第23話 ゼノビアとの約束

 アルネラは午後から外国の使者に会わなければならないとのことで、自室へと戻った。アルネラは帰り際、名残惜しそうに「また今晩お話しましょう」と言い残していった。


 ジルも庭園から王宮へと帰り、自分に割り当てられた部屋に戻ろうとした。しかし慣れぬ王宮のこと、迷ってしまったようだ。王宮などというところは、同じような部屋が続いていて、初めての者はよくよく注意しないと目的の場所にたどり着くことができなくなってしまう。


「何かお困りかな?」


 身なりの良い男性が迷っているジルを見かねて声をかけてきた。明らかに宮殿で働く者などではない。貴族だろう。


「実は道に迷ってしまいまして、自分の部屋に帰れなくなってしまいました」


「ははは、王宮は初めてでいらっしゃるのかな? それにしても王宮に部屋を用意されているとは、王室に招かれているということ。宜しければお名前をお聞かせいただけるかな?」


「ジルフォニア=アンブローズと申します、閣下」


 ジルはうやうやしく礼をした。相手を高位の貴族と見てのことだ。たとえそうでないとしても、実際以上に敬われて気を悪くすることはあるまい。


「おお、貴殿があの王女を救ったいう英雄か。これは晩餐会の前にお会いできて嬉しい。失礼、私はミルフェン=ブライスデイルという。以後、宜しくお付き合いいただきたい」


 貴族というものにほとんど知識を持たないジルは、ミルフェン=ブライスデイルと名乗った男のことを知らなかった。しかし口ぶりから言ってもまず高位の貴族であることに間違いなさそうだ。


「はっ、王宮に来るのは初めてのことゆえ、何かとご無礼するかもしれませぬが不調法をご容赦ください」


「なに、そのようなことは貴族の仲間内でのこと。そなたもおいおい学ばれるがよろしかろう」


 その後ブライスデイルと名乗った貴族は、ジルの部屋までの道順を親切に教えてくれた。笑顔で道順を教えてくれたその貴族に、ジルは良い印象を持った。


 ジルが部屋に戻ると、開いたままの扉を軽くノックする音が聞こえた。


「お邪魔かな?」


 姿を見せたのはゼノビアであった。


「君はあの男と知り合いだったのか?」


「あの男?」


「廊下で道を聞いていた貴族さ」


「見ていたんですか? いえ、初めてあった方ですが、親切にしていただきました」


「あははははははははは」


 ゼノビアが突然笑い出した。


「何がそんなに可笑しいのです?」


 ジルが不満そうにたずねる。さすがにそう不躾ぶしつけに笑うのは無礼だろう。


「はははははははは、そうふくれっ面になるな。案外可愛いところがあるじゃないか」


「……」


「ははは、いやすまん、笑って済まなかった。しかしジル、君もまだまだ若いな」


「実際若いですよ、ゼノビアさんよりかなり」

 

 いささか気分を害していたので、ジルの口調も皮肉めいたものになる。実際ゼノビアはその地位から言ってもジルより10は歳上だろう。


「君があの男に好感を持っていたようなのでな」


「それが可笑しいのですか?」


「君、外見や外面そとづらで貴族を判断するなんて命がいくつあっても足らぬぞ? 奴らは笑みを浮かべながら友の心臓に剣を突き立てるような奴らさ」


 ゼノビアが皮肉を込めた口調で言った。


「そういうゼノビアさんも貴族ではなかったですか?」


「あははは、そうだな。私もそういう人間かもしれないぞ?」


 ジルの見事な切り返しに、ゼノビアはまた笑い出した。


 ゼノビアの為人ひととなりは誘拐事件と弔問団の際にともに行動したことで、おおよそのことは分かっているつもりだ。卑怯なことは決してできないタイプの人間だ。ゼノビアはジルがそのことを知っていると分かっていて、からかっているのである。


「もっとも私の家は男爵家だが、家はすでに兄が継いでいる。私は女一人、近衛騎士として務めるだけの気楽なものさ」


「……それで先ほどの方はどなたなのです?」


「さっきのはブライスデイルだ。本来ならお前が直接話せるような身分ではないぞ」


 侯爵とは公爵につぐ身分である。公爵は王族に連なる貴族にだけ許される身分であり、侯爵はそれ以外の貴族にとっての最高位の身分である。


「高位の貴族だと思っていましたが、そんなに偉い方だったとは……」


「貴族というものは常に勢力争いをしているようなものでな。王の寵愛を受ける者がいたりすると、自派に引き入れようと画策しあうものなのさ。先ほどのことも、きっと偶然を装って君に近づいたのだぞ。侯自ら動いたのは意外だったがな」


「王の寵愛? 私がですか?」


「そうだ。君たちのために今日晩餐会が開かれる。これは見ようによっては、君たちが王に気に入られたように見えるわけだ」


 自分をとりまく環境は、自分一人の思惑で決まるものでもない。野次馬根性の旺盛な貴族たちの眼を通して見た場合、ジルたちはこれから力を得ようとしている有望株に見えるのだろう。


「それでブライスデイル侯はどのような方なのですか? 宮廷における立場は?」


 取り込まれるとしても、ブライスデイル侯の立場を知っておく必要がある。


「あの男は、現王が即位する際、別の候補を擁立して王と対立したんだ。そして現在も、多くの不平貴族を糾合きゅうごうして最大勢力を築き、王室に何かと圧力を加える厄介な存在だ。なにしろ貴族の3分の1をまとめているのだから、力で取り潰すこともできないのさ」


「あの男」、という言い方からゼノビアがブライスデイル侯に好感を持っていないのは明らかだ。ゼノビアの政治的な立場は、侯とは逆の側にあるらしい。近衛騎士なのだから、王と対立するブライスデイル侯に批判的なのはある意味当然だろう。


「要するにゼノビアさんは、ブライスデイル侯を敵視しているのですか?」


「敵視? 別に敵視しているわけじゃない。信用ならない下衆……いや、下品な奴だというだけだ」


 ジルは思わず頬をゆるませた。自分とは違うタイプだが、ゼノビアのような裏表の無い人間は好感が持てる。もちろんゼノビアは単に正直なだけの愚か者ではない。


「お話は分かりました。これから貴族との付き合いも増えるでしょうから、気をつけることにしますよ」


「そうしてくれ。姫が“友達”と思っている奴を敵には回したくないからな」


 どうやらゼノビアは姫の希望も知っているらしい。


「……それも知っていたんですか」


「私は近衛騎士団では珍しい女騎士だろう? だからか自然と姫の護衛につくことが多くなり、姫とは幼い頃から親しかったんだ。姫から色々な相談事を持ちかけられることもある。姫からみたら私は歳上のお姉さんみたいなものさ」


 姫は自分には“友達”は居ないと言った。しかし友人はいないとしても、家臣でもいいから何でも相談できる存在が必要だったのだろう。気さくなゼノビアはそんな姫にとって大切な存在のようだ。


「なるほど、それで私と姫のことを“監視”していたんですね」


「ははは、気を悪くするな。君が姫を救ってくれたことは感謝しているんだ。あの時姫にもしものことがあれば、私は死んで償わなければならなかった。いま首がつながっているのは君のおかげだ」


 ゼノビアは笑顔を浮かべて感謝の言葉を述べる。


「そうだ、私からも君に何かお礼がしたいな。何が良い?」


 ゼノビアの突然の質問に、ジルはいささか戸惑った。


「そうですね、すぐには思いつかないのですが……。それではゼノビアさんの時間がある時に、王都の案内をお願いできますか? まだ王宮にしか来ていないので、何も分からないんです」


「そんなことで良いのか? 良いだろう。王宮にはいつまでいるのだ?」


「明後日カレッジに帰ることになっています」


「ちょうど明日は非番の日だ。明日案内してやろう」


「助かります。面白いところを案内してください」


「ははは、考えておこう」

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