青春の群像(第3部)41 真一はトカレフを受け取り組事務所を出たのです、若頭が奴は何しにきたんですかと中野に聞くと、お前も知っているが別れた女房が余命6ケ月で鎌倉病院に入院してい


青春の群像(第3部)41


真一はトカレフを受け取り組事務所を出たのです、若頭が奴は何しにきたんですかと中野に聞くと、お前も知っているが別れた女房が余命6ケ月で鎌倉病院に入院しているらしいのだが、

見舞いに行くようにとの話だと言うと、そうですか、姉さんが病気ですか、良子ちゃんは心配でしょう、私が見たのは赤ちゃんの頃ですがもう20年も前の事になりますね、組長それは行、

かなければいけませんよと言うと、


娘はヤクザの俺が父親だとは知らないんだ、知れば迷惑がかかるだろうと言うと、親子の名乗りを上げなければいいではないですか、秘かに会えばいいですよ、姉さんもキット会いたい、

と思っていますよと言ったのです、しかし何で奴の所にと言うので、前に一回鎌倉に行き和子に合った事があるんだ、勿論内密にだが、元気でやっているので心配しないでと言っていた、

その帰りに、


和子の両親の墓参りをした時に寺の尼さんと親しくしていると言っていたので、その辺の繋がりだろう、身内も誰もいないからなあと言ったのです、医者の払いもあるだろうから、明日、

にでも行ってくるよと中野が言ったのです、真一は家に帰り寝ようとフトンを敷きビールを一杯のんでいると、電話がなり出ると中野である、今日は知らせて下さってありがとう、明日、

会いにいきますが、


鶴岡健次郎は見つからなかったが上海で一緒だった戦友の中野が見つかった、和子とも知り合いなので連れて来た事にして欲しいと話すので、承知しました、私も行きましょうと言った、

のです、明日は東京駅で待ち合わせしょうと言うので、承諾したのです、妙庵に電話をして段取りを話して、今から良子さんに電話すると言うと、家の電話番号を教えて貰ったのです、


電話をすると出たので、夜遅くにすみません、私は村上真一と言いますと言うと、妙庵さんが頼んでくれた方ですねと聞くので、そうです、残念ながらお父さんは見つかりませんでした、

引き続きさがしています、戦友会で聞きましたら中野さんと言う上海で一緒だった人が見つかりましたが、今の行方はしらないそうです、貴方のお母さんは良く知っているそうです、

明日見舞いに行きたいと言っているんですがと言うと、


そうですか父の戦友だった人ですか、母も喜びますわ、明日は病室でお待ちしていますと言ったのです、翌日は中野の車に乗り鎌倉に向かったのです、鎌倉は長らくいっていませんから、

懐かしいです、中野さんは生まれはと聞くと東京の深川です、私もあの東京大空襲で両親と姉を亡くしていまして、天蓋孤独と言うわけです、和子は戦前に女学校に行くために、親戚の、

家に下宿していたのです、


そこの下宿の叔母さんとお袋が友達だったので、付き合うようになったのです、その時は私は陸軍中尉だったんですが、大尉にになると上海の特務機関に転属になったのです、機関長が、

ゲリラの襲撃で戦死したため、私が少佐になり機関長に就任して鶴岡機関になった訳です、和子が上海に来たいと言いましたが、結婚はまだしていなかったので、内地勤務になるまで待、

つように言ったのですが、


家を出て上海に来てしまったので、両親に許可をとり一緒に上海で生活する事にしたのです、抗日ゲリラはいましたが、上海、北京ではゲリラの活動は少なくて、意外と戦争中は安全、

だったのです、ケリラはもっぱら鉄道の線路と電信などを狙っていましたので、郊外の部隊がよく襲われていたのです、戦況も逼迫してきまして、東京などの都市は空襲により壊滅的、

な被害を受けて、


東京大空襲により、和子の親戚と私の家族は犠牲になったのですが、鎌倉は神社仏閣が多く空襲にあっていませんでしたので、鎌倉に戻るようにいいましたが、死ぬ時は一緒だと言って、

帰ってくれなかったのです、そして8月を向かえ、日本が無条件降伏すると言う情報が手に入りましたので、上海の司令部にあった押収物を隠して、機関員はそうそうに内地に帰らせた、

のです、


和子もその便で帰るようにいいましたが言う事は聞いてくれませんでした、蒋介石軍が進駐してきましたが、拘束されることなく普通に生活できたのです、私達は夫婦と言う事でその中、

に紛れ込んだのです、そして復員が始まり賄賂を使つて博多に帰ってきたわけです、金銀財宝の多くは部下に託して最後の内地行きの便にのせ日本にひそかに運んだのです、運んだのが、

今若頭をやっている、


当時機関員だった村田少尉で、少尉の知り合いだった関東連合の会長宅に隠したのです、私達は戦犯を逃れる為に名前を変えて関東連合の中野組員となり、その財宝はは金に変えて、

ヤミ市の資金と新橋で炊き出しをやり、孤児を優先に食べさせたのです、後にその者の多くが中野組に入り、その隠匿した財宝を使って関東連合の組織を大きくしたのは間違いあり、

ません、


噂になった事はありますが、証拠はありませんよと笑ったのです、当時はおおかれ少なかれそんな事はあったと聞いています、政界のヤミの部分にM資金とか言われている物も存在する、

と言う事を聞いた事がありますと言うと、ほとんどが特務機関の生き残りが隠匿しています、今の価値で何丁円もあったとも言われていますが、私の場合はそんなに多くありませんよと、

言ったのです、


当時の抗争の原因は何んだったんですかと聞くと、横浜にあった徳田組が新橋に事務所を構えたことから、ヤミ市を仕切っていた中野組とぶつかり、徳田組の組員が中野組の若頭を狙撃、

し、若頭が死亡して抗争が始まったのです、若頭を取られて黙っているわけには行かないので、私がヒットマンとなって徳田組長を狙撃したのです、徳田組長が死亡した事で関東双葉会、

の会長が手打ちに乗り出し抗争は終結したのです、


私は自首して懲役刑になったわけです、刑務所から出てくると中野組長から子供がいないので、養子になり跡目を注いでくれと言われ、8年も刑務所におり、何処にも行き場のなかった、

私は引き受けて、組長がなくなり跡目をついだわけです、組長は昔かたぎの人で薬にだけは手を出さなかったので、中野組は薬はいっさいやっていませんよ、もっとも関東連合の傘下、

に入っている組には、やっている組も沢山あります、


今回村上さんのお陰で戸村は関東連合から破門されました、会長が内部抗争をはじめようと、武器をあつめて、こともあろか警察官殺人未遂で逮捕されるとはと激怒しまして、警察に、

始末書を書き、戸村組を解散すると言う事で決着が付いたのです、戸村組は解散しましたが、若頭の浪花に新たに浪花組を作り戸村組の組員はそっくり引き取る事にになり、浪花を、

理事に登用しましたと言うので、


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