其の八十四 陽だまりの記憶6
自分の身に何が起こっているのか、わけがわからずミコットは一瞬、放心状態になった。
アトミータの舌が唇を割って入ってきた所で我に返り、両手で押しのけようとするのだが、相手の方が身体が大きく力も強い為、押さえつけられてしまった。
「やめてくださいアトミータ、どうしてこんなこと」
気が付くと目からは涙が溢れ、身体も震えている。
ミコットは恐れていた。
この後、アトミータに何をされるのか想像もつかなかったが、先程まで少女のように無邪気だった彼女の豹変ぶりに恐怖していた。
「ミコット……あなたも私のことを拒絶するの?」
「アト……あなた、正気に戻ったのですか? 私の事が誰だかわかるのですか?」
自分のことをミコットと呼ぶアトミータ。
彼女が正気に戻ったのかと思い、ミコットは少し戸惑いながらもそう問いかけた。
すると、アトミータは少し俯いた後に小さく首を振る。
「正気? そんなの……そんなものは、疾うの昔に失ってるよ。ねえ、質問に答えてよ。あんたは私のことを受け入れてくれる? それともあいつらのように……アトラやキャロルティナのように……」
「キャロル……誰?」
その瞬間、ミコットは身も竦むような恐ろしい気配を感じた。
それはアトミータの内から湧き出る感情。
憎悪、怒り、哀しみ、それらが綯交ぜになりぐちゃぐちゃになった、どす黒い感情。
やがてはアトミータ自信を飲み込み破滅へと誘う、彼女を取り巻くもの達までも道連れに全てが終焉へと向かう、そんな危険な物に感じた。
「アトミータ、だめ……」
ミコットは恐怖心を押さえ込み彼女のことを宥めようとするのだが、アトミータは馬乗りになったまま頭を抱えて髪を掻き毟りだした。
「そうだっ! キャロルティナだ! あいつが、あいつと黒い剣士が私からアトラを奪ったんだ! なにもかもを失った私に残された。大事な大事な、たった一人の妹だったのに……あぁぁぁ、うぁぁぁあぁあああ」
狂ったように叫ぶとミコットの胸に突っ伏して嗚咽を上げるアトミータ。
わけがわからなかったが、ミコットは彼女の頭をそっと撫でようとした。
その時、突如爆音が鳴り響いた。
アトミータの身体を抱えるように身体を起こすと、ミコットは空を見上げる。
西の方角、真っ赤な炎の柱が天空へと延びていた。
「お師匠様の魔法……」
リーンクラフトの森の方角であった。
ミコットは咄嗟に念話で呼びかける。
―― お師匠様? お師匠様? 何があったのですか? お師匠様?
間を置かずに返事があった。
―― ミコット、侵入者です。
―― 侵入者? 一体誰が? どうやって?
信じられなかった。
あの森には、魔女以外には通ることの出来ない結界が施されている。それも、大魔法使いリーンクラフトがかけたとびっきりの結界だ。容易に解くことなどできはしない。
アトミータのような例外もあるが、そんなことが立て続けに起きるわけがない。ましてや、お師匠様が魔法によって応戦しなければならないような、そんな悪意を持つ者など以ての外であった。
しかし、次に告げられたリーンクラフトの言葉にミコットは衝撃を受けた。
―― あの子が原因です。
―― まさか……アトミータですか?
―― そうです。蟲を利用したのです。その子の臭いを追ってきました。
ミコットは愕然としてしまう。であれば、それは自分の所為ではないかと。
アトミータを発見した時、お師匠様は放っておけと言っていた。
しかしその言葉に反発し、彼女を救ってしまったのは何者でもない自分。それを思い返した時、ミコットは取り返しのつかないことをしてしまったと後悔した。
―― お師匠様……私の……せ。
―― あなたの所為ではありませんよ。
―― でもっ!
―― 決してあなたの所為ではありません。こうなることは運命だったのです。
それは決してリーンクラフトがミコットのことを思い遣り、投げ掛けた言葉ではなかった。
大魔法使いリーンクラフトがそう言うのだから、それは絶対であるからだ。
ミコットもそれは理解していた。きっと、これは起こるべくして起きた事なのであると。
―― お師匠様、私はどうすれば?
―― アトミータとは一緒に居ますか?
―― はい。
―― そうですか……。
そう零すと、数秒間リーンクラフトが沈黙した。
ミコットも黙り込み、お師匠様の答えを待つ。
しばらくの静寂が辺りを包み込み、1分程経ってからリーンクラフトが再び話し始めた。
―― あなたはその子を連れてお屋敷に戻り、聖剣を受け継いだ者達と交信を。
―― 聖剣を? どうやって……まさか!?
―― そうです。現世乖離の術を使って、勇者達の元へ。
現世乖離の術。
それは、己の魂を肉体から離脱させ、時間と距離を超越した存在となる秘術のことである。
―― そ、そんな秘術、私にはまだ無理です。
―― できなければ、私達が生き残るのは難しいでしょうね。
―― そんな……。
前機兵大戦を生き残った大魔法使いリーンクラフトが、そう言う程に危機的な状況であるとミコットは理解した。
しかし、自信がなかった。
己の肉体から魂を切り離し、幽体を飛ばして時間と距離を超えるなんて、そんな大魔法を使うことができるのか。とても自分自身を信じることができなかった。
―― ミコット。運命とは、確定した未来の事ではありません。私達は、定められた未来に対して、己の選択で命を導き運ぶことができるのです。
リーンクラフトの優しい声が、胸の奥へと染みわたっていくのをミコットは感じた。
―― 未来とは常に、不確定で揺蕩っている物。私も抗ってみせます。あなたも抗ってみせるのです。
―― わかりましたお師匠様。やってみます。だから……。
死なないで。
そう言いかけてミコットは止めた。
それを言ってしまうのは、そうなる未来を認めてしまうような気がしたからだ。
続く。
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