しっぽ髪と髪切り娘

 いつもにしている髪もほどかれて、丁寧に櫛が通されていく。櫛の通りが徐々に滑らかになる。

「きれいな髪ですね」

 髪切り娘がそう言うのを魔法使いの娘は聞いた。

「ありがとう。でも、あまり手入れもできていなくて、なんだか恥ずかしいです」

 お気に入りの紫の巻布ストールも、青染めで丈短の上着も預けて、すっぽりと髪除けのエプロンをかぶった自分が鏡に映っている。

「そんな事ないです。わたしは癖っ毛でこんなに長く伸ばせないから羨ましいです、細くて真っ直ぐな髪」

 娘の言葉の端々に、うっとりした響きがあった。

 この髪切り娘の赤毛は、確かに驚くほど短い。他ではちょっと見ない短さだ。勝ち気そうな顔立ちとあいまって、少年だと言われたら信じただろう。

 その見た目で嫌な思いをすることもあるだろうに、もっと、普通の娘らしくしても……そこまで考えて、魔法使いはおかしくなった。

 私だって、スカートを履かない。

 「普通の娘らしく」なんて大きなお世話だと思ってきたのに、他の人には同じ事を思うなんて。


 髪切り娘はイォッテと名乗った。正面の鏡越しにその緑色の瞳と目が合う。

「では」

 櫛を通す手が止まる。

「今日はどのようになさいますか?」



 二カ月ほど前、「交換派遣」という名目でやってきた北半島の都市、ウ・ルー。

 慣れない街と仕事に追われながら、伸びすぎた髪をなんとかしたい、したいと思い続けてようやく行動に移す余裕が出て来た日曜プリマの朝。

 宿舎から一番近い、屋号に大広間サルーンとぶら下げたぢんまりした床屋には、新緑の匂いに似た爽やかな香りが漂っていた。


 ここの他にも、ウ・ルーにはサルーンと名乗る床屋がいくつかあった。床屋に限らず、屋号に東部諸国語リンガデレステを当てた店をときおり見かける。

 それらは往々にして、本来の意味から外れていた。サルーンは大広間とか、かつての貴族階級の社交場とか、そんな意味ではなかったか。

 おばあさまが聞いたらきっと「おや、まぁ」と眉をひそめるに違いない。




 髪切りイォッテが、立てたハサミで毛先の方から梳いていく。

 流行りの、手の込んだ編み上げをやってみたいと思うこともあるが、夜間や早朝に緊急の呼び出しもあり得る仕事だ。ひっつめにして一つ結びに落ち着いてしまうのがいつもの事だった。

 それを聞いて髪切り娘が述べた事には、

「ひっつめもわたしは好きですよ。お客様は、額の生え際の形もきれいですし、眉を少し整えれば一段と素敵になると思います。ただ、よろしければ前髪を作ってみてもいいんじゃないかなって思います」

「前髪……子どもっぽくなりそう」

「まさかまさか。なにも眉毛の上で切りそろえたりはしません。お客様は凜として大人っぽいですもの。ちょっと優しげな雰囲気を加えても、幼くは見られませんよ」

 遠まわしに老け顔と言われたような気もするが。

「あとですね、結ぶ時も少し高い所、このあたりで縛ってあげると見映えが変わって楽しいかもしれませんね」 

 鏡越し、イォッテが後ろ髪を両手でまとめ、まとめる位置を二通り見せてくれた。

 低いのと、高いの。

 なるほど。高めでまとめたほうが強そうに見えるし、背も高く見える。高めでひっつめだと、強すぎる。前髪も存外悪くないかもしれない。

「やっぱり、前髪つくってみます」

「かしこまりました!」

 髪切りが元気良く答えた。



 隣の椅子から、常連と思わしき男性が別の髪切り娘と談笑する声が聞こえた。何か匂わせるような話し方をする男と、それを柔らかく受け止め、時に知らないフリで脇に積み重ねていく娘。 


「お客様は、ウ・ルーには長いんですか?」

 鏡越しにふと話しかけられた。

「いいえ、仕事でつい何ヶ月か前にきたばかりよ。だから、いろいろわからないことも多くて」

 隣の椅子から意識を戻して返事をする。

「そうだったんですね。田舎から出てきたとき、わたしもいろいろ驚きました。馬車と人で道が違うなんてびっくりしちゃいましたよ」

「本当ね」

 話を合わせた。魔法使いの娘にとってウ・ルーは初めての都会ではない。ただ、わざわざ言わなくてもいいか、とも思う。

 かわりに別の話を差し出した。

「通りの名前もなかなか覚えられなくて大変」

 イォッテが調子良く返してくる。

「あぁ、わかります! わたしも、お店と家のある通り、あと妃殿下大路ぐらいは覚えましたけど、他はなかなか。せいぜい……七月彗星アフルンコメタ小路とか」

「あら? 私の仕事場、その通り沿いですよ」

 偶然の一致に驚いて、思わず言ってしまった。

「えっ、そうなんですか!?」

 髪切り娘の調子が上がってきているように思う。

「あの小路の四十番地あたりに公園があるんですよ。あそこの屋台はお勧めです!」

 力強く推された。

 四十番地なら協会事務所からもそう遠くない。街の新参にとって、お昼をどうするかも切実な問題だ。

「ありがとう。さっそく明日にでも覗いてみるわ」

 そう微笑みかけると、鏡の向こうでイォッテも満足そうに笑っていた。健康そうな白い歯が見える。


 そういえば、以前にこんな笑い方をする男の子がいた。その子も北半島の田舎の産まれだと言っていなかったか。

 魔法学院の一つ下の後輩で、珍しい魔法を使い、家庭の事情で中退した子だ。今はどこかで働いているのだろうか。

 いい子だったんだけどな。


 ぱさり。髪がエプロンに落ちる。


 イォッテの仕事っぷりには好感が持てた。

 赤毛の髪切り娘は八月セステレスの麦畑がどれほど喜ばしく美しいかを説き、魔法使いの娘の髪はその麦の色に似ていると言った。

 三年前、先の男の子に「麦藁色の髪」と言われた時はたいして嬉しくなかったのに、今回は素直に賞賛を受け取る気になれた。イォッテの話術、というよりも彼女の人柄なのかも知れない。

 素直なのだ、彼女は。

 客商売の愛想の中に、その素直さが時折顔を見せる。上手い、と思う。


「では、失礼します」

 という声と共に、前屈みにさせられた。

 うなじや髪の生え際に、暖かくぬめりけのある香油が塗られる。

「懐かしい匂い」

 ふとそんな言葉が漏れた直後、剃刀が首を滑る感覚に、かすかに肌が粟立った。



****


「お待たせ」

 店を出て、雪除けひさしの上に転がる黒いに声をかけると、玉がほどけて金の瞳が見おろしてくる。

「む……?」

「なによ?」

「懐かしい雰囲気になったものであるな」

「そう?」

 そういえばこの王族ネコガトヒアウと出会った頃にも前髪があったか。

「これなら世の男もあるじを放っておかぬだろうよ」

「わかりもしないくせに良く言うわ」

 見え透いたお世辞にも、顔がゆるみそうになる。

「あるじよ、なにか良いことでもあったのかな?」

 黒い大猫が片方の目を閉じた。

 気まぐれでのくせに妙にカンの鋭い相棒に肩をすくめ、高く、しかし短くなったしっぽ髪をくるりとさせて魔法使いは歩き出した。

「ふむ? 甘い香り?」

 怪訝そうな声とともに、大きな黒猫が庇から飛び降りる。

 娘の鞄には買ったばかりの精油の小瓶。幼い頃好きだった乳香の香りを髪先に楽しみながら、七月彗星アフルンコメタ小路へと足をむける。

 明日と言わず、さっそくとやらを試してみたい。

「ねえ」

「なにかな?」

「仕事、がんばろうね」

「やぶさかではないが、頑張るのは主にあるじではないか?」

「ほんと、あんたって可愛くないわ」

 北半島の遅い春は短い夏へと向かい、娘の首もとでは祖母からもらったお守りが、しっぽ髪と同じ調子で揺れていた。


 八○三年、六月ジュオ

 ぺたんこ鼻の魔法使いが黒猫みたいなものに出会うのは、もっとずっと後のお話。

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