第78話 従者ミリエル

 ギールへと帰ったジルは、報告のためアムネシアの執務室を訪れた。ルーンカレッジへ情報収集に行く前に、準備のためロゴスへ行くと報告をしたきりだった。


「アムネシアさま、ただ今帰りました」


「ご苦労。それでフリギアへ潜入する準備は整ったの?」


 アムネシアがジルに会うのは5日ぶりだった。その間、彼女は話し相手がいなくなって少々寂しい思いをしていた。もっとも、ジルの代わりにバレスが側に呼ばれ、いじられて閉口していたのだが……。


「そのことについて少々ご相談があります」


 アムネシアには本当のことを話す決意しておきながら、ジルは一瞬ためらった。アムネシアはエルフについての話を冷静に聞いてくれるだろうか、受け入れてくれるだろうか。それほど、この世界において人間とエルフの間にある壁は高いものなのだ。だが一方で、アムネシアは戦略的に物事考え、利害を計算できる人間だ。ジルはそういったアムネシアの性格を信頼もしていた。


「詳細については言えない部分があるのですが、今回の任務を遂行する上で私はエルフの協力を得ました」


「ん!? エルフ? 何を言っているのだ?」


 アムネシアは意外過ぎるジルの言葉を理解できていないようだった。これがごく普通の反応というものだろう。


「そうです、エルフです。アムネシアさまはエルフを見たことがありませんか?」


「無い。無いに決まってる……冗談を言っているわけではないのだな?」


「ええ、ロゴスでルーンカレッジの方々から聞き取り調査をした後、私はエルフの森へ行きました」


「!?」


 第二方面軍司令官のアムネシアでさえ、「エルフの森」は遠い異世界にある場所のようなイメージを持っているのである。ジルが行ったと言っても、全く現実感がないのだ。


「……いったい何をしに行ったのだ?」


「それはエルフとの約束でお話することが出来ません。ですが、エルフたちの協力は非常に有用で、必ず任務の達成に助けとなるものです」


 オルドラスと約束したことは二つあった。一つは魔法を他人に教えないこと、そして二つ目がその魔法がエルフのものであることを口外しないことである。アムネシアに本当のことを言えば、二つ目の約束を破ることになる。


「私はこの第二方面軍の司令官であり、この任務の全責任を負う立場だぞ! その私に話せないというのか!?」


 アムネシアの口調がやや強いものになった。この場合、ジルが彼女を軽く見ているととられてもおかしくはない。


「ご存知のように、エルフは古来から人間によって駆逐され、いまではエルフの森にしかいません。今回私はある理由からこの森を訪れました。エルフたちは私を信用してくれましたが、人間全体に対しては根強い不審感を持っています。ですから彼らは協力する代りに、彼らについて決して口外してはならぬと条件をつけてきました。もしアムネシアさまがどうしても話せとおっしゃるのなら、エルフの協力は得られなくなります。そしてそうなれば、フリギアでの任務を達成することも非常に難しくなるでしょう」


 ジルの説明を聞いてアムネシアは眉をしかめた。任務の成功のためには何も聞くな、ジルの言葉は脅迫に近い響きがあった。だが、フリギアでの任務は非常に重要なものであり、彼女にはそれをジルに押し付けた弱みがあった。自分の面子を別にすれば、任務を成功できるのであれば、多少のことは目をつぶっても良いのではないか、そうアムネシアは考えるに至った。


「分かった。ではそのことは問わないでおきましょう」


 ジルはほっと胸をなでおろした。アムネシアがあくまでも本当の事を話せと固執したとすれば、ジルはエルフとの約束を違えることになってしまっただろう。


「だが、何かエルフのことで何か問題があれば、相応の責任をとってもらうわよ」


「分かりました。それは当然のことです。それと、実はもう一つ、アムネシアさまにお願いしたいことがあります」


「まだあるのね……」


 アムネシアはジルの言葉に、一つ溜息をついた。


「エルフたちは協力の一環として、エルフの一人を私の側に置き、私の任務に協力させたいと言ってきました。エルフは強力な魔術師であり、その協力は非常に魅力的です。そこでそのエルフを私の部下として、側に置くことをお許しいただきたいのです」


 実のところミリエルがジルの側にいることを希望しているのは本人だけなのだが、本当のことを言えば話がややこしいことになるので、エルフ全体が希望しているということにした。


「そんなこと、許可できると本当に思っているの?」


 アムネシアは居住まいを正すと、ジルの目を見て言った。


「そのエルフは我が軍や我が国に駐在することになる。好き勝手にスパイさせるようなものだわ。しかもこちらから請う形で」


「彼らはエルフの森の存続と、将来的な人間との共存しか考えていません。それはこれまでエルフがたどってきた歴史を御考えになれば、彼らの気持ちが推測できるはずです。彼らは本来人間に対してそれほどの興味はありません。彼らの森と境を接するシュヴァルツヴァルト王国が彼らを攻めようとしているのではないか、それに関わる情報のみが彼らの欲する情報なのです。ですから、我々が漏洩を心配するような情報は、彼らにとっては関心の無いものであり、実際にはほとんど害となることはないはずです」 


「……」


 確かにジルの言うことは筋が通っており、その通りかもしれない。だが――


「お前がそれを信じているとしても、それが本当である保証がどこにある? 全軍を、国を危うくすることになるかもしれないのよ?」


「それは実際に彼女にお会いになり、アムネシアさま御自身で判断なさってください」


「彼女? それで会った後で私が駄目だと言えばそれに従うのね?」


「ええ、それは仕方のないことです。アムネシアさまのお考えに従います」


 ジルとしてはミリエルを側に置くというのは、必ずしも不可欠というわけではない。最悪、エルフの協力を得ていることをアムネシアに伝えることができれば良いのだ。そして、それはすでにクリアされているのだ。


「よろしい。そのエルフをここへ連れて来なさい」


 アムネシアの言葉に従い、ジルはミリエルを執務室に連れてきた。


「ジル、お前は部屋から出て行きなさい。このエルフの娘と一対一で話をするわ」


 ジルは一瞬抗議しようと思ったが、アムネシアが受け入れるわけがないと思い直し、ミリエルを残して部屋から出た。


 それから30分後――


 ジルが外にある来客用ソファーに座って待っていると、ミリエルが部屋のドアを開けた。


「ジル、入って」


 ミリエルに促され、ジルは執務室に入った。アムネシアの机の前に、ジルとミリエルが並ぶ形になる。アムネシアは恐らくミリエルの受け入れを認めないだろう。だがそれも仕方のないことだ、ジルはそう覚悟していた。


「ジル、ミリエルが我が軍に従軍することを認めよう。上級魔術師であるお前の従者としてな。部屋はお前の隣で良いだろう」


 アムネシアの意外な言葉に、ジルは戸惑った。絶対に否定されると思っていのだ。


「だが、エルフが我が軍にいると分かるのは具合が悪い。ミリエルの正体は絶対に隠しなさい。常にフードでもかぶせておくのだな」


 ジルは意外な感に包まれたまま、アムネシアに礼を言い、ミリエルとともに執務室を後にした。


「アムネシアさまと一体何を話したんだ?」


「それは内緒よ。女同士の秘密って奴ね。上手く言ったんだから良いでしょ」


「なんだそれは……」


 ミリエルは照れたように微笑みながら、しかしアムネシアと話した内容については決して明かさなかった。ジルとしても、アムネシアがジルの居ないところで話をした以上、それ以上追求するのは信義に反するように思われた。


 こうしてミリエルは、ジルの従者として合法的に第二方面軍に所属することになったのである。

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