第137話 アムネシアと
「う、うぅううう」
ジルはうめき声を上げ眼を覚ました。眼にしたものは石造りの天井。ジルは立派なベッドに寝かされていた。
「ここは……」
外から漏れ入る月の光から夜であることが分かったが、自分はフリギアの外で野営していたはずではなかったか。
「目が覚めたようだな」
ジルのたてた物音に気づき、アムネシアが声をかけた。彼女はベッドの側にあるテーブルで酒を飲んでいた。
「アムネシアさん……、ここはどこですか?」
「フリギアに決まってるだろう。ここは前に我々がいた市庁舎だ」
「……すると勝ったんですね?」
「ああ、お前のおかげでな」
アムネシアは酒の入ったグラスを傾けながら、勝利の余韻を味わっているようだった。
「そうだっ! 母上はどうなったんですか!?」
あやふやな記憶のなかで、シーリスは力尽き倒れこんだはずだった。
「大丈夫だ。大層疲労されているが、命に別状はないだろう。この隣の部屋でお休みいただいている」
アムネシアはシーリスの世話は部下に任せていた。第二方面軍司令官としても、聖女というのは近づきがたい存在らしい。
「僕のそばに居てくれたんですか?」
「功労者を無下にするわけにもいくまい? 特別サービスで私が昔使っていたベッドに寝かせてやっているんだぞ」
「光栄です」
ジルは思わず笑みを浮かべた。ここは以前アムネシアが使用していた部屋のようだ。シュバルツバルトが勝ち、シーリスも無事と分かり、ジルはようやく気を落ち着けることができた。
アムネシアの方を見れば、いつもの鎧や高価な服ではなく、寝る前のネグリジェの姿だった。
ようやくそのことに気づき、ジルは目のやりどころに困った。豊かな胸の谷間や艶めかしい太ももが見えているのだ。
「た、戦いはあの後どうなったんですか? 何があったか教えて下さい」
ジルはいささか不器用に雰囲気を変えようとした。
「ふむ、そうだな。では、同じベットに入って寝物語に聞かせてやろうか」
「ア、アムネシアさん!」
アムネシアはジルの布団へと強引に潜り込んできた。ジルの見るところ、彼女はかなり酔っているようだった。その酔のなせるわざなのだろうか。
アムネシアの吐息が近くに感じられる。そしてギュッと抱きついてきたその身体からは、柔らかな胸の膨らみを感じることが出来た。
「ふふふ、嫌ではなかろうに……」
アムネシアはからかうように言った。ジルが王子と分かってからも、二人の時はアムネシアの対応は変わらなかった。いつでも主導権は彼女が持っていた。
仕えなければならない王子であり、かつての部下でもあるというその二重の関係性が、アムネシアにとっては面白かった。彼女は退屈なことが嫌いなのだ。
「まあ、約束だ。戦いのことを聞かせてやろうか。勝ち戦について語るというのは良いものだしな」
****
シーリスとジルが気を失った後、シュバルツバルト軍は城壁に開いた穴からフリギアへ突入した。帝国軍が組織だって迎え撃てば、そう容易に城内に入ることはできないはずだった。
だが、帝国軍は火砲の威力と頼みの綱であるガスパールを失ったことで大混乱に陥っていた。冷静沈着であるはずのザービアックでさえ、効果的な指示を出せないでいたほどだ。
もともと帝国とシュバルツバルトとでは、シュバルツバルトの方が優勢に戦いを進めていた。それを逆転し二度に渡って帝国がシュバルツバルトを破ったのは、まさにガスパールの存在だった。
それが失われた時、以前よりも帝国は弱体化してしまったのだ。
「頼むべからざるものを頼った結果か……」
ザービアックは自嘲せずにはいられなかった。帝国はもろくも崩れ立ち、もはや立て直すのは難しくなっていた。迫り来るシュバルツバルト軍の波に飲まれ、そこかしこで駆逐されている。
彼はガスパールの存在をもともと古代の文献で知っていた。そして帝国領にある未知の領域「魔獣の森」の最奥部で古代の遺跡を発見した。その遺跡からはガスパールが封印された地下神殿が発見されたのである。
ザービアックはガスパールの封印を解こうとしたが、神官ならぬ彼にはそれは出来なかった。帝国が抱えるイシス教の神官にも無理だった。
ガスパールの神官でない者が、どのようにしてそれを召喚できるだろうか。ザービアックはその解明に研究の情熱を燃やした。その結果、ルーンカレッジの地下書庫にある魔道書がガスパール召喚の媒介になることが分かったのである。
それゆえ、帝国はフリギアに突如進攻し、攻められれば固執することなく放棄もしたのだ。
全てはガスパールを切り札として使うためだった。だがまさか、シュバルツバルトがイシスを召喚するとは思っていなかった。この世界の人間が信仰する紛れもない神を。
ガスパールはイシスによって滅ぼされてしまった。ザービアックの呼びかけに一切答えなくなったことから、そう考えざるを得なかった。
帝国はガスパールを失った。百歩譲ってそれは良い。いや、良くはないが仕方がないことである。だが、シュバルツバルトはどうなのだ? イシスを再び召喚することが出来るのだろうか?
出来るとすれば、帝国にとって深刻な脅威となるに違いなかった。
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