其の七十 沖田総司
慶応3年、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜により大政奉還が成され、王政復古の大号令が発せらると、徳川幕府は事実上崩壊した。
元号を明治と変え新政府が発足されると、その中心に居たのは維新三傑と呼ばれる男達。
薩摩の西郷隆盛と大久保利通。そして、木戸孝允と名を変えた長州の桂小五郎であった。
最早、時代の流れを、剣のみで止めることはできなかった。
明治と言う新時代を迎えながらも旧幕府軍は尚も抵抗を続け、そしてその中には新撰組隊士の姿もあった。
鳥羽・伏見の戦い。
維新戦争の最大規模の戦闘にあたる、戊辰戦争の皮切りとなった戦いである。
ここから始まり、函館で終戦を迎えるまでには多くの犠牲者を出すことになるのだが、兵力では新政府軍を圧倒する旧幕府軍でありながら、諸々の不備により新政府軍に苦戦を強いられることになると、次第に劣性へと変わっていくのであった。
沖田は、そんな戦いの中に身を置くことができなかった己を恨んだ。
池田屋事件のあった夜、十郎太と交戦。賊を仕留めたかに思ったのだが、胸を突いて平屋の中に転がり込んだ相手が忽然と姿を消した。
闇に乗じて裏手から逃げたのだと思い、直ぐに追おうとしたのだがそれは叶わなかった。
沖田はその場で喀血すると昏倒してしまい、気が付くと詰所の布団の上で横になっていたからだ。
胸の病であると知ったのは、それから間もなくのことである……労咳であった。
それでも沖田は、新撰組隊士の仕事を熟してきた。仕事の中で山南敬助の脱走、捕縛。そして、切腹の介錯にまで至るものは、沖田の人生の中でも最も辛く苦しい経験であった。
それから、病状が悪化し何もすることが出来ないまま徳川幕府が倒れると、近藤勇までも敵の凶弾に倒れたと言う報せを受けたのは、大阪の地であった。
悔しい、情けない、この身が万全ならば、己が剣を取って戦っていればと、病に臥せっている間もずっと沖田は、その身の不甲斐なさを恨み続けた。
近藤が処刑されたことも報されぬまま、永遠の眠りにつこうとする間際、沖田は昔の出来事に想いを馳せる。
近藤や土方らと共に、剣の腕を磨いた試衛館の内弟子時代。
若くして、北辰一刀流の免許皆伝となったのは誇りであった。
浪士組を経ての壬生浪士組、そして新撰組となり、京都の街を駆け廻ったあの頃。
気が付けば、己の剣術は人を斬る為の殺人術へと変わっていた。
芹沢鴨を暗殺した時はあっけなかった。どこかの奉行所の与力を斬ったこともある。いつしか、新撰組の殺人鬼。人斬り沖田と呼ばれるようになっていた。
なんの為に磨いてきた剣の腕なのか、それは人を殺める為、命を奪う為のものだったのだろうか。
虚しかった。ただただ虚しい剣であったと、沖田は思った。
そして、死の際に思い出したのは、近藤のことでも土方の事でも、姉のことでもなかった。
不破十郎太。
尊攘派側の人斬り、なぜ、たった一度だけ斬り交わしただけの相手を、死の間際に思い出したのか、沖田は最初わからなかった。
それでも、十郎太との戦いを思いだす内に、両の手に蘇ってくる剣を打ち合う感覚。
もう4年も前のことなのに、今でもその熱が掌に残っているようで、沖田は声にならない声で呟いた。
「楽し……か……った……なぁ」
まさか、この世に未練があるとしたら、それが人斬り十郎との決着であると。そう気が付いた時に沖田は無性に可笑しくなった。
込み上げてくる笑いを抑えきれずに、大声で笑った。
苦しくて、涙が出るくらいに笑い転げていると気が付く。己が、なぜか草原の上を腹を抱えて転げまわっていたことに。
身体を起こして辺りを見回すと、なぜかそこは見知らぬ大草原であり、いつの間にかはかま姿に、そして新撰組の羽織を纏っていて、傍らには愛刀「菊一文字」があったのだ。
*****
「なるほどねぇ、まさかあの夜にこっちの世界に来ていたとはね」
沖田は十郎太の話をなにやら楽しげに聞いている。
十郎太がここまでの経緯を話し終えると、沖田も自分の身に起きたことを説明するのだが、当然、死の際に十郎太のことを考えていたという部分は伏せて話した。
「なんだか合点のいかねえことばかりだが、そうか……桂さんはあの後無事だったみたいだな」
「無事どころかその後、徳川に勝ったんだから大した人物だよまったく」
何の話をしているのかキャロルティナには理解できなかったが、十郎太と沖田がなんだか随分と親しげに見えて、古い友人同士が思い出話をしているようにも見えて可笑しくなった。
そんな気配に気が付いて、十郎太はバツが悪そうに頭を掻くと剣を腰に差し直す。それを見て沖田も剣の柄から手を離し警戒を解いた。
「それで、新撰組はどうなったんだよ? 会津の与りだったんだろ、薩摩と長州に取り入るわけにもいかねえだろ」
「さあね、近藤さんや土方さんがどうなったのかもわからないし。わからないことをいくら考えたってしょうがないからね。こっちに来てから当て所もなく街を転々としていたんだけど、面白い人に拾って貰ってね、今はその人の下で働いているんだよ」
沖田はキャロルティナの方を見ると、眉を下げて少しだけ残念そうな顔をした。
そして、ふっと氷のような目になると、キャロルティナのことを見据えて言い放つ。
「知ってるかな? レオンハルトって言うんだけどね。その男の下で、仕事をしているんだ」
続く。
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