モジカ・マジカ(下)
「オン・アラハシャノウ・ソワカ!」
ユカリさんが、変わった。
身の丈ほどもある大筆に、身を包む紫の着物、柄は白水紋と白しぶき! 白しぶきなんて筆でザッと一掃きしたような力強さだよ。見惚れるねこれは。
文字禍から降る文字で信号機の首がもげたりしてる。いやー、おっかない。
「命が惜しければ、この結界から出ないことね」
ってユカリさんが俺たちに言う。さっきからいろんな大きさの文字が、見えない壁にぶつかっちゃ紫電を放ってる。
「どこの物語を喰らってきたのか知りませんけれど、わたしの所に来たのが運のつき。その意味ではホタテさん、あなたの選んだコラボ先は適切だったと言ってもよろしくてよ」
話すユカリさんの足下から、風が渦を巻き始めてるよ。
「これは推敲では──ありませんわね」
残念です!
びゅぅと風を切り、はたはたと袖をなびかせてユカリさんが飛んで行ったよ。まるで空のフィギュアスケート。宙空を一筆書きで、文字の雨をすり抜け文字禍に迫っていく。
大筆ひと振り、墨文字の奔流で文字禍を打ちすえ、殻から文字を、誰かの物語だった文字を絡めとっていく。絡めとった文字が並べ替えられて、文節になっては消えていく。
文字と文字の戦いだったよ。
ユカリさんが近寄って、文字禍の大きさがよくわかったんだ。あれ、直径二十五メートルぐらいあるんじゃないの? 新幹線の一両分ぐらいじゃん!
「ホタテ……俺たちは……」
ユカリさんの戦いを、アルルくんが悔しそうに見ていたよ。
「だめだ。お前は飛べるよ? でも飛べるだけなんだ」
たとえ片割れじゃなかったとしてもね。飛びながら他の魔法は使えないんだ。そういうふうに書いちゃったんだ。ごめんな。
「見てる……だけか……」
「アルル……」
ヨゾラが俺の腕からするりと降りて、アルルくんの足にすりよった。
ユカリさんはすごい。少しずつ、確実に文字禍のサイズが縮んでいってる。だけど、相手の文量がどうしたって優っているように見えた。
文字禍は文節の腕みたいのも振るい始めた。その殻から確実に文字を抜き取り再構成して還していくけれど、まだまだ道のりが──
ぎぇぇぇぇ!
宙にとどまっていた文字禍が動いた。ユカリさんが引き離されてく。ビルの一つを掠めたらさ、その上半分が分解されたんだ。文字列に分解されて、それが殻に取り込まれた。
なんでだよ!
ビル半分ならせいぜい「ビ」だろ! なんでそんな、無駄に描写を重ねた小説みたいな文字数なんだよ、構造計算式でも含まれてるのかよ! ユカリさんだっていつまでもは
見てるだけかぁ、カッコ悪いなぁ。
「オン・ドギャ・シナ・ダン・ソワカ!」
ユカリさんの裂
ユカリさんは物語の再構成で断片を消していく。
素人目にみても、手が足りてない。再構成の合間にも文字禍は回復するわけで、効率が悪すぎた。
殻をはがすのに専念すれば、回復を上回れるかもしれない。でも、俺は知ってる。彼女は物語をほっとけないんだ。たとえそれが駄作だったとしても。
「ホタテ? アルルが来ますよ。わたし、行かなくちゃ」
突然どうしたヨゾラ。来ますよったってお前、今そこにいるじゃないか。
そう思ってアルルくんを見たら、なんか、
「ヨゾラ……ヨゾラ……今、迎えに行く」
とか言っちゃって、ヨゾラを抱っこしたよ。おいおいどうしたんだ、うちの子。
「ホタテ、わたしたち、これでお別れみたいです」
「ホタテ……楽しかった。こっちにも、不思議なものがたくさんあった。あんたが、書かなければ、俺たちはここには来れなかった」
まってまって、やめてくれよ。なんで急にそんなこと言うんだよ。なぁ、おい、本体さんよ、なんでこんなことするんだよ。ユカリさんが頑張って勝って、こいつらとまたドタバタするラストじゃダメなのかよ?
俺も空を見上げちまった。俺の本体が見てるんだとしたら、やっぱり空なんじゃないかって。文字の雨が結界でバチバチいう向こうを。
その空が
その円が、ぱしゅんと縮んだ、と思うや否や俺の脇をアルルくんが駆け抜けて飛んだ。
目に見えない
なんだよ……なんだよ、すごいじゃないか、アルルくん。
その行先に三つの影。
大きめのと、小さいのと、もっと小さいのと。
まだ点にしか見えないけど、落ちてきてる。普通に。
あれは──アルルとヨゾラと──結依ちゃん?
なんでこっちに来ちゃってるの! 君が出たの、もう片方のお話だよね!?
そう思って気が付いた。
二つのコラボをつなげようって、書き出した時にそういう目論見があった。文字数制限であきらめたはずだったのに、ここで設定が活きちゃってるじゃん!
アルルくんが追いついて、フラッシュみたいに光が走った。
残ったのは、落ちてくる三人。アルル、なぜ「翼」を開かない!
三人の顔が見えた。ヨゾラの瞳が、紅く──
たしかに落ちたんだ、アスファルトに。でも、擬音で言うなら「ぴと」って感じだった。スピードも衝撃も、全部がゼロになる。そして、大量の魔力が放出される。
代理魔法だ。
「ほら……だいじょうぶ、だっただろ?」
結界の外、俺から十メートル、ヨロヨロしながらヨゾラが立った。
アルルが「翼」を開いていたら、真っ先にヨゾラを拾ったと
使わせなかったんだ、ヨゾラが。
「今日は、寝ないぞっ……!」
俺は叫んだ。
「お前ら、早くこっちにこい! そこは危ない!」
文字禍は「魔力喰いの飛ぶやつ」の場所に収まった妖怪だ。代理魔法で出た大量の魔力に釣られて、来てる来てる来てる!
「はやく!」
アルルが結依ちゃんを急いで助け起こした。
三人がこちらへ一歩踏み出したとき、二メートル四方の「田」がその目前に落ちた。舞い散る小文字の埃。
俺も結界を飛び出した。バカだよね、できる事なんかないのに飛び出した。
文字禍が、殻でビルを分解しながら、来る!
「オン・サンマヤ・サトバン・ソワカ!」
バリバリバリっ!
光の壁が雷光を放って、文字禍のでたらめな巨体を弾いた。ついで、突風が駆け抜けていく。
「ほんま、東京は暑ぅて嫌やわぁ」
こっぽりころんと下駄と鳴らして、鶯色の着物ギャルが前に出てきたよ。
文字禍を追ってきたユカリさんが、その目の前に降り立つ。
「あんな大物独り占めしようなんて、欲張りがすぎるんちゃうか?」
「少納言、どうして?」
「どうもこうも、ユカリちゃんの
と、二人が見る先には誰も見えない。
「ま、
言うなり、なごんちゃんが二本の筆をぴッと振り、宙へ滑り
「待ちなさい、少納言!」
それを追うように、ユカリさんが飛ぶ。
残されたのは男二人と猫と女の子(超絶かわいい)、見えないけど
「ねぇねぇ、キミ、幽霊でしょ?」
ヨゾラがひそひそと話しかけてた。
「ユイさん、ここはユイさんのいたところ……ではなさそうだな」
アルルの言葉に、ふるふると結依ちゃんが首を振る。アルルが俺を見た。
「ホタテ。理屈はわからないが、状況はわかった。あの化け物を倒せば、俺たちは帰れるのか?」
「恐らくね。アレがごちゃごちゃにした物語を、ユカリさんたちがあるべき所に戻そうとしてる」
「そうか」
そう言って、アルルは鞄を下ろしたよ。
「アルル、行くの? あいつ、さっきのよりずっとでっかいよ?」
ヨゾラもちょっと心配そうにしてる。
「また見てるだけってのもね。一発ぐらい何かぶつけてやるよ」
ちょっと肩をすくめてアルルが答えた。
うん。それぐらいしか
バカだなぁ俺!
「アルル! 存分にやっちゃってくれ!」
俺がそう言うと、アルルは人差し指をびしっと立てて見せた。ごめん、そのジェスチャーわかんない。
「ユイさん、ぬか喜びさせてごめんな。今度こそ、家に帰すよ」
「いいんです、頑張ってください!」
アイドルの応援にアルル、デレたよね。
「……ちょーぜつかわいいなっ!」
キャラ変してぶっ飛んでった。「壁」を展開して
「いーなぁ、アルルばっかり」
ヨゾラが拗ねてる。黒い毛並みが、藍にも紫にも見える。
「お前はまた今度で」
右手のスマホをひらひらさせて俺は言った。
絶対に閉じてはいけない編集ページ、書き入れた一文は
「アルルの
これぞ正に
ここからは、一方的だったよ。
アルルがバラして、ユカリさんとなごんちゃんが組みなおす。
文字禍が逃げようとしても、その都度「糸」で押さえ込む。
内側から爆砕し、ハサミみたいな力場で真っ二つにして、やっぱり凶暴だよあの魔法。アルルに核の知識が無くて良かった。
「
「――
殻を剥がされ、碧い中心核を晒す文字禍をアルルが宙に
「
「
二人を中心にして空に満ちる、一画のうねりにさえ意味のある「書」の連なり。
でたらめな文字列が及ぶべくもない、生きる文字だ。
「
二人の声が重なった。生きる文字が奔流となって文字禍へ殺到した。叫び声をあげる間もなく、碧い中心核が飲み込まれる。
消えた──いや、還ったのか。
結依ちゃんも、アルルも、ヨゾラも。お別れを言う間もなく、気づけばもう姿が無かった。
雲が晴れて、夏空が広がる。
その空からくるくると、なにかツルハシのようなものが俺めがけて──
え!!!
逃げようとして、腰が抜けた。尻餅をついた俺の股間をかすめ、
ゴっ!
「イ」が道路に突き刺さった。
あるべきところに帰ってきた?
シャレ、きつくないっスかね?
なごんちゃんの声がした。
「じゃ、ユカリちゃんの番が終わって、そいつが書いたもんを保存したら、つぎ
なにそれ怖いんですけど。
「さて」
大筆をかつっと立てて、ユカリさんが俺を見下ろしてた。
「どちらでお呼びすればよろしいかしら? ホタテさん? それともホタテイさん?」
誰か俺を輪切りにして今すぐ。
「──推敲の時間ですわ」
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