはとても効果的。クレジットカード番号詐取以外にも、いろいろと応用が利きそうね。これは、興味深い」
あたしが告げた『スケアウェア』という単語からすべてを察して勝手に理解するいくのん。
うん、彼女の理解に間違いはないわ。
彼女が検索を嫌うのは『ネタバレ』って表現していた通り、言い換えれば『検索すると解り過ぎて面白くない』から。
ま、だからどうってこともないけどね。
とりあえず、目的は果たしたし、そろそろお暇しようかしら。
「今日はありがとう、サバエちゃん」
「どういたしまして」
最後にもう一杯バーボンをいただいてから、いくのんの家を後にした。
銀の缶がダースで詰まった段ボールを担いで家路を辿り、一息。お隣なんで、たいした距離じゃないけど、いい運動になったわ。
「って、そろそろお昼の時間ね」
といっても、今から凝ったものを作るのは面倒ね。あ、もちろん、作ろうと思えばいろんなお料理は作れるのよ? でも、自分が食べるだけなのに手間をかけるのももったいないってだけよ。
というわけで、買い置きのもので済まそうかしらね。
「おつまみの定番、焼鳥の缶詰……うん、これにしよう」
冷凍してあるご飯をどんぶりに入れて解凍。
そこに、缶詰の中身をタレごと乗せて、あとは常備してあるきざみ葱を散らして、卓上調味料の山椒を少々かければ、
「お手軽焼き鳥丼の完成よ」
汁物は面倒なので、もうこれだけでいいわね。洗い物楽だし。
食卓に丼と、銀色に輝く缶を準備して、
「いただきます」
お箸で一口いただけば、安心の缶詰味。でも、そこの山椒が加わるだけでそれなりの味に感じられるのがいいわね。散らしたネギも、当然のように鶏に合う。
その味が残った口内に、黄金色の泡の出る液体を流し込めば、
「ふぅ、生き返るわ」
重い荷物を運んだ体が癒されていくわね。
次の缶を開けて、お手軽焼き鳥丼を食べる。薬味を足してごはんに乗せただけでも、こうやって食べると一品としてそれなりになるのが楽しいわよねぇ。料理(?)って奥が深い。
丼一つをガツガツと流し込むようにいただく。誰も見てないから、気にする必要もないしね。人が見てたらどうなるかは、乙女の秘密よ。
合間合間に麦ジュースを挟みながら、あっという間に丼は空になった。
これで、お昼は終了。
洗い物は丼一つをささっと洗えば終了だから楽ね。
それと、空いた缶を潰してまとめて袋に詰め、貰ってきた段ボールを開けて冷蔵庫の空いたスペースを埋めておかなくちゃね。
そうしたら、あとは休日をのんびり過ごしましょう。
ともあれ。
「ごちそうさまでした」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます