第139話 レニとともに
王都からの援軍はちょうど二週間後にフリギアに到着した。この援軍はジルにとって二重に大きな意味を持った。
まず一つには帝国領へと進攻するにあたり、どうしても不足する兵力を補充するということ。これはごく当たり前のことだろう。そしてもう一つは、その援軍の中にレニが居たことである。
クリストバイン伯爵家は、今回の遠征に兵を派遣する義務はない。というよりも、すでにレムオンが存命の時から第一方面軍の中には副官のアレクセイや、クリストバインの兵の一部が従軍し、十分過ぎるほど貢献してきたのである。
それゆえ、アルトリアから渡された諸侯のリストに眼を通していた時、レニの名を見つけてジルは酷く驚いたのであった。
ジルやアムネシアは援軍を出迎えるため、フリギアの城門まで足を運んでいた。諸侯の軍の中には勝利の名声を求めてかなり高貴な貴族も参加していた。王弟といえども、十分に礼を尽くさねばならない。
意気揚々と指揮官達がフリギアに入城してくるのを眺めなら、ジルはレニの姿を探す。先頭から5番目の位置に、クリストバイン伯爵家の旗が掲げられていた。そして旗の下では、レニが凛々しい面持ちで馬にゆられていたのを見つけた。
その姿を眼にした時、ジルの胸中には言葉で言い尽くせないような思いが広がった。喜び、感謝、申し訳無さ、疑問などがないまぜになった気持ちを。
今は総司令官ゆえ私情でレニだけに会うことは出来ないが、今日は援軍を歓迎する夜会が開かれる予定になっている。その時にレニと話す機会はあるだろうか、ジルはそれが気になっていた。
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「諸卿のご協力に心より感謝します。ともに心を一つにして帝国を倒しましょう! 今宵は心ばかりの食事を用意しました。十分に楽しみ、英気を養って下さい」
挨拶を終えたジルは、アルトリアからワインのグラスを受け取り喉に流し込んだ。最高指揮官とは常に気が張ることばかりである。ほんの一時の安息の時間に、ジルはほっと溜息をついた。
「王弟殿下、おやすみのところ大変申し訳ありませんが、ロートレック卿がお目通りを願っています。卿はこたびの援軍で重要な地位におられる方、お会いになられた方がよろしいかと」
「……ありがとう、アルトリア。会いましょう」
ジルへの面会申請はひっきりなしにやってくる。と、いうよりは援軍にやってきた貴族たちは基本的にほぼ全員がジルと話したがっていた。貴族の社交の習慣として、このような場合自分の存在をアピールするのが当然だからだ。
だが、ジルの体は一つしかなく、とても全員と会うことは出来ない。秘書のアルトリアが取捨選択して、重要人物だけに絞っておうかがいをたてているのだ。アルトリアの配慮にジルは随分と助かっていた。
「これはロートレック卿、フリギアまでの道中お疲れだったでしょう」
「なに、これから帝国を倒そうというのです。これしきのこと!」
ロートレック卿は国王派の貴族で豪放な性格で知られていた。貴族としてあまり陰謀やはかり事には慣れていないが、その分戦には向いていた。
ジルは、フリギアの現状、帝国軍の様子など幾つかの点についてロートレック卿に説明した。
「そうそう、わたしはある貴族にあなたへの仲介を頼まれましてな。会っていただけますかな?」
「……ええ、他ならぬ卿のご紹介です。お会いいたしましょう」
ジルはちょっと考えてから返事をした。時間は限られているため断ろうかとも思ったが、ロートレック卿の面子を潰してはまずいと思い直したのだ。
「それではあちらに控えておりますゆえ、呼んでまいりましょう」
ロートレック卿はそう言い残し、さっさと去ってしまった。
家臣を使わず、貴族が自ら人を呼びにいくとは酔狂と言わざるをえない。変わったお人だ、ジルはそう思って苦笑いを浮かべた。
待っている間、新たなグラスを手に取り、歓迎会の会場を見渡した。みな思い思いに談笑し、楽しんでいるようで安心した。
「ジ……ジル先輩?」
そう呼ばれてジルは後ろを振り返る。そこには、ドレスを着たレニが立っていた。
「レニ!! もしかしてロートレック卿が紹介したいというのは君のことだったのか?」
ジルは久しぶりにレニと言葉を交わした気がした。王都では戦いの準備で忙しく、とても会う機会などなかったのだ。
レニが微笑みながら頷いた。
「なにもロートレック卿に紹介してもらわなくても、自分で会いに来れば良いじゃないか」
「私もそうしようと思っていたのです。ですが、卿が強引に紹介するとおっしゃられてそれで……」
なるほど、ロートレック卿が気を回してくれたということか、ジルはそのことに気がついた。ジルの婚約者である手前、レニは公私混同を批判されかねず、どうしてもジルと会うのがはばかられてしまう。そんなレニを見て、卿が気を使ったのだろう。味のある配慮と言うべきであった。
「良くフリギアまで来てくれたな。だが、クリストバイン家には派兵する義務はなかったのだろう?」
この言葉をもしアムネシアが聞いていたら、この唐変木がと言ったに違いない。
レニは愛するジルに何とかして会いたいと思ったのだ。援軍に行けばずっとジルの近くにいることが出来る。たとえ話はできないとしても、目にすることくらいは出来る、そう思っての止むに止まれぬ決断だったのだ。
だが、そんなことは恥ずかしくて言えず、レニは口に出しては別の理由を述べた。
「いまは少しでも多くの兵が必要でございましょう? 先輩の戦いに少しでも貢献出来たらと思いまして」
「ありがとう、嬉しいよレニ。ほんとうに」
社交辞令ではなかった。ジルは王弟という高い地位について初めて分かったことがある。真心を持って接してくれる者がどれだけ貴重か、損得よりも自分のことを考えてくれる人がいかに少ないかということを。
「少し踊ろうか、レニ」
「えっ? 先輩?」
ジルが強引に腰に手を回してきたことに、レニは一瞬戸惑った。婚約者になったとはいえ、政治的なことが先にたったため、二人はまだ何も恋人らしいことをしてこなかったのだ。
「先輩はお忙しいのでしょう? 私などに構ってよろしいのですか?」
自分は何を馬鹿なことを言っているのだろう、レニは自分の臆病さを呪いたくなった。
久しぶりに会えたジルと一杯話したい、近づいて体温を感じたい、そう思っているのに、口からは裏腹な言葉が出てきてしまった。
「まあ、今ぐらいは良いじゃないか。この30分くらい、帝国も何もしやしないさ」
レニは自然と笑顔があふれてきた。これだ、この思いを抱くため、彼女はフリギアまで来たのだった。
今それを叶えることができ、彼女は幸せだった。
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