読書する際の脳内音声さんの件について
「今日のテーマは脳内音声さんについてよ!」
放課後、部長の声が部屋の中に高らかに響いた。
「どうでもいいですけど部長って結構良い声してますよね。声優とかいけるんじゃ無いですか?。」
「褒めるのは良いけど人の声をどうでもいいとか言わないで。結構ショックだから。後輩君は悪気がなさそうに見える分ダメージが大きいの。」
部長の脳内辞書には謙虚などと言う言葉は載ってないようで、褒め言葉について基本的に否定しない。
「部長って顔は美人ですよねぇ。」
「だからそんな当たり前のことを……ていうか今、顔はって言った?言ったわよね?」
そこはかとなくディスられたことに気づいた部長がぐいっと机に身を乗り出して僕を問い詰めてきた。
そしてやっぱり美人については否定しない。
「いえ。顔以外も良いと思いますよ。」
「それほんとうに思ってるやつ?めんどくさいからって適当に褒めようとしてない?」
部長は僕をジト目で見つめてきたので僕もじーっと見つめ返した。
しばらくすると部長がぷいっと顔を逸らした。
斜め後ろを向いているので顔は伺えないが、髪の間からチラリと覗く耳は真っ赤っかだ。
「ま、まあいいわ。それじゃあ本題、本題に入りましょうか!」
「そ、それにしても暑いわねー。」と部長はカタコト言葉と共に手に持った扇風機のスイッチを入れた。
扇風機の羽が回り出して、ついでに部長の目もぐるぐる回っていた。
いくら褒めても平気な顔している癖にちょっと見つめ合っただけでこの有様とか、これいかに。
でも確かに人の目を見て話すのって意外と難しいことかもしれない。ずっと覗いていると、深淵みたいなに透明で真っ暗な二つの穴へ吸い込まれそうになるから。
もしかしたら彼女も僕の目に吸い込まれそうになったのだろうか?だとしたらちょっと嬉しい。
「なにニヤニヤしてるのよ気持ち悪いわね。」
いつの間にか正常に動作し始めた部長がゴキブリを見るような眼を向けてきた。
「何でもないですよ。で、脳内音声さんって誰ですか?」
「それはアレよ。本を読むときに自分の脳内で地の文とかセリフとかを音読してくれてる人居るじゃない?」
「あー。確かに居ますね。」
本読むときの音声さん。確かに居るわ。
「あの音声ってみんなそれぞれ違うんじゃないかって気になったわけよ。ちなみに私の音声さんは知らない女の人の声ね。」
「え。知らない人の声が読書の度にしてるとかそれってヤバくないですか?。」
脳内にもう1人の住人がいるんじゃないかと怖くならないのだろうか。
今にその音声さんが第2の人格として表面に出てくるんじゃなかろうな。
「私は部長ではない。音声さんだ!」みたいな感じで。
「んー。多分私の中の基本的な声ってやつなのかしら?めちゃっくちゃ澄んだ良い声なのよね。男子の心の声とかセリフとかも全部その人。唯―私より美声だと思う声ね。」
部長は何故かしたり顔で言ってきた。自己評価高すぎ乙。
しかしそこまで絶賛するのならそれは是非とも聴いてみたい。どうぞ第二の人格に体の主導権を奪われてみて下さい。
「僕は固定の人は居ないですね。今ハマってる俳優さんや声優さんとか、好きな声を当てたりする感じです。」
その時に見ている映画やドラマ、アニメに影響されてといった所だろうか。
読書がマンネリ化した時、同じ本を何回も読む時などはドラえもんの声なんかで朗読してもらったりしてる。
シリアスな話を読んもらうと音声と話のギャップが新鮮で面白いんだなぁこれが。
「えー。なんかキモくない?後輩君って可愛い声優さんの声を当ててる時、ブヒブヒ鼻息荒くしてそうな顔してるわよね。」
「部長って、確証もなくあやふやな想像だけで人を貶めようとしてくる所ありますよね。
まぁ僕みたいな人結構多いんじゃないですか?やっぱりキャラに合ってる声とか、自分の好きな声で読んでもらいたいじゃないですか。」
「あー。その理屈で行くなら主人公の声を自分、ヒロインの声を好きな異性にしてる奴らが居そうね。」
今にも反吐がでるという顔で部長は吐き捨てた。
いやあんた天才かよ。
自分を主人公とした物語を書いて、ヒロインを好きな子にする痛い作業の簡単版といったところだろうか?
それはまさしく世の叶わない片思いに耽(ふけ)る少年少女への救済である。
「まぁ主人公に自己投影する人とか多そうですし、自分の声でそのまま読む人が多いんですかね。ていうかこの会話不毛じゃないですか?」
なにぶんサンプルが2人分しか居ないから、どのタイプの音声さんが1番多いのかとか、考えたところで分からないのである。わかるのは部長と僕の脳内音声さんだけだ。
「後輩君……。それは言っちゃいけないことだと思うの。」
しばらく黙った後、部長は俯いて深刻そうな声で呟いた。
「あ、なんかごめんなさい……。」
「……いいのよ。いいの。」
部長が沈んだ声のまま呟いた。
居た堪れない空気が部屋を包む。
まぁ例え今までやってたことが無意味だったって分かったとしても認めたくない時って誰でもあると思う。
「じゃあこうしましょ!皆がどんなタイプの脳内音声さんを使ってるかじゃなくて、私達はどんな脳内音声さんを使えば1番楽しく読書ができるか!をテーマに変えましょうそうしましょう!
いやー、やっぱり私って天才ですわー。
もう発想がね?凡人とは違うというか?逆境に強いっていうか?」
お通夜みたいな雰囲気を打ち壊した部長が急にイキりだした。
「まぁ良いですけど。」
天才うんぬんの話は完全にスルーを決め込むことにする。
「私はもちろん世界一と言っても過言ではないほどの美声である私自身の脳内音声さんを推すわよ。むしろこの声以外で本を読むと頭に入ってこないわね。」
「けど、部長の脳内音声さんは部長しか聴けないわけじゃないですか。だから僕は真似しようとしても真似できないんですよね。例えそれがどんなに良い声だったとしても。」
だって人の頭の中は覗けないのだ。よしんば頭をパカっと開いたところで出てくるのはグロ画像だけだろう。
「んん。あーあー。ぁぁぁあぁあぁあぁ!!!」
部長が咳払いをしたかと思うと、急に低い声や高い声を織り交ぜて叫びだした。
「いや何してんすか?」
この奇行には流石に僕もドン引きした。
「これが音声さんのこ、声、ゲホッ。オェェッ!」
イケボっぽい声を出した部長は盛大にむせた。
なんだろう。女の子のけほっ、けほっっていう可愛らしいむせ方じゃなく、おっさんのような濁音塗れの汚いむせ方だった。
咳が治まってきた頃を見計らって僕は声をかけた。
「あー。水飲みます?」
僕は朝方凍らせておいた水筒を鞄から取り出す。
部長は引っ手繰るようにそれを奪い取ると、貪るように喉を鳴らせて水を飲んだ。
口の端から水が溢れて顎を伝って机に落ちる。
「あー。死ぬかと思ったー。で、わかった?あんな感じよ。」
「何がですか。」
「何がって脳内音声さんの声よ!限界を超えて再現することに成功したわ。」
その代わりに色んなものを失ったようだ。例えば女子力とか。
これがいわゆる等価交換というやつなんだろうか。
「あーすいません。その後咽せた事への印象が強すぎてどんな声だか忘れちゃいました。」
僕が片手で後頭部を撫でながら笑うと部長は時が止まったかのように静止した。呼吸音もしない。
もしもーしと呼びかけて目の前で手を振ってみても無反応だった。
しかし次の瞬間、ノーモーションで前に突き出た部長の両手が僕の肩を掴んで、痛いくらいに力を込めてきた。肩千切れそう。
「ねぇなんで?なんでそういう事するの?あーあーせっかく後輩君の為に頑張ってやるかと思ったらこれですよ。
ねぇなんなの?わざとなのわざとなんでしょ私をからかって楽しんでるんでしょ!?」
限界まで開いた眼光を一度も瞬きさせることなく部長は僕を見つめた。
見開いた瞳からは一切の光が抜け落ちている。
いや怖っ。あれ?僕もしかしてここで殺されるのか?
僕の横には美術準備室らしくデッサン用の頭の部分の石膏像が男女で夫婦のように並んでいる。なんと御誂え向きの撲殺用鈍器だろうか。
デッサン用の石膏像たちが今にも凶器にされたそうに部長を見ている!
凶器にしますか?
はい←/いいえ
きっと部長の視点にはこんな選択肢が浮かんでいることだろう。
「アレですね!部長の脳内音声さんの声とか聴かなくても、良く良く考えたら僕って1番好きな声が部長の声ですから、読書の時は部長の声で音読してもらうのが1番幸せかなぁ!」
僕は彼女が選択肢を選び終える前に早口でまくし立てた。
恐る恐る部長の目を見つめると、深淵のように黒く濁った瞳に徐々に光が浮かび上がってきた。
「え?そう?まぁ確かに脳内音声さんも美声だけど?それを差し置いても私がNo. 1ってことですか?
えー、ちょっとそれってヒロインの声とかも私の声ってことでしょう?どうせエッチな事とか言わせてるんでしょホントやめてくれる〜ホントキモすぎなんですけども。」
そう言いながらもドゥフフと気色の悪い笑い声と共に体をくねらせて、肘でツンツンと僕の腹を突いてきた。
そのあまりにもウザい行為を、死の恐怖から解放され一種の悟りに至っていた僕は喜んで受け入れた。
「やっぱり脳内音声さんは自分の1番好きな人の!1番好きな人の声を採用するのが良いってことね!」
部長は小躍りするほどのご機嫌でそう締めくくった。
今日のテーマ
読書を楽しむ為に脳内音声さんはどんな人を採用するべきか?
結論
自分の最も好きな人の声を採用するべき。
本日の活動、終了。
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