第165話 準決勝第一試合
天気は雲一つない快晴。
準決勝が行われる『中央拳王闘技場』はまだ前座の試合が行われているにも関わらずすでに本来の収容人数を二千人以上上回る客がつめかけていた。大会の運営スタッフたちも例年以上の客の入りに驚くばかりだった。今日行われる二試合がいかに注目されているかがよく分かる。
そして、ちょうど舞台で行われていた試合が魚人族の選手の勝利で終わった。
観客たちの興奮がみるみる高まっていくのが肌で感じ取れる。
いよいよ。第一試合。ギース・リザレクトVSリック・グラディア―トルの試合が始まる。
(中央拳王闘技場、西側控室)
試合を控えたギース・リザレクトは控室のソファーにドカリと腰をかけ、インタビューに答えていた。
「ギースさん。本日の体調の方はどうでしょうか?」
「さあな。気にしたこともねえわ。んなもんは雑魚共が気にしてればいいだろ」
その答えに日頃から血気盛んな『拳闘士』たちを相手にしている記者たちも引きつった笑いを浮かべる。
ギースの体からは酒の匂いが漂っており、つい数時間前まで酒を飲んでいたというのはわざわざ聞くまでもなく分かった。『拳王トーナメント』準決勝ともなれば、人によっては一世一代の大勝負のはずなのにこれである。
『拳闘士』にはスラムやチンピラ上がりの荒くれ物も少なくないが、ここまで傲岸不遜な男はさすがに記者たちも初めてだった。
一人の記者ベテラン記者が、何とかにこやかな表情を作りギースに質問する。
「ギース選手はスポンサー枠、つまり『闘技会』に所属していない選手としてはとしては初の準決勝進出者になりますが、『闘技会』についてどう思いますか?」
「雑魚の癖に夢とか追っちゃって無駄な努力してる馬鹿の集まり」
ギースはノータイムでそう断言した。
さすがのベテラン記者もこの発言には苛立った表情を見せざるをえなかった。記者たちはそのほとんどが『ヘラクトピア』国民であり、『闘技会』で戦う『拳闘士』たちを見て憧れを抱きながら育ってきたのだ。それをここまでストレートにけなされて心穏やかでいるのは無理というものである。
「……現状は弱くとも、夢を追って日々努力するのは素晴らしいことだと思いますが?」
苛立ちと侮蔑を乗せてベテランの記者はそう言った。
しかし。
「おい、テメエ馬鹿だろ」
ギースはおもむろに立ち上がるとその記者の胸倉を掴み上げた。
「ぐっ、ギ、ギース選手何を……」
「なあ、お前歳いくつよ?」
「こ、今年で五十二になります」
ギースの凶暴な視線にさらされ、まるで蛇に睨まれたかのように震える声で答えるベテランの記者。
「お前、その歳で何夢見ちゃってんの? 例えばよお、一流の冒険者とか商人とか学者とかが『自分は昔落ちこぼれでした』とか言うだろ。でも、そいつらの経歴見てみると全然落ちこぼれてねーんだわ。超一流じゃなかっただけで十分エリートなんだよ。しかも、素質を感じさせるエピソードがそれこそわんさか出てくる。要はそいつら始めっから才能ありまくってたわけだ。なのに『自分は努力したからここまで成功できたんです』とかぬかしやがるわけよ」
ギースは心底馬鹿にしたような声音で言う。。
「そんでオメエみたいな、脳みその軽い馬鹿がありもしない幻想見ちゃうわけだ。『僕だって頑張ればできるんですー』ってなあ。ははははははははははは、ねえから!! だせえんだわ!! だからよお。俺様みたいな天才には義務があると思ってんだよ。そういう馬鹿に現実教えてやる義務ってのがなあ」
ブンとギースが記者を放り投げる。
ベテランの記者は、丁度控室の天井の骨組みに引っ掛かるような位置にまで投げ飛ばされた。
それを見て他の記者たちは絶句する。
少し肥満気味で80kgはあるはずのベテラン記者を片手で軽々とかなりの高さの天井まで投げ飛ばす膂力、さらに丁度投げ飛ばした頂点が骨組みに引っ掛かるような位置に調節できる器用さ。この二つを当たり前のように目の前でやってのけたのだ。
記者たちはすでにその情報網で、このギースという選手が一切訓練をしたこともない素人だと知っている。で、あるはずなのにこれほどの力と技術を身に着けてしまっているという現実は、実際にこうして目の前で才能を見せつけられても信じがたかった。
もしかしたら、何か昔スポーツや格闘術の類をやっていたことがあるんじゃないか。普段から体を鍛えているんじゃないか。そんなことを考えてしまう。
しかし、ギースをよく知る兄のスネイプなどから言わせれば、その答えは完全にノーである。それどころか普通に働いている人間ならギースよりも体を動かしていると言い切っていいくらいだ。ギースは正真正銘まともに運動したことのない男である。
「その意味じゃあ、今日の相手はこれまでで最高の獲物だぜ。聞いた話じゃ『拳王トーナメント』優勝するために三十歳から『拳闘士』になったって話だろ? いいねえ。夢追い人だ……踏みつぶしがいがある」
その単純にして一点の善性もない悪意のこもった言葉に、記者たちは言い知れぬ恐怖を感じた。
この男は本当に、ただ純粋に、頑張っている人間を痛めつけて嗜虐心を満たしたいだけなのである。そこにやむにやまれぬ事情やとか、昔はいい子だったのにある事件を境に歪んでしまったとか、そういう理由は一切無い。
楽しいことだと思うから、それをやれてしまう力が何もしなくても備わっていたから、楽しんでやっている。
本当にただただ、それだけなのだ。この悪魔は。
「さて……いい顔で絶望してくれよ凡人。お前らの生きる価値はそのみじめさで俺様みたいな天才を楽しませることなんだからなあ」
ギースは舌なめずりをしながら舞台の方へ歩き出した。
□□
(中央拳王闘技場、東側控室)
リック・グラディア―トルもギースと同じく、記者に囲まれインタビューを受けていた。
ギースと違いにこやかに無難な受け答えをしていくリック。この辺りの当たり障りのない言葉選びは、さすが元ギルドの事務員といったところである。
そんな中、記者の一人が言う。
「敵のギース選手は、情報によりますと一切体を鍛えたことがないとか。だとすると、凄まじい才能の持ち主だと思いますが、リック選手はその辺りについてはどう思いますか?」
「……」
その瞬間。一瞬だけリックのにこやかな表情が険しくなった。
ゾワリ、と。記者たち全員に鳥肌が立つ。
そして、リックは一言。
「……哀れだと思います」
そう答えた。
「それはどういう……」
どういう意味でしょうと尋ねようとしたその時、リックはあることに気づきその言葉を遮って言う。
「ああ、すいません。そろそろ試合の準備がありますので、この辺でインタビューは終わりにさせてください?」
丁寧にそう言ったリック。
記者たちも試合前の選手にそう言われては仕方ないとゾロゾロと引き上げていく。
記者たちがいなくなったのを見て、リックは控室の隅へ歩いていく。
「よお、アンジェリカ。怪我の方は大丈夫なのか?」
そこには、リックにとって初めての戦い方を教えた弟子であり、先日の試合でギースに大敗したアンジェリカ・ディルムットが立っていた。まだ少しふらついており包帯の跡が痛々しくはあるが、一人で起き上がって歩けているところを見ると大事はなさそうである。
しかし、その表情は暗く沈んでおり、その綺麗に整った顔にも普段のような気の強そうな感じが無かった。
「……リック」
アンジェリカの形のいい唇が小さく開き消え入りそうな声を出す。
「すみませんでしたわ」
そう言って深々と頭を下げるアンジェリカ。
「せっかくアナタに鍛えてもらったのに、こんな結果になってしまって。あんな……あんな男に負けてしまって……ワタクシは……」
そう、あんな男に。才能だけの最低な男に。
アンジェリカはギュッと唇と強く結び、涙を流しながら言う。
「ワタクシのような才能の無い人間に無駄な時間を使わせてしまって申し訳ありませんでしたわ。ギースのやつの言う通りかもしれませんわね……子供のころに親や周囲から押し付けられた役割に反発して、ワタクシはか弱いお姫様なんかじゃない、自分の足で立って歩いていける。そう証明したかった」
そして、努力すれば努力するほど実際に強くなっていくことは嬉しかった。
ほらみろ、自分は間違っていない。貴族の女として始めから決められた役割だけのために生きていく道だけが生き方じゃない。自分の道は自分で切り開くものなのだ。そう思えて誇らしかった。しかし、その果てが自分の未来をかけた戦いで、生まれて持った力だけの男にあの様である。
「人並み以上には頑張ってきたつもりですが……ははは、無駄な足掻きだったかもしれませんわ」
「アンジェリカ……」
「大人しく、スネイプの嫁になるのもいいかもしれませんわね、箱入りのお嬢様として屋敷の中で丁重に扱われて過ごすのも……酷く退屈だけど楽ではありそうですし……」
今の彼女から発せられる言葉たちは、本来アンジェリカ・ディルムットというこの負けん気の強い人間からは決して出ないはずのものであった。それほどまでにギースの暴虐は深いダメージを刻んだのだろう。
体よりも心に……。
だからリックは一つ息をつくとこう言った。
「いや、お前はしっかりと努力して準備してきたさ。負けたのは、ギースの力を見抜けなかった俺の力不足だ。すまない」
そう言ってリックは頭を下げた。
アンジェリカはそんなリックを見て、俯いていた顔を上げると慌てて首を横に振った。
確かにギースの運動不足でありながら恐ろしいほどに俊敏に力強く正確という、本来ならありえない体の動きにリックがその実力を大きく見誤ったのは事実である。だからといって、それはアンジェリカも同じことだし、元々リックには特にメリットもないのに訓練をつけてもらっていた身である。何か言うのは筋違いというものだろう。
リック自身もアンジェリカがそう思うのは分かっていた。アンジェリカのような自立心の強い人間に、こんなことを言ったところで気休めにもならない。リックに責任転嫁して一時でも心の傷を誤魔化すようなマネはしないだろう。
だから、たった一か月ちょっとでも師匠として戦い方を教えた相手に対して、リックは自分なりのけじめをつけるつもりだった。
「アンジェリカ。今から俺が、この一か月と少しお前にやらせた訓練の……その先を見せてやる」
リックは力強い声でそう言ってアンジェリカの肩を軽く叩くと、舞台の方を歩いていった。
「リック様」
控室から舞台に向かう通路にダークエルフのメイド、リーネットが立っていた。
いつも通りのメイド服姿である。その手には水袋があった。
「試合前に少し吸水しておきますか?」
「ああ、サンキュー」
「あの」
「ん? どうした」
「アンジェリカ様の様子はどうでしたか?」
「ああ。お前も心配してたのか」
リーネットも『糸切り』アンジェリカに教えた身である。気になってはいたのだろう。
「落ち込んでたよ」
「そうですか……では、カタキをとってやらないといけませんね。今から私がやってきましょうか?」
リーネットは無表情でそう言った。
「はは、そりゃギースのやつも災難だな。でもまずは俺からだ」
リックはそう言うとリーネットから水袋を受け取り、ごくごくと中身を飲み干していく。
「……さて、じゃあ行ってくるわ」
リックは一息で中身を飲み干すと、アンジェリカに水袋を返しながらそう言った。
リーネットは綺麗な所作で頭を下げて言う。
「はい、行ってらっしゃいませ。リック様」
□□□
「……リック」
アンジェリカは選手専用シートがある客席に一人立ち、舞台の上に上がろうとするリックの姿を見ていた。
「ん? そんなところにつっ立ってどうしたアンジェリカよ」
最前列の方から低く芯の通った声に呼びかけられた。
ブロストンである。今舞台に立っているギースにも負けず劣らすの巨躯で、席を若干ながらミシミシと軋ませながら座っていた。
「ああ、君が話に聞いてたアンジェリカちゃんか。ワイはミゼット・エルドワーフや、よろしくやで」
「アリスレートだよ!! 昨日の試合のダーって走るやつ凄かったねー」
隣には相当な美形なのにニヤケ面で胡散臭い印象を醸し出しているハーフエルフと、百人が見たら百人が美少女と言い切るような可愛らしい少女も一緒に座っている。確かリックやリーネットも所属するパーティのメンバーだったはずである。
ブロストンと違いこの二人は普段のリックと同じくパッと見ではとても強そうには見えない。が、リックもリーネットも化け物だったことを考えると、この二人も相当にヤバいということは想像できる。訓練中に聞いたリックの話ではパーティメンバーは全部で七名らしい。こんな連中があと二人もいることに恐怖を覚えるばかりである。
「お前もこっちに来て座ったらどうだ? 一番前の方がよく見えるだろう」
ブロストンが左隣の空席を指さしてそう言った。
断ろうかとも思ったアンジェリカだったが、先ほどのリックの言葉を思い出す。
『今から俺が、この一か月と少しお前にやらせた訓練の……その先を見せてやる』
その先、というのが何のことかは分からない。それを知ったところで、今さら自分のような人間が何ができるというのだろうか。
だが。
「ええ、お隣の席、失礼しますわ」
なんとなくだが、どうしても自分はそれを見なくてはならないような気がした。
そして、アンジェリカがブロストンの隣に座ろうとしたその時。
「やあ、アンジェリカさん」
聞き覚えのある丁寧すぎて胡散臭い声が聞こえてきた。
アンジェリカが座ろうとした席のブロストンを挟んで一つ向こうに、スネイプ・リザレクトが座っていたのである。
「……スネイプ」
「お怪我は心配ありませんか?」
傍から見れば婚約者の体を気遣って声をかけたように見えるし、実際にそうなのだが、声音からは冷たいものを感じる。当然だろう。なにせ、スネイプの内心はアンジェリカという個人を心配しているのではなく、ディルムット家を通して王国貴族との繋がりが作れるかどうかを心配しているのだ。
アンジェリカはスネイプの問いかけを無視して、最前列の席に座った。
やれやれと肩をすくめるスネイプ。
「もうすぐ私の妻になるのですから、もう少し愛想よくしていただけると助かるのですけどね」
ギュッとアンジェリカは膝の上に置いた拳を固く握りしめた。
ブロストンが言う。
「スネイプよ。話はリックから一通り聞いているが、まだギースが優勝するとは限らんだろ?」
そう、スネイプの計画は『拳王トーナメント』開始前にしたギースの優勝予想で大金を手に入れることである。
そのためには、まず今から始まる試合でリックに勝たなくてはならないし、その後も、第二試合の勝者と戦わなければならないのである。
「いえ、優勝はギースです。それは絶対ですよ」
しかし、スネイプは即座に断言した。
「確かにリック・グラディア―トルは強い。アナタやケルヴィンとも対抗しうるかもしれないと私は見ています。ですが、ギースの力の前には等しく無意味です。弟の才能は絶対だ」
「そんなことは……」
ない。と、アンジェリカはスネイプの理屈を否定しようとしたが言葉が出てこなかった。
リックが強いのは嫌というほど知っている。だがそれ以上に、アンジェリカはすでにその身で思い知ってしまっているのだ。ギースの恐ろしさを、どうしようもない凶悪な強さを。かつてのスネイプと同じように。
「……なるほどな。お前はそう考えているわけか」
ブロストンは否定するわけでもなく静かに頷いた。
今度はスネイプが質問する。
「ちなみに、皆さんはやっぱり仲間であるリックさんが勝つと信じているんですか?」
「当然だな。仲間だからという理由ではないが」
「まあ、リック君が勝つやろね」
「勝負にもならないと思うよー」
『オリハルコン・フィスト』の三人も即座にそう断言した。
「ははは、仲間から信頼されてますねリックさんは」
スネイプは元々細長の目をさらに細めて笑う。
その笑いは、待ち受けている残酷な現実を知らず無邪気に希望を夢見る子供を見た時のような、そんな乾いた嘲りを含んだ笑いだった。
そしてやはり、アンジェリカは「リックが勝つ」と答えることができなかった。
「……さて、始まるな」
ブロストンのその言葉にアンジェリカは視線を闘技場の方に向けた。
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