わたしも「わたし」でありたいです。「~ができる人」とか「~ができない人」とか「大人」だとか「子ども」だとか、そんな称号では結局「わたし」を表わすことはできないと思います。
そのことに多くの人が苦しんでいるはずなのに、他者を見るとき「~な人」だとか分かりやすい称号で一括りにしてしまいます。わたしもそうです。そんな称号で人一人が理解できるはずもないのに。人はすぐに判断を下そうとする。人間はそういう生き物であり、そのことに人間自身も苦しんでいるんじゃないかなって思います。
わたしの場合、「わたしでいたい」と思いながら、人からの承認が欲しくて「わたし」を歪めてしまう。承認無くして生きていくことって本当に難しい。否定されて、それでも「わたし」を維持していくことって本当に強くないとできないんだなって思います。
(的外れな意見だったら、すみません)
作者からの返信
的外れなんてとんでもない!ほんと、そう思います。
自分が自分らしくある方法は、私にとっては書くことかなー、と思うけど、その時間さえなかなか許されない。そんなことよりも、誰かにとっての「何か」であることを常に求められるんです。
なんかしんどいですよねー。
私自身でいたいだけやのにな、なんて思います。
私は私自身でいたい。
なんだかこの言葉は自分が勝手に感じている重荷を軽くしてくれました。
作者からの返信
そー思ってもらえたなら嬉しいです!
いろいろ思うことあって、つい書き殴ってしまいました(笑)