第68話 フリギア併合
「レムオンも任務に成功し、今日は真にめでたい日じゃ。ユベール、ここにいる全ての者に酒を持たせい」
王の計らいにより、即席ながら今回の成功を祝うことになった。正式な祝賀会は、後日開かれることになるだろう。王宮に仕える少年(といっても、ジルと同じか歳上なくらいなのだが)たちが、諸侯や騎士たちにシャンパンを配る。酒があまり飲めないジルもグラスを一つ渡された。
「ジルは酒が苦手だったか? ははは、今日は祝いの席だ。無理にでも飲めよ」
ゼノビアがそうジルをからかった。ジルは困った目でゼノビアを見る。
乾杯の音頭は、どうやらブライスデイル侯が行うようだった。目立ちたがり屋のブライスデイル侯が、自らこの役を買って出たのであろう。
「それでは諸卿、グラスをお取りくだされ」
ブライスデイル侯が乾杯の音頭をとろうとしたその時――
大きな音を立てて、急使が謁見の間へと入ってきた。酷く慌てた様子は、その用件がただ事でないことを人々に予感させた。使者は早足で玉座の前まで進み、片膝をついて報告する。
「申し上げます! て、帝国が先ほど自由都市フリギアを占領しましたっ!」
「…………なに!?」
人々は使者の言葉の意味を、一瞬図りかねた。それだけ非現実的なことだったのだ。
「あの自由都市に帝国が進攻したと申すか!? あそこは帝国、バルダニアと緩衝地帯として合意している場所だぞ」
ユベールもいつもの落ち着いた態度を捨て、非常に驚いた表情を見せている。
「はっ、帝国はレムオン殿のシュライヒャー領の占領に合わせ、自由都市フリギアに攻め込みました。突然のことにフリギアはろくに抵抗もできず、中心部を制圧され占領されました」
「そ、それでいまフリギアはどうなっておるのだ? まさか虐殺が行われたりしているのではないだろうな?」
「はっ、表面上は平穏な様子でございます。抵抗運動がないわけではありませんが、それほど目立ったものではありません」
あまりの大きな出来事に、人々はなかば放心状態になっていた。
「帝国め、血迷ったか!」
ゼノビアがそう声を上げた。確かにフリギアは、自由都市として大きな軍事力を保有していない。だから攻め取ろうと思えば、そう難しいことではない。それでもフリギアに攻め込むなど正気の沙汰ではない。フリギアの自由都市としての性格は、各国が協同で合意に達したことなのだ。そのフリギアを攻め占領したということは、帝国がバルダニアとも対立し、カラン同盟などの印象も悪くすると言うことだ。
「帝国はいったい何を考えているのだ? フリギアへの進攻は、不利益の方が大きいだろうに……」
ユベールも突然のことで考えがまとまっていないようであった。
「ユベール様、これは帝国があらかじめフリギアへの進攻を計画していたということではないでしょうか。我々のシュライヒャー領の占領に対応してということであれば、あまりに速すぎます。軍をそれほど迅速に整えられるとは思えません」
ジルが隣にいた大魔導師に自分の意見を述べた。
「確かにそうだな……。これは突発的なことではなく、帝国が前々から計画していたということか……」
謁見の間は騒然となり、人々は互いに思うところを主張しあっていた。
(フリギアにはルーンカレッジがある! ガストンが、サイファーが、イレイユ、ルクシュ、ロクサーヌ先生がいる。そしてレニも……)
「使者殿、フリギアにあるルーンカレッジはいかがなりましたか!?」
ジルは使者に疑問をぶつけた。
「はっ、ルーンカレッジは帝国に接収されました。学生、教職員の消息は不明です」
使者もまだ詳しいことは分からないのだろう。
「そうか……フリギアにはルーンカレッジがあったな。ジル、君は心配だろう」
ゼノビアがジルの心境を
それまでユベールと話し込んでいた王が立ち上がり、謁見の間に居る者達を見渡す。
「まだ詳しい情報がない段階では動きようがないわい。ただ、フリギアへの進攻は明らかに国際的合意に反すること、バルダニアと歩調を合わせることも出来るかもしれぬ。ユベールをはじめ、各人は帝国との戦いやバルダニアとの交渉に備えるように。いまは、シュバルツバルトにとって大きな転換期だということを肝に銘じなければなるまい。判断を誤れば王国が滅びることになりかねぬでな」
「ははっ」
王の言葉に、謁見の間にいた人々がそろって片膝をつき承服した。ジルは同じく片膝をついて頭を下げつつ、友人たちの身を案じ、焦燥感にかられていた。
アルネラ王女誘拐事件は、予想を超えて大きな国際的対立へと発展した。シュバルツバルトのシュライヒャー領の併合と帝国のフリギア併合。これにより従来なかった大規模な対立と戦争の時代が来る、人々にそう確信めいた予感を抱かせるに十分であった。
王国暦769年は、近年稀に見る動乱の年となったのである。
第二章「動乱の始まり編」完
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