第101話 氷点下の死闘

 ジェラート・アルゴルは、小貴族の嫡子として生まれた。幼い頃より魔獣に興味を持ち、将来は学者を志望していた。

 彼には幼馴染の少女がいた。名はラタトゥイユ・ミラ。領地が隣接するミラ家の令嬢である。

 アルゴル家とミラ家は共に王家の血を引く一族。アルゴル家の方が王家の血は濃く、ラタトゥイユは次の代で神の力が消滅する立場である一方、ジェラートは孫の代で消滅する立場。ミラ家の当主は神の力を次代にも残すため、二人を結婚させたがっていた。そしてジェラートもまた、ラタトゥイユのことを想っていた。それ故二人は自然と結ばれることになる――かに思えた。

 ジェラートはラタトゥイユへの求愛として、小さな魔獣を氷漬けにしたものを頻繁に贈っていた。彼にとってそれはどんな花や宝石よりも美しいものであったのだ。しかし当然それは受け入れられるものではなく、ラタトゥイユは次第にジェラートから距離を置くようになったのだ。

 ジェラートとラタトゥイユが十六歳の時、ミラ家は事業の大失敗により破産しお家取り潰しとなった。アルゴル家は援助を申し出たが、ジェラートと結婚させられるのを嫌がったラタトゥイユがそれを拒否した。結局ラタトゥイユは王宮務めのメイドとなったのである。

 だがジェラートは、それでも自分とラタトゥイユが両想いだと信じて疑わなかった。ラタトゥイユは貴族の地位を失った今の自分ではジェラートと結婚できないと思っている、というのがジェラートの認識だったのである。

(僕はいつか学者として名を上げ、ラタトゥイユ……君を迎えに行くよ)

 そんな思いを胸に、日々研究を続けていたのだ。


 それから三年後、ジェラートの父が天寿を全うする。ジェラートは当主の座を継ぐこととなった。

 内政に時間を割くために研究も思うように進まず、やきもきする日々。こんなままではラタトゥイユを迎えに行けない。

 そんな彼の心を癒したのが、魔獣の冷凍標本であった。城を抜け出しては領内の森に出て、自身の魔法を使い魔獣を凍らせて標本にする。魔獣達は動かぬ氷像と化したが、実はコールドスリープ状態で生きている。そこに感じる神秘性が、何よりジェラートを魅了したのだ。

 初めはあくまで研究材料として使うためにやっていたことだった。しかしこれに癒される日々が続くにつれ、いつしかこれを作ることそのものが目的になっていた。政務を投げ出して遠出したり、より珍しい標本を求めて禁猟区での密猟に手を染めたり、その手段は次第に悪辣化していった。

 いつしか、常時部屋に飾っている標本は絶滅種や絶滅危惧種ばかりになっていた。中にはジェラートに凍らされたことで絶滅した種もいた。

 だが彼本人に言わせてみれば、それは絶滅ではなかった。自分は魔獣を氷漬けにすることで絶滅から守っている。何故なら凍らされた魔獣は生きており、凍っている限り永遠に生き続けるからだ。

 皮肉にも非合法な手段で集めた標本のお陰で彼の研究は進み、発表した論文で研究者としての名は上がった。

 一方でラタトゥイユは、二十二歳の時に魚座の騎士に就任。没落令嬢から一転、こちらも名を上げていたのである。

 そして二十五歳の時、いよいよジェラートはラタトゥイユに正式にプロポーズすることを決めたのだ。己の愛を情熱的に綴った手紙を、王宮のラタトゥイユへと贈った。

 程なくして、返信が来た。

『ごめんなさい、私にはもう心に決めた人がいるの。貴方とは結婚できないわ』

 僅か一行。ただそれだけの、あまりにも短い手紙。ジェラートが何枚も何枚も長々しく書いた手紙とは正反対であった。

(そ、そんな……こんなの嘘だ……!)

 これを見てすぐには信じなかった。何故なら自分とラタトゥイユは両想いであるはずだからだ。

 しかしその日、タイミングを見計らったかのように一人の男が城を訪れたのである。

「やあやあどうも、最近名を上げている生物学者さんと魔獣について語り合いに来たのですが、どうやらそんな状況ではないご様子」

 一科学者としてジェラートを訪ねてきたカクテルである。

 その顔を見た途端、ジェラートの目の色が変わった。

「お前は……妖精騎士団の一員だったな。だったら教えてくれ、ラタトゥイユの恋人が誰なのかを! 同じ騎士団に属しているのならば知っているはずだ!」

 目を見開いて詰め寄るジェラートに対し、カクテルはニヤニヤと悪い顔。

「いやぁ、これ国家機密ですからね。バラしたら私の首が飛んじゃいますよ。あ、国家機密だって言った時点でバラしちゃったようなものですかね」

 カクテルが愉快そうに言うと、ジェラートはすっと興奮が止んだ。

「王族絡みか……フフ……今の王族に男など一人しかいないじゃないか……」

 肩を震わせ、壊れたように笑い出すジェラート。目からこぼれた涙が、氷の粒となって落ちた。

「そうだラタトゥイユ……君にはミラ家を蘇らせる使命があったんだったね……そのために必要なのはより濃い神の血だ……だから愛してもいないオーデンを……フフ……ヒヒヒ……」

 この場の気温が次第に下がり始めたのを、カクテルは感じた。

「これは本当に魔獣について語り合える状況じゃなくなっちゃったみたいですね、仕方が有りません。いずれまた来ますよ、どうぞお元気で」

 カクテルはおどけた調子でそう言うと、凍らされる前に城から退散した。

 そしてその日、惨事は起こった。ジェラートは幼き日の自分とラタトゥイユのツーショットを手に呪詛を呟き続けた。初めは城の中から、そこにいた全てが凍り付いた。やがてそれはアルゴル領全土に広がり、この地を氷の世界に変えたのである。


 それから数日後、再びこの城を訪れる者が現れた。

「……何者だ?」

 研究室に引き篭もり膝を抱えて部屋の隅に座っていたジェラートは、突然の訪問者に驚いた。

 今のアルゴル領は、足を踏み入れれば自動で凍る危険地帯。それを潜り抜けこの城まで辿り着いただけで、只者ではないことはわかっている。

 それは二人組の男だった。教祖フォアグラと、それに付き添う第一使徒ポトフである。

「古き神の末裔よ、私は新たなる神フォアグラ。貴様を我が教団に招きに来た」

「興味は無い。出て行ってくれ」

 ジェラートは再び顔を伏せる。

「我が軍門に下るならば、貴様に妖精王オーデンを殺させてやろう」

 その言葉を聞いた途端、ジェラートは顔を上げフォアグラと目を合わせた。

 それはまさしく、神の姿を見た瞬間であった。

 フォアグラ教に入信したジェラートは強化改造を受けた後、ポトフから第一使徒の座を譲られた。

 教団幹部として再び歩み出したジェラートは、改めて今後の目標を明確化させた。

 妖精王オーデンをこの手で殺す。そしてラタトゥイユを取り戻し、彼女を凍らせて永遠に美しいまま保存するのだ。そして自分が歳をとったら彼女の傍で凍り、二人で永遠の命を得るのだ。

 一度他人の物と化したラタトゥイユへの、醜く歪んだ愛情。最早この男の中で、それが彼女への愛の証と化していたのである。




 バトルルームに吹き荒れる吹雪。拳凰はそれをものともせず、ジェラートへの追撃にかかる。

 今度のパンチは頬を抉り、折れた奥歯が口の外へと吹っ飛んだ。更にもう一方の拳で、腹部にも一撃。デスサイズの銃弾も幸次郎の剣も全く通らなかった氷の装甲を難なく破り、本体へと着実にダメージを与えてゆく。

「うおらあああぁっ!! どうだクソ野郎め!!」

 氷の装甲が脆くなったわけではない。戦闘が始まった時より、拳凰のパンチ力が格段に上がっているのだ。

 だがしかし、何発殴られてもジェラートは動じることなくケタケタ笑っている。

「ちっ、気味悪い野郎だぜ」

「いいぞ……面白いなぁ君は……」

 吹雪が強まり、気温も下がる。気合で寒さを忘れるにも限度がある。拳凰が決着を急ごうと畳み掛けた途端、ジェラートが今までと違った動きを見せた。

「これなら……どうだぁッ!!」

 ジェラートは両腕を力強く突き出し、拳凰に冷気の塊をぶつける。思わぬ反撃に対して拳凰はすぐさま両腕を顔の前で重ねガード。大きく吹き飛ばされ、引き裂くような冷たさが全身を襲った。

「凍らねーよ!!」

 拳凰はガードを解くと素早く間合いを詰め、再び殴りかかる。ジェラートは両腕を広げて反撃の構え。

 挟み込むように両掌で拳凰を捉えようとしたジェラートであったが、拳凰は姿勢を低くして回避すると共に左に回り込む。そしてジェラートの頬目掛けて左の拳をぶち当てた。ふらつくジェラート。すかさず右腕を下から潜り込ませ、一気にアッパーを打ち上げた。

 顎に衝撃を叩き込まれたジェラートはロケットのように吹っ飛び、頭を天井に打ちつける。そして力無く落下し、今度は背中を床に打ちつけた。頭から流れ出した血は、すぐに凍り付く。

「馬鹿な……何故人間がここまで強い……私の理解を超えている……」

 我に返って冷静になったジェラートは、倒れた体勢のままそう問う。

「さあな。修行もしたし、強え奴とも戦った。それで強くなったんじゃねーの?」

 拳凰自身、自分が妖精界に来てから格段に強くなったことを実感していた。カニミソに苦戦していた頃の自分では、ジェラートに傷一つ付けられなかっただろう。

 だがそう答える拳凰とは裏腹に、ジェラートにその言葉は聞こえていなかった。

 ジェラートを見下ろす翠の瞳。ジェラートの中で、ある感情が沸々と湧き上がってきたのだ。

「そうか……そういうことか……!」

 ジェラートの傍で冷気が渦を巻き始めた。拳凰は攻撃を察知して距離を取る。

「どこまで下衆なのだ、オーデン!!!」

 またしても強烈な吹雪が、ガードを突っ切って拳凰を吹き飛ばす。だが今度は足でしっかりとブレーキをかけ、壁への衝突を防いだ。

「は、はぁ!? 誰に向かってキレてんだ!?」

 自分を無視してこの場にいない者への怒りを叫んだことに、拳凰は素で疑問符を浮かべた。

 ジェラートは立ち上がると右腕を伸ばし、右手に長く鋭い氷柱を生成する。

「お前には永遠の命をくれてやるつもりでいたが……気が変わった。お前は殺す」

 突如空中に現れた無数の魔法陣。そこから無数の氷柱が飛び出し、拳凰を狙い撃つ。弾幕の如く降り注ぐ氷柱を拳凰は拳で破壊しつつ回避。だがそれでも全ては防ぎきれず、空中に血が舞った。すると凍り付いた血が棘となり、これまた拳凰を襲う。

「丁度いい。我が力がオーデンに通用するか、試金石になってもらうぞ」

 続けて、拳凰の頭上にこれでもかというほど巨大な氷山が出現。それが轟音を立てて落下してきた。押し潰されれば即死。拳凰の対抗策は、姿勢を低くしてからのジャンピングアッパー。崖の上から落とされる岩を拳で砕く特訓は散々してきた。このくらい壊せないものではない。

 だがそれは囮であった。ジェラートの真の狙いは、手にした氷柱を氷の槍とし直接心臓を貫くこと。氷山を砕くことに集中して隙のできた拳凰に、鋭く尖った槍の先端が迫る。

「させるかよ!」

 拳凰は素早く腕を下に動かし、槍を掴んだ。だがジェラートの突進力と表面の滑りが拳凰の握力に打ち勝ち、槍は奥へと押し込まれた。心臓こそ外れたものの、氷柱の先端は左肩に刺さる。その瞬間、拳凰は身の異変に気が付いた。体を流れる血液が、槍の刺さった場所から凍り始めたのだ。

(内側から凍らせるつもりかっ!!)

 拳凰は素早く槍を引き抜いて後ろに下がると、全身に気合を籠める。熱き血潮を燃え上がらせ、血液の温度を上昇させ凍結を防ぐのだ。

 だがそうしている間にも、ジェラートは次の攻撃に移ろうとしている。

 明らかに変化したジェラートの戦闘スタイル。以前までは拳凰の力を引き出して研究しつつ、最終的には生きたまま凍らせて標本にすることを目的に戦っていた。だが今は一挙一動に殺意が籠もり、単純に殺すことを目的に戦っている。これが第一使徒の全力。その全てが、即死級の必殺攻撃。

 次なるジェラートの技は、吹雪に乗せたダイヤモンドダスト。その一粒一粒が鋭利な刃であり、当たれば全身を切り刻まれ無惨な挽肉と化す。

 まだ血液の解凍も終わらぬまま、拳凰は駆け出し大きく回り込む。だが拳凰の進路で、地面から突然一本の太い氷柱が突き出した。それに気付いた拳凰は膝で氷柱を粉砕。こちらに向かってきたダイヤモンドダストは、拳を振るう圧力で全て吹き飛ばした。

「うおおおおおおっ!!」

 絶叫で感情を昂ぶらせ、より血液の温度を上昇。完全解凍に成功した拳凰は、ジェラートへの接近を試みる。

 だがジェラートはただでさえ長い腕に氷の槍を加えてとてつもないリーチを誇る。その間合いに入ることは、即ち死を意味するのだ。

 ジェラートは氷の槍をより鋭く尖らせ、カウンターで刺し殺すことを狙う。更に拳凰の周囲に冷気が纏わり付き、一瞬でも気を抜いた瞬間に凍らせて動きを封じようとしていた。そして更なる後詰めとして、自身の背後に大量の氷柱を展開。氷の槍が外れても、これが弾幕の如く一斉に発射され拳凰を蜂の巣にするのだ。

 拳凰の目前に死が迫る。走る拳凰には、自然と時間の流れが遅く感じた。

 ふと、拳凰の脳裏に花梨の姿が浮かんだ。

(だからちげーんだよ。俺が強くなりてーのは、そういうんじゃねーんだ)

 拳凰は否定するも、頭の中の花梨は勝手に拳凰の手を握ってくる。

(心配すんじゃねーよチビ助。俺は生きて帰るからよ)

 氷の槍の射程圏内に入る。一斉に打ち出された無数の氷柱を、拳凰はその拳で一つ一つ叩き割る。ジェラートの目に映る拳は、何百個にも見えた。

 ジェラートは氷の槍を解除し、己の魔力を全て防御に集中させた。氷の防壁の硬度を最大にし、拳凰を迎え撃つのだ。

 降り注ぐパンチの雨霰。無敵を誇った氷の防壁はいとも容易く砕かれた。暴風雨の如き猛烈な乱撃が、ジェラートを打ちのめす。

 意識が朦朧とする中、ジェラートの脳裏にラタトゥイユの姿が映った。

(ああ、ラタトゥイユ、君はやっぱり僕を――)

 だがそう思った途端、頭の中のラタトゥイユは冷たい目でジェラートを突き放したのである。

 最後の一発が顔面にめり込み、吹っ飛ばされたジェラートは後ろの壁に磔にされた。

 ジェラートが白目を剥いたのを確認すると、拳凰は両腕を下ろした。安心した途端、急にとてつもない寒さが襲ってきた。戦いに夢中で全く気付いていなかったが、この部屋の気温はマイナス百度を下回っていたのだ。

 突然、背後で扉の開く音。それと同時に暖かい空気が流れ込んできた。振り返ると、丁度ハバネロがこの部屋に入ってきたところであった。

「こいつは驚いた。まさかお前がジェラートを倒したのか。随分と怪我をしているな。今治してやる」

 ハバネロは火炎放射器で部屋を暖めながら進入。拳凰の周囲にも炎を当てて体を温めてやりつつ、掌から治癒の光を放射して戦いの傷を癒す。

「わりーな」

 拳凰はハバネロの肩に腕を回し、体重を預けた。

(まさか俺の獲物を二度も続けて持ってかれるとは……まったくとんでもない奴だ)

「ところであんた、幸次郎とデっさんが凍らされてるんだ。助けてやってくんねーか」

「安心しろ、そいつらなら俺が解凍して救護班に預けてきた」

「そうか……そいつはよかった」



<キャラクター紹介>

名前:第一使徒・絶対零度のジェラート

性別:男

年齢:26

身長:208

髪色:薄水色

星座:水瓶座

趣味:冷凍標本作り

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