β041 僕の彼女は特別で

 ――私には別の顔があります。私がクシハーザ女王です。


 僕は、ソファーからがたりと立ち上がってしまった。


「綾織さんが、冗談を言うとは思えない。あの横顔のレリーフとは、違った感じがするけれども、クシハーザ女王陛下なのだね。クシハーザ女王陛下に陛下をつけないでも呼べるのがその証拠だ」


 混乱してしまい、広い朱鷺の間に敷かれたふっかふかのカーペットを後ろで手を組みながらぐるぐると歩き回る。


「クシハーザ女王陛下……。一体、どこを統べているのか、今は分からないけれども。空中庭園国の硬貨なのに、惑星アースのメガロポリス、エーデルワイスの中でも目立つ摩天楼の玉となっていた。それから、『マリッジ◎マリッジ』ももれることなく、会社の朝礼でするクシハーザ女王陛下万歳もそうだな」


 僕は、ぶつぶつと、今までの記憶を辿った。

 いくつかの疑問もある。


「私が巫女をしているのは、国の為です。空中庭園国とその母国本惑星アースの為なのです」


 クシハーザ女王陛下は、両国を統べているのか。

 それだけではないよ。


「僕の心を支配しているのは、間違いないな。うん」


 口元に手を当てた独り言が、聞こえてしまったようだ。


「葛葉様の御心までは、分かりかねました」


 普通に答えられてしまって、僕は、穴があったら入りたかった。

 僕に対して御心とは、綾織さん……!

 ああ、その内、下の名で呼んで欲しかったけれども難しくなって来たな。


「綾織さんがどこの神社かを答えられなかったのは、この為か。特別な身分なら、答えられないよな。迎賓館、顔パスだし。ある意味、僕なんかが近付いてよかったのか、疑問に思うよ」


 あ、失言した。

 傷付けていないだろうか。


「すみません。ごめんなさい。今の言葉を殺してください。僕が間違っていました」


 何度も頭を下げた。

 僕は、好きだと思った人を守るどころか、自分から刃を向けていいのか。

 しきりと反省した。


「巫女は、殺生をしません。葛葉様のお言葉もこの身に受け止めさせていただきます」


 ふがー。

 それは、困ったな。

 綾織さんは、いい意味で几帳面だけれども、頑固なんだな。

 これで、恋人になれるだろうか?

 その前に、クシハーザ女王陛下と言うことは、国王陛下はどうされたんだ?

 僕は一度もその名を聞いたことがないよ。


「僭越ながらお伺いします。クシハーザ女王陛下。国王陛下はいらっしゃるのでしょうか?」


 綾織さんがご結婚されているとは思えないが、立場からしてそうだと考えるしかない。


「私は、婚姻したことはありません。父が退位したら、女王となったのです。父をご存知なかったのですね」


 綾織さんは、怒っている訳でもなく、淡々と話している。

 頭が、真っ白だよ、僕は。

 何でだろう。

 思い出せないな。


「国王陛下がいらしたことは、どうした訳か失念してしまいました。名前も思い出せません。すみません。国王陛下は、存命の内に退位なさったのですよね」


 綾織さんの父上のお名前を思い出せないとは。

 随分な失態だよ。

 僕も敬語になっているし。


「ええ。ネイガスティハーゼ国王陛下と申しました。今は、父の綾織時空あやおり じくうとなり、私に清浄の鐘などについて指南してくださっています」


 僕は、結婚できるのだろうか……。


 その時、朱鷺の間にピプププとコールがあった。

 何かの危機を感じたが、初めて見る、部屋につく通信機器だ。

 クシハーザ女王陛下の綾織さんが出ると、僕ににこやかに話し掛ける。


「ディナーをお持ちいたしますって。お腹は空いていますか?」


 ディナー!

 セトフードサービスの『あたためてごはん』より美味しいのだろうな。

 僕は、自炊もするが、セトフードサービスにもお世話になっている。

 ひなが急な解雇をされ、行方不明の今、利用する気にはなれないがな。


「そ、そうですね。空中庭園国に戻って来て、茶腹にしかなっていませんから。何か食べて、元気を出しましょう」


 僕は、半分ジェスチャーで、こくこくとうなずく。


「ディナーの件、よろしくお願いいたします。給仕は要りません。少し冷めても大丈夫ですので、まとめて持って来てください。重要な来客なのです」


 僕が、重要な来客だって。

 確かに、大切と言うか、密室でしかできない話をしているな。


 ◇◇◇


 カチャカチャ……。

 コックのアイソガイさんとウメアさんが来て、ディナーの支度をしてくれる。

 広い朱鷺の間が手狭な感じを受ける程、晩餐を並べていただいた。

 僕には、何一つ見ても分からない料理ばかりだ。

 フルーツでさえ、飾り切りで、何なのか分からない。

 この氷の器は、素敵だな。

 中は何かのスープだろう。

 中央につがいの朱鷺のオブジェがある。

 凄い。

 語彙力がないが、圧巻されるとは、このことだ。

 手際よく飾りながら食事が並べられた。


「ああ、ありがとうございました」


 僕が頭を下げているのに、コックのアソガイさんとウメアさんが恐縮している。


「失礼いたします」


 朱鷺の間が二人去っただけで、静まり返る。

 僕が戸惑っていると、綾織さんがデコレーションがいにしえの動物達で彩られているスプーンで、氷の器にすっと入れた。


「美味しくいただきましょう。葛葉様」


 おすましさんの綾織さんは、勿論、いつもこのようなお食事をいただいていたのだろうな。

 僕の食事とは環境が異なるね。

 身分って、空中庭園国では廃止されたと思っていたけれども、朝礼でクシハーザ女王陛下万歳をするのだから、古き行いは残っているのか。


「今更だけれども、僕を葛葉様と呼ぶのはどうなのだろうか? 呼び捨てでいいのではないだろうか」


「葛葉様は、葛葉様です」


 綾織さんが、それでいいのなら。


「……ご尊敬申し上げております」


「はあ?」


 僕は、開いた口がふさがらない。

 テーブルマナーを気にせずに召し上がってくださいとのことなので、食べたいラムにナイフをあてた。

 僕らは、食べると黙ってしまいがちのようだ。

 口火を切ったのは、綾織さんだ。


「それに、労働改革をご存知ですか?」


 僕は、首肯する。


「三年前に起こったのだろう?」


 我が家にとっての大事件だ。

 綾織さんは、何を知っているのだろうか。

 クシハーザ女王陛下としても。

 エーデルワイスを持つ巫女としても。



 僕は、謎を解き明かして、ひなと出会いたい。

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