第155話 開幕『拳王トーナメント』

 その日、ヘラクトピア首都の人口密度は大陸全都市で最大になった。

 ごった返すというという言葉が、まさにふさわしいほどの人、人、人。

 『ヘラクトピア』国民のほとんど、そして『帝国』を中心とした他国からのファンが詰めかけ、街に人が溢れかえっていた。街中のどこを見ても人混みしか無い、と感じるようなこの状況ですらまだ開催初日とあってマシな方である。最終日ともなればこの倍近くに観客の数は膨れ上がるのだ。

 メイン会場となる『拳闘士』たちの聖地、『アレキサンダー中央闘技場』での豪華絢爛な開会セレモニーが行われ、続いて惜しくも『拳王トーナメント』に参加できなかった選手たちの試合が行われる。あくまで前座だが、この試合もファイトマネーが普段の試合とは冗談抜きで一桁違うこともあり、どの選手も死力を尽くして戦うため見ごたえ十分である。

 観客達はこの時点ですでに十分すぎるほど温まっている。

 そして、午後一時。いよいよ待ちに待った『拳王トーナメント』第一回戦が始まった。


   □□□


 一回戦の第一試合から早々に観客達の期待に答えたのは、チャンピオン、ケルヴィンだった。

 相手は西部リーグ四位、ドワーフのグレイスである。

 ドワーフは武器の製造を得意とするイメージがあるために、素手での戦いへの適性を疑問視する素人は多い。しかし、日に何千回も鎚を振るう種族である彼らは様々な種族の中でも有数の剛力であり、特に上半身の力は並ぶものがない。また、ものづくりが得意であることは物質を立体的にイメージする能力が高いということであり、それは戦いにおいて敵の攻撃や自分の立ち位置を外から眺めるように俯瞰的に見ることができるということでもある。

 グレイスは特にこの俯瞰能力に優れ、状況を正確に読み切り適切な行動を常に選択してくることから『イーグルアイ』という通り名を持っている。

 しかし、試合は一方的な展開となった。

 ケルヴィンの速く鋭い動きを前に、グレイスは何もさせてもらえない。

 本当に何もさせてもらえていないのだ。反撃に転じようと動いた途端に、素早く反応され出鼻をくじくよう完璧なタイミングでケルヴィンの攻撃が防御の緩んだ箇所に突き刺さる。

 観客たちは流石チャンピオンだと歓声を上げる。

 一方、リックはケルヴィンの戦いを観察して、あることに気づいていた。


(……反応が早いのとは違うな。あれは明らかに相手が次にどう動くのかが事前に分かっているぞ)


 リックの推測は当たっている。実際にケルヴィンには次に相手がどう動くのかが分かるのだ。そうでもなければ、俯瞰能力・判断能力に優れたグレイスをここまで圧倒できるわけがない。

 なぜ、そんな事ができるのかと言えばその特別な『ハナ』によるものであった。

 犬人族の嗅覚は他の種族と比べ物にならないほどに優れているが、ケルヴィンのそれは尋常な精度ではなかった。なんと、集中すれば相手の脳内での意識の起こりを嗅ぎ取る事ができるのである。ケルヴィン曰く、脳が意識を起こすために体内で何かしらの物質が生成される。その匂いを嗅ぎ取っているのだという。

 そこに卓越した野性的勘と『拳闘士』としての経験が加わればどうなるか?

 その答えが、この一方的な試合である。

 チャンピオンと呼ばれる前のケルヴィンの通り名は『未来嗅覚』。

 『イーグルアイ』が三次元空間を正確に捉えその支配下に置くなら、ケルヴィンは時間も含めた四次元の領域に存在するものである。

 よって、優劣は必然的に決まっている。

 試合開始から僅か三十秒。

 敵に一発も攻撃を打たせることすらせず倒したディフェンディングチャンピオンを、観客達ははちきれんばかりの声援と拍手で称賛した。


「うむ。やはり、よい闘士だなあの男は。何より確信を持って自分のスタイルを確立しているのが素晴らしい。ぜひ手合わせしてみたいものだ」


 リックの隣に立っているブロストンが三回戦で当たるであろう相手を見てそう呟いた。よい闘士だと言ったが、手強い相手とは一言も言わないあたりがブロストンらしいとリックは思った。


 さて、その後の試合も順当に進んでいった。

 ブロストンは当たり前のように勝利。敵が拳一発で観客席まで吹っ飛んだのを見て、初見の人間はあんぐりと口を開けていた。

 リックも危なげなく勝利した。

 驚いたのはアンジェリカである。相手は東部拳闘会の賞金ランキング二位だった。これまでのアンジェリカで考えると厳しい相手である。この一ヶ月間の訓練で見違えるほど強くなったことも考慮してなんとか勝てるだろうというくらいだ。

 などと考えていたら。結果は大きく違っていた。

 アンジェリカの圧勝である。

 あの狂気の鍛錬によりアンジェリカの体には、まるで鉄の芯が通ったかのように安定性と力強さが生まれた。当然それは一撃の威力を重くするし、元々得意だった高速移動系の『強化魔法』もそのキレを格段に増したのである。

 相手はアンジェリカが得意とする連続の『瞬脚』を存分に活かした、四方八方から襲いかかる高速の連撃に対抗策を見つかることができずに、開始五分で地面に倒れ伏したのだ。

 驚いたのは自らアンジェリカを鍛えたリック自身だった。


「自分で鍛えといてなんだけど、びっくりしたぜ。すごい成長速度だ」


 隣にいるブロストンはリックがそう言ったのを聞いて言う。


「それほど不思議なことではないぞ。実際にお前と違って、アンジェリカのやつは筋がいいし、これまで鍛えてきた分があるからな。成長は格段に早いだろうという想像はついただろう?」


「……悪かったですね。出遅れで筋が良くなくて」


 いじけたようにそう言うリック。


「なに。今となっては、それも誇るべきことだろう。器用でないからこその強みというのもある」


 ブロストンはなだめるでも慰めるでもなく、ただ淡々と事実を伝える口調でそう言った。

 リックたちがそんな事を話している間に、舞台のほうでは本日最後の試合。一回戦第八試合、ギースの試合が始まろうとしていた。


「あの不愉快な男の試合ですわね」


 試合を終えたアンジェリカがリックたちの方に歩み寄ってきた。


「お疲れ様。二回戦進出おめでとう」


「ええ、当然ですわ」


「よき戦いであったぞ。もう少し身体強化の魔力を軸足の方に使えればなおよかった。特に攻撃をする時は腕に魔力を偏らせがちだが、地面をしっかりと蹴ることが大事だぞ」


「……あいかわらず、一言多いオークですわね」


 勝利の余韻に水をさされたアンジェリカが、ブロストンに不満そうな目を向ける。


「さて、オレはそろそろ帰るとするか」


「あれ? ブロストンさん。なにか用事ですか?」


「いや、あまり長居すると報道陣に囲まれるのでな。普段も魔法で気配を遮断している」


「ああ、なるほど……お、そろそろ始まるみたいだな」


 リックがそう言うと、アンジェリカもリングの方を見る。

 ギースの対戦相手は西部リーグランキング二位のヘルマン、人間族の選手である。

 ガッシリとした体型の多い一部リーグの選手の中では、珍しく細身の選手である。細身と言ってもガリガリなのではなく十分に引き締まっているという感じだ。均整の取れた体つきと言ってもいいだろう。その見た目の通り攻守にバランスの取れた選手であり、アンジェリカも西部リーグではそのスキのない試合運びに苦戦し、一度も勝てたことはなかった。また、闘技場の外でも非常に紳士的であり、人格面での評価も高い。

 さて、ギースも入場口から登場する。


「おうおう、哀れな暇人共が山のようにいやがるぜ」


 ギースはいつものように周りを見下しきったような声音でそう言いながら現れた。


「はあ、ったくよお。めんどくせえなあ」


 ギースは本当に心底ダルそうにそう言った。

 スポンサー枠とはいえ、ゴルドのように『拳王トーナメント』に出たくても出られなかった人間が聞いたら殴りかかられそうなセリフである。


『それでは、試合開始です!!』


 実況の声とともに、試合開始の合図である鐘が鳴らされた。

 さあ、果たしてスネイプの送り込んだ刺客はどんな戦い方をするのか?

 まず、序盤を制したのはヘルマンであった。

 ヘルマンはギースの巨体を見て、十数種類あると言われる戦闘スタイルのバリエーションから適切なものを選んだ。その戦闘スタイルは、アンジェリカと同じ足を使ったもので踏み込んで攻撃を打ち込んでは敵の反撃が来る前に退避し、逆に敵の踏み込みは小回りを利かせてすかすというものである。

 これが上手くハマった。ギースはまるで弄ばれるかのように、ヘルマンを捉えきれない。強引に掴みにいこうとしても、追加で数発の攻撃をもらい余裕をもって攻撃範囲外に逃げられてしまう。

 しかし、ギースもただやられているわけではない。


「はっ!! うぜえな」


 ギースが右拳を繰り出す。

 ヘルマンは余裕を持ってそれを躱すが。

 ゴウッ!!

 と、会場中に響き渡る空気を切り裂く音が聞こえた。

 完全な射程外にいるにもかかわらず、ヘルマンの額から冷や汗が流れる。

 眼の前の男は、観客が15万人近くいる会場中に響き渡る空振り音をさせたのである。凄まじいパワーだった。ヘルマンは決して打たれ弱い選手ではないが、あんなものを一撃でももらったらその瞬間に終わりである。

 よってヘルマンは、より注意深くより徹底して足を使い一撃離脱戦法で試合を組み立てていく。

 試合は非常に分かりやすい対立になっていた。

 巨大のせいかスピードは無いが強烈な一撃を持つギース。

 スピードはあるが、倒すのに手数を必用とするヘルマン。

 素晴らしいのはヘルマンの集中力だろう。当たれば必殺必至の一撃を全て躱しながら、丁寧に適切な攻撃を打ち込み続けているのだ。アンジェリカも西部リーグでは、この機械の如き正確さとそつのなさに苦しめられてきた。

 そんな状態がしばらく続いた。

 そして一人。また一人と気づき始める。

 実況が震える声で言う。


『ギ、ギース選手。一体いつになったら倒れるんだあ!?』


 すでに試合は三十分近く経過している。その間、一方的に攻撃を受け続けているのにギースは一向に倒れる気配がないのである。

 ヘルマンはバランスのいい選手だ。ブロストンと訓練する前のアンジェリカと違い、一撃一撃が軽いなどということは決して無い。重量級の渾身の一撃には及ばないと言うだけで、十分すぎるほどに「鋭く」「重い」。

 ヘルマンは悪い夢でも見ているかのような気分になる。倒れないどころか反撃の威力が段々と上がってきているかのような気さえするのだ。確かに初見でその並外れた体躯を見た時は相当なタフネスの持ち主だと思ったが、これほどまでとは想像のしようがない。


「ああ、めんどくせ。いい加減終わらすか」


 ギースが長身を活かして頭上から拳を振り下ろす。

 あまりに大雑把で見え見えのテレフォンパンチに、ヘルマンは一瞬面食らうが、そこは身に染み付いた回避行動で紙一重で躱す。

 しかし。

 バキィィィィィィ!!

 と、ギースの拳が地面に激突し、その並外れた威力で砂埃と破片を盛大に巻き上げた。

 その破片と砂が運悪くヘルマンの視界を一瞬塞いだ。

 その一瞬が命取りであった。

 ギースがラリアットのように乱暴に繰り出した右腕が、ヘルマンの体に命中した。

 メキメキと生々しい音をさせながら、くの字に折れ曲がるヘルマンの体。そのまま、リングの端まで転がっていき、壁に勢いよく激突することでようやく止まった。


『い、一撃だああああああああああ!! ギース選手。防戦一方だったが、ヘルマン選手見せた一瞬のスキをついて一撃で相手を沈めたああああああああああああ』


 実況の叫ぶような声と、観客の三十分に及ぶ激闘の勝者への歓声が闘技場に響いた。


「……なあ、アンジェリカ。気づいたか?」


 歓声を聞きながら、試合を見ていたリックはアンジェリカにそう問いかけた。

 アンジェリカはゆっくりと頷いた。


「リックもそう思いましたか?」

「ああ」


 今の試合を見て、アンジェリカもリックもある信じがたいことを感じ取っていた。

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