第25話 ミーア嬢の憂鬱
――レストロア邸当主執務室。
「あら、茶柱がたってますわね。今日はいいことがありそうですわ」
ティーカップを片手に一人そう呟くのはレストロア領の領主、ミーア・アリシエイト・レストロアである。艶のあるロングの黒髪に柔らかそうな起伏のある体つきをした17歳の少女だ。
「はあ、今日も平和で穏やかな朝ですわ……」
平和。
そう、平和と平穏である。
ミーアの一番愛するものだった。
若くして両親から受け継いだ侯爵の地位と、敵対国である帝国と国境を境にするレストロア領。これを無事に守り抜く重責をミーアは日々感じながら生きていた。
幸い、今は内部で大きな問題も起こっていないし、帝国との敵対関係もだいぶ落ち着いているが、それでもいつ何時問題が発生してもおかしくないというのが領地の運営というものだ。
だからこそ、ミーアは平和と平穏を何よりも愛する。
同じ領主の中には自らの管轄地をより栄えさせようと、四方八方へ走り回っているような人々もいるが、ミーアはそんな彼らを見て単純に「すごいなあ」と溜息をついてしまう。
自分には維持で手一杯だ。今の平穏を乱さないだけで四苦八苦している。このまま仕事人間として生涯を終えるのだろうか。まあ、結婚はその辺の貴族か豪商の息子と見合い婚をすることになるのだろうが。
いや、そんな楽しくない考えはこれくらいにしておこう。
今はこうして心穏やかに朝のティータイムを楽しむことができる幸福を存分に噛みしめ……
「ミーア様ああああああああああああああああああああああああ!!」
普段身の回りの世話をしてもらっているベテラン執事が、ドタドタと慌ただしい足音を立てながら部屋に入ってきた。普段は耳をそばだてても聞くのが困難なほど足音をさせずに歩く男である。よほどのことがあったのだろうか。
「はあ」
ミーアはため息をついた。
自分は平和と平穏を何よりも愛する。だが、まあ、こういうものなのだ。領主というものは。
「それで、爺や何がありましたの?」
ミーアはそう言いながら、ティーポットの液体をカップに注ぐ。
「帝国の軍が奇襲攻撃を仕掛けてきた」などということでもない限り、せめてもう一杯飲む時間くらいはゆっくりしてもいいだろう。
問題の対処にはそれから
「お、『オリハルコン・フィスト』の方々が屋敷を訪問しにきましたああああああああああああああああああああ」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
ティーポットを持ったまま、ミーアの動きが完全に停止した。
ドボボボボボボボボボ。
「み、ミーア様。お気を確かに。お茶がもの凄い勢いでこぼれております」
「あ、熱っ。じ、爺や。大変心苦しいですが丁重にお帰りをいただいて」
ベテラン執事は首を横に振った。
「通じる相手ではないでしょうな……」
「なら、私は体調が悪いので丁重にお断りを」
ベテラン執事はまた首を横に振った。
「残念ながら仮病が通じる相手ではないかと。多少の病は一瞬で治してしまえるブロストン様がいますし」
「……この前、国境警備用に取り寄せた最新の魔道速射砲がありましたわね」
ベテラン執事は首を大きく横に振った。
「残念ながら……それこそ通じる相手ではないかと」
「ですわよねー」
ガックリうなだれるミーア。
その時。
コン、コン、コン。
と、執務室をノックする音が聞こえてきた。
――おーい、ミーア嬢。いるか?
肺まで響くような低重音だった。聞き間違えるはずもなく、あのオークである。
「どどどどどど、どうしましょう爺や」
「お、おちついてください当主様。とりあえずは居留守を」
――おーい。
コン、コン……
バキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!
突如、執務室のドアが木っ端みじんに吹っ飛んだ。
「ごばああああああああああああ!!」
ベテラン執事が破片に吹き飛ばされて、床をごろごろと転がる。
「ひゃいぃ!!」
悲鳴を上げるミーア。
いましがた執務室と直結した廊下から、化け物たちが入ってきた。
先頭を行く巨漢のオーク、ブロストンが顎に手を当てながら言う。
「ふむ、ノックの音が小さいかと思って少し強く叩いたのだが。根性の足りない扉だな……」
扉に根性があるとは初耳である。
ブロストンがミーアの方を見る。
「おお、ミーア嬢。久しいな半年ぶりくらいになるか? あと、扉を壊してしまった。すまん」
ブロストンの後ろには、いつものメンツ。アリスレートとミゼットがいた。
「やっほー!! ミーアちゃんひさしぶりー」
「おおー、乳も尻もまたデカなったなあ。眼福眼福」
(あら?)
ミーアはブロストンたちの後ろに見知らぬ顔を見つけた。
「お、おじゃましまーす」
30代くらいのどこにでもいそうな男だった。様子を見るにブロストンたちの連れのようだが。
それはともかくとして、ミーアは目の前のブロストンに引きつった顔で挨拶した。
「ご、ごきげんよう『オリハルコン・フィスト』の皆様」
「ふむ、大規模盗賊団の掃討を頼まれた時以来だから、半年ぶりくらいになるか?」
「そ、そうですわね。その節は大変お世話になりました。領民も安心して暮らせるようになりましたし、流通も以前より盛んになりましたわ」
ブロストンは礼を言うミーアの言葉を制するように右手を挙げる。
「なに、礼にはおよばんよミーア嬢。この世は「ギブアンドテイク」だ。持ちつ持たれつ。適切な助け合いこそが人々の最大幸福を実現する」
「そ、それで、本日はどうされたのでしょうか。実は私、この後どおーーーしても外せない用事がありまして、できればお話はまた今度。そう、来世とかそのあたりで」
「おお、そうかならば手短に済ませよう。なに、ちょっと「テイク」を頂戴しに来ただけさ。大したことではない」
ブロストンがニヤリと唇を歪める。
(あ、これ、ダメなパターンですわ)
「ちょっと、我々を身分を隠して東の騎士団学校にねじ込んでほしいと、“たった”それだけの話だ」
「……たっ……た?」
国王直属の警察警備を一手に担う騎士団に、身分を詐称して入団させることが?
「では、頼んだ。用事があるのだったな? 忙しいところに失礼した。さあ、帰るぞ」
「えー、ミーアちゃんと遊びたかったなあ。まあ、いいや。またねーミーアちゃーん」
「後でワイが細かい打ち合わせに行くわ。そんときついでにブロストンの奴がぶっ壊した扉修理したるで。上級魔法でもビクともせえへんようになるから楽しみにしといてなー」
嵐のごとく現れて去っていった化け物たちの背を見送り、ガックリと膝をつくミーア。
「また、こうなりますのね……」
確かに『オリハルコン・フィスト』は先刻の大規模盗賊団掃討作戦をはじめとして、ミーアが領主として危機に陥ったとき力をかしてくれる存在である。ミーア自身もその協力に報いたいという思いはある。
ブロストンの言うとおり、ギブアンドテイクの精神は大事だ。特に貴人である自分は人々から与えられることが当たり前になってしまいがちである。
しかし、だ。
こちらが「ギブ」されたものに対して、彼らの要求してくる「テイク」が毎回めちゃくちゃなのである。
ちなみに前回は、戦闘を始めるから5つ町の人間(合計200万人)を72時間以内に全員避難させろ。だった。
普通に無理である。
いや、その無理をなんとかして無事に死人を出さずにすんだのだが、その三日間でミーアが死にかけた。過労と心労で。
そして今度は騎士団学校への潜入の手引きである。侯爵の地位を持つとはいえ相手は国王直属の組織、根回しの困難さを思うとすでに頭痛が襲ってくる。
ちなみにミーアは彼らを目の前にして断るという選択肢を選べるほどの勇者ではない。
(うう、先ほどまで心穏やかにティータイムを楽しんでいましたのに……)
ミーアの愛する平和・平穏とは対極に位置するのが『オリハルコン・フィスト』という連中であった。
「あ、あのー。大丈夫ですか? 立てます?」
不意にミーアの頭上から声が聞こえた。
顔を上げると、先ほどブロストンたちと一緒に入ってきた中年の男がこちらに手を差し出している。
「うう、ありがとうございます」
その手を取って立ち上がるミーア。こういう当たり前の優しさが今はもの凄く心に染みる。
「え、えーと。あなたは初めて見ますけど……」
「ああ、二年前にパーティに入ったリックです。なんか、すいませんね領主さん。ウチの先輩たちはめちゃくちゃで」
ミーアは驚いて目を丸くする。
改めてリックの容姿を見ると、本当にどこにでもいそうな男だ。この男があのパーティに入った?
「しかも、2年前に……し、失礼ですが、大変失礼だと思いますが、その……なんで、まだ生きているのですか?」
「自分でも不思議です(白目)」
リックの短い言葉とその表情には筆舌に尽くしがたい、何かがこもっていた。
「な、なるほど、あなたも苦労されているんですね……」
「ええ、まあ。あ、用事があるんでしたよね? 俺もおいとまさせてもらいます」
リックはそう言って、扉(だった壁の穴)から部屋を出ていった。
残されたミーアのもとに、扉の破片の中から這いだしてきたベテラン執事が声をかける。
「ゲホゲホ、あ、相変わらずですな……あのお方たちは。領主様お怪我は?」
「ええ、大丈夫です」
「それにしても、あのリックという男。ああ見えて恐らくかなり腕が立ちますぞ」
「そうなのですか?」
「ええ、まあ。これでも、長年多くの護衛兵たちを見てきましたから。あの者は一流の剣士のように身のこなしに無駄がありません。何より領主様も感じた通りあのパーティで2年間生きていられたというだけで、十分な裏付けでしょう」
「た、確かに。人は見かけによりませんのね……あら?」
そう言ったところで、ミーアはあることに気づく。
「爺や。なぜか私、今、心臓がドキドキしています、もしかしてリック様にときめいてしまったから?」
「いや、普通に恐怖が原因かと。吊り橋の上よりも遙かに危険な方々と対面したばかりですので」
執事は苦笑いしながらそう言った。
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