第166話 準決勝第一試合2

「……よお、カス。ちゃんと来てくれて嬉しいぜ。昨日は楽しみで全然寝られなかったわ」


 リックが舞台の上に上がると、先に来ていたギースがそんなことを言ってきた。


「眠れなかったのは一晩中飲んでたからだろうが。クソ野郎が」


 嫌悪を隠そうともせずそう吐いて捨てるリック。

 それを見てギーズは邪悪な笑みを浮かべる。


「あ~、悪い悪い。そうだなあ。お前らはいちいち体調管理だのなんだのしてベストなコンディションを頑張って作って試合に臨むんだもんな。俺様みたいにそんなことしなくても強くて勝っちゃうやつが目の前にいると、自分が惨めになって嫌だよなあ。悪い悪い、謝罪してやるわ」


 謝罪すると言っておきながら、もはや、挑発以外の何物でもないギースの言葉。

 しかし、リックは。


「はあ……」


 呆れたように一つため息をついた。


「ああん?」


 怒りに任せて睨みの一つでも利かせてくると思っていたギースは怪訝な顔をする。

 そんなギースに対してリックは言う。


「まあ、いいさ。自分はベストの状態じゃなかったってのは、うん、自分を慰める言い訳としては悪くはないんじゃないか?」


 そう言ったリックの目には、なんと、明確な『憐み』が浮かんでいた。


「……おいこら、死ぬか?」


 初めて向けられた自分を憐れむ視線に、ギースはこめかみに青筋を立てて拳を振りかぶる。

 それを見たレフェリーが、慌てて止めに入った。


「ぎ、ギース選手。試合開始前の敵選手への攻撃は即失格となります!!」


 その言葉にピタリと拳を止めるギース。


「……仕方ねえな。ならさっさと試合を始めろ」


 そう言って開始位置に着くギース。先ほどのまでの禍々しい殺気が嘘のようである。

 そう。この男はここで拳を止められるのだ。

 感情的に見えて恐ろしいほどに理性的。スネイプに言わせればだからこそ一層恐ろしくおぞましい。

 リックもそれを見て開始位置に着く。

 両者が開始位置に着いた。


「これより、ギース・リザレクトVSリック・グラディア―トルの試合を開始する」


 いよいよ始まる注目の試合に観客たちのボルテージも最高潮になり、津波のような歓声が闘技場全体を覆いつくす。

 レフェリーがその手を振り下ろし試合開始の合図をするその直前、ギースがリックにだけ聞こえる声で言う。


「おいカス、てめえに今から現実ってやつを教えてやるよ」

「……奇遇だな。俺もお前にそれを教えてやるつもりだった」

 

「試合、開始いいいいいいいいいいい!!!!」


 ドンオオオオオオオオオン、という試合開始を告げる大きなドラムの音が響いた。

 準決勝からは観客も一段と多くなるため、全員に試合開始が伝わるようにこうして合図をするのだ。


 最初に動いたのはギーズだった。


「瞬殺はつまんねーから、少しは粘ってくれよ?」


 ギーズの足が地面を踏み込んだ。

 次の瞬間。

 ギース・リザレクトの222cm、180kgの体が急激に加速する。

 まるで慣性の法則を無視したかのような巨体の急加速に、観客のほとんどがギースの動きを目で追うことができない。

 瞬きする間もなくリックの背後に回り込んだギースは、リックの顔面目がけて突きを繰り出す。

 型も何もない素人丸出しの拳だが、ゴオッっという風切り音をさせながら恐ろしい威力の拳がリックに襲い掛かる。

 しかし。


「予備動作がデカすぎるな」


 リックの体もギースと同じく、急激に加速した。

 その加速力はギースに負けず劣らず。

 素人丸出しの大振りなど当たるはずもない。

 リックは沈み込むように前進して、ギースの巨体の下に潜り込こんだ。

 目の前には無防備なギースのボディーがある。

 しかし、問題はここからである。

 ギースにどうやってまともなダメージを与えるか、ということだ。これまでギースと戦ってきた『拳闘士』も攻撃をかいくぐって懐に潜り込むことはできたのだ。だが、その尋常ではない打たれ強さを前にまともなダメージを与えることができなかった。


「ふっ!!」


 そんな無敵の要塞じみたギースに対しリックは、シンプルな左の掌底を放った。

 ズン、と鈍い音がしてギースの横腹に命中する。

 そのまますぐに、ギースの近くからバックステップで飛び去った。

 これも今までギースと戦ってきたアンジェリカや他の『拳闘士』たちと同じ。素早さを活かして攻撃をかわして懐に潜り込み、一撃入れてすぐに再び相手の攻撃が届く範囲から離脱するヒット・アンド・アウェイ戦術である。

 しかし、アンジェリカたちと明確に違うのは。


「……ぐっ、おお。て、テメエ」


 ギースが攻撃を受けた脇腹を抑え、呼吸を乱してその場に片膝をついていた。

 そう、明らかに効いているのだ。リックの一撃は天性の強靭さを誇るギースの筋肉の鎧を貫通し、その内臓を揺さぶったのである。


 それを見て観客席にいるブロストンが、ふむ、と唸った。


「……なるほどな。リックよ。お前はこの試合、そういう使い方をするのだな」


「へえ。こりゃまた。リック君らしいというかなんというか」


「リッくん面白いことするねー」


 ミゼットとアリスレートも興味深げにそう言った。

 一方、アンジェリカは驚愕に目を見開いていた。彼女は昨日の戦いでついぞギースの肉体の鎧を打撃で貫通することはできず、『糸切り』による疑似斬撃で皮膚を切り裂くことでなんとかダメージを与えたのである。今リックがやったことの凄さが嫌というほど分かった。


「やっぱり、分かってはいましたが。リックも凄まじいパワーの持ち主ですわね……」


「それは違うぞ、アンジェリカよ」


 アンジェリカの呟きに対して、ブロストンがそう言ってきた。


「あれは、力でやったことじゃない、身体操作技術の一つ『通し』を使ったんだ」


「『通し』……ですか?」


「ああ。打撃を打ち込むときの感覚は人や流派によって様々だ。叩く、打ち抜く、押し込む、その中でも『通し』は捻じりこむ打撃だ」


 拳や蹴りが敵の体に触れた瞬間、捻りを加えながら突き刺すようなイメージで一押しするのである。これがちょうどいいタイミングで決まると打撃の衝撃が生物の体の中に捻じ込まれ、体の奥にある内臓を直接殴ったかのような威力を発揮するのだ。昔、東の国から来た修験者が大陸に伝えたとされる、素手による殺人技の一つである。普通の人間に使えば即死もしかねない危険な技であった。

 見たところあまりにも強靭で分厚いギースの筋肉は、それでもかなりの衝撃を防いだようだが、さすがにあそこまで直撃してはダウンを免れなかったらしい。


「……それにしても。あのギースに、あんな簡単にダメージを与えられるなんて」


「簡単なものか。『通し』は実践の中で動く敵に捻じりこむタイミングを合わせるのが非常に難しいからな。リックの徹底的に鍛えられた基礎能力と実践での使用経験があってこそ実現できるものだぞあれは。おそらく、リックは他の攻撃手段をお前に教えたんじゃないか?」


 なるほど。とアンジェリカは納得した。確かに初の実戦で思った以上の活躍を見せてくれた『糸切り』のほうが、自分にはあっていただろうとアンジェリカ自身も感じる。


(これなら、ひょっとしたら……)


 無敵に思えたギースにも、リックは勝てるかもしれない、とアンジェリカはようやく思うことができた。

 しかし。気になることが一つあった。


「……やけに落ち着いてますわね。スネイプ」


「ん? ああ、まあ確かにリック選手はやはり素晴らしいですね」


 スネイプの表情は試合開始前から変わっていなかった。

 ギースが勝たなければ全てが水の泡になるというのに、そしてそのギースが初めてまともなダメージを受けて膝をついているというのに、相変わらずスネイプは穏やかな表情で舞台を眺めているのだ。

 スネイプは余裕のある声で言う。


「この程度でギースの勝利は揺るぎません。むしろ、これで状況は悪くなった。正直リック選手に同情しますね」 

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