あり得ない

 発表会が近づいている習い事や、幼稚園の卒園祝賀会の練習が少しずつ入るようになった3月初めは、ただでさえ忙しくて目が回るようでした。平日の夜でも関係なく色んな予定があって、手帳は文字だらけになっていました。

 自分で自分の予定を管理するのも難しくなるくらいだったので、手帳は毎年、時間単位で予定が書き込めるタイプの物を使っていますし、家族全員分の予定が把握出来るよう、5色ボールペンを使って色分けしていました。とにかく、何か家族に関係することがあれば、手帳に忘れないよう書き込む癖がついていました。それでも偶に忘れるので、家族LINEにも書き込みしていました。

 学校や幼稚園、保育園の予定表やお便りは、自宅の廊下一面に貼っています。

 年間行事予定を5枚、コピーして手帳に挟んで持ち歩き、いつでも確認出来るよう心がけました。

 子どもが多くて困るのは、行事予定が簡単に把握出来ないこと。なので、毎年4月に予定表を貰うと、全ての施設の予定を手帳に書き込み、お便りを貰ってくる度に、細かい予定を追加で書き込むようにしています。

 ここに、夫の会議や出張、消防団、子どもたちの習い事、発表会、地域行事等々が加わるので、手帳に書かないでおくということは、まずあり得ないというのを、先に書いておきます。


 高校の卒業式が終わり、また、高校受験が近くなったこともあって、長女は学校が休みになりました。

 3月7日水曜日には、久しぶりに次女は歩いて中学校へ行ったようです。長女が一緒に歩いてくれたからです。次女が学校に行っている間、長女は近くの図書館で勉強していたようでした。

 長女がいると、次女は頑張れるようなので、とてもありがたかったことを覚えています。


 さて、3月8日木曜日、事件は起こりました。


 朝、ロッカーで着替えていると、同僚に、

「天崎さんは今日の研修会出る人?」

 と聞かれました。

「研修会? ありましたっけ? 私、今日は夜から幼稚園の余興練習があるので、多分行けないですけど」

「そうかぁ、そういう時期だよね」

 私は首を傾げながら着替え、事務室へと向かいました。

 会話の意味を知ったのは、朝礼の場でした。

「今日は全員参加の研修会があるから、定時で終わるように。場所は駅前のホテル。持ち物は以前配布されたテキスト」

 ――研修会?

 私は未だ、この時点でもピンときていませんでした。 

 朝礼が終わり、役職者のミーティングが終わったあと、私は恐る恐る、部長に尋ねました。

「あ……の……、研修会って、何ですか? 私も対象になってますか?」

 部長は首を傾げながら、

「対象のはずだよ。ちょっと待って。あー、ホラ、今日の出席予定者一覧に名前入ってる」

 その日の次第を見ながら教えてくれました。

「ちょ、ちょっと待ってください。それって、何時から何時まで……、私、初めて聞いたんですけど」

 何が起きているのか、直ぐには理解出来ません。

「ホラ、ここの回覧のところに入ってた。文書、見たでしょ」

 渡された文書は、確かにチラッと見たことはありました。マーカーペンでラインが引いてあったので、何だろうとは思っていましたが、特に誰にも教えられていなかったので、気に留めていませんでした。

 普段、会議や研修会の出欠は、名簿の横に○×を付けるような形式で取られていたため、そういった付箋や記載の無かった文書を、私は完全に見逃していたようです。

 対象者は“全社員”。シフトの関係で来られないなどの合理的な理由が無い限り、必ず参加しろという意味です。

「し……、知りませんでした。初めて見ました。研修会、何時までですか」

「研修会のあと、食事の席もあるよ。天崎さんも出ることになってる」

「えぇ……ッ!」

 頭が――……、真っ白になりました。

 待って。

 何かがおかしい。

「け、欠席することは出来ませんか。ちょっと私、子どもを迎えに行って、それから戻ってだと、この雪道だし、ちょっと自信が。で……、これって、いつ頃周知しました?」

「結構前だよ。今更欠席は出来ないなぁ。食事の方も注文してあるから、当日キャンセルはちょっと無理じゃないかな。一応、幹事に連絡してみるけど」

「す、すみません。お願いします」

 フラフラとした足取りで、私は朝の準備を続けました。

 けど、どんなに記憶を探っても、そんな会議があるなんて、誰にも聞いていません。

 私の聞き漏らしだろうか。

 不安になった私は、別チームの同僚に尋ねました。

「あの、今日の研修会のこと、私、たった今知ったんですけど、それって、朝礼とか終礼とかで周知してましたっけ?」

 すると同僚は、小声で教えてくれました。

「チームリーダーから聞いたよ。いつだったか忘れたけど、朝の役職者ミーティングのあと、『集約まで半日しかないから、直ぐに出欠教えて』って言われて。うちのチームリーダーは、メンバーに一人ずつ聞いて歩いてた」

「そ……、そうなんですか……?」

「だから、朝礼とか終礼では、研修会のこと、一切誰も喋ってないよ」

「……ありがとうございます」

 チームリーダーから……?

 出欠確認なんて、私、されてない。

 何一つ。

 そんなこと、あり得るのだろうか。

 覚束ない足取りで、私は恐る恐る、自分のチームリーダーに、声をかけました。

「あの、今日の研修会のこと、私、全然聞いてないんですけど」

 すると彼女は、私の方を向かず、こう言いました。


「朝礼に毎日出てて、聞いてないわけがないでしょ。欠席は有り得ないから」


 私は、何も言えませんでした。

 相手は、私に詫びることなどありません。

 聞いてないわけがない?

 ――聞いてません。

 本当に、聞いてません。何も、聞いてません。知りません。

 そんな大事なこと、一度聞いたら絶対に忘れない。

 夜に何かあるときは、前もって家族にも伝えて、夜みんなが困らないように準備してる。

 子どもの迎え、3ヶ所。

 夫への連絡。そもそも、夫が早く帰れるのかどうか。

 夜ご飯の準備。

 自分の家族が窮地に陥ったら大変だからと、販売会議も途中で抜けて帰るのに。

 どんなに忙しくても、仕事にはタイムリミットを設けて、その中で終わらせるようにしてきた。

 忘れる?

 そんなこと、絶対に絶対に、絶対にあり得ない……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る