卒業
和泉 世音
第1話
一目見た時から、ずっと。
君に、恋をしている。
これから先――恐らくは、一生。
君の事を、忘れないだろう。
だけど、もう二度と。
君に、会えはしない。
「……せ……ぃ……」
もうじき、冬が終わる。気候も大分過ごしやすくなってきたし、そろそろ桜が芽吹いてもいい頃合いだろう。
山はまだ雪化粧を残したままだが、街中で雪を見かける事はなくなった。
雪は嫌いではない。一面に雪が降り積もった景色は、まさに銀世界。
それはまるで、世の中の汚いものをすべて覆い隠しているかのような、統一された――白。
――直前に銀世界と表現していながら、すぐに白としてしまうのは
「――先輩、ってば!」
その声に、俺はゆっくりと顔を上げる。
「そんなに大きな声で耳元で叫ばなくても聞こえているよ、ゆき」
俺の目の前では、一人の少女が頬を膨らませていた。
――佐々木由紀子、高校一年生。
俺のことを先輩と呼ぶことからわかるように、俺の後輩である。
初めは佐々木と呼んでいたのだが、今ではゆきと呼ぶようになっていた。
それがいつの頃からだったのか、覚えてはいないが。
「聞こえてたんならちゃんと返事をして下さい。先輩は寝てるんだか考え事をしてるんだか、区別がつかないんですから」
そう言って、ますます頬を膨らませる。
ぷんぷん、といった擬音が聞こえてきそうな表情だ。
以前に「小動物みたいだな」と言った時には頬を膨らせたままわき腹をくすぐってきたので、今回は言わない事にしておく。
「……考え事をしていたんだよ。部長らしく、ね」
そう返し、俺は室内を見渡した。
目に映るのは申し訳程度に本が入っている棚に、木製のテーブル。あとはパイプ椅子が五つ。
今俺が座っているものを含め、この部屋――文芸部の部室には、椅子は六つある。
しかし、その主は俺とゆきの二人しか居らず、残る四つの椅子の主は不在であった。
「先輩たちが抜けて、部員は今現在俺とゆきの二名。部として存続させるには、新一年を最低でも三名。それができなければ同好会に格下げ、というわけだ」
「そんなに冷静に言わないで下さいよ……」
俺としては溜息混じりに呟いたつもりだったのだが。どうにも、俺は感情を表現するのが苦手らしい。
これでも、危機感は覚えているつもりだ。
ゆきにはまったく伝わらなかったようだが。
「先輩の書くキャラクターはみんな表情が豊かなのに、どうして先輩自身は朴念仁なんでしょうねー?」
――それを俺に聞いてどうするつもりだ。
というより、それを俺に向かって言うか、普通。
「……何でも思い通りに事が進むのは小説や漫画といった、創作物の中くらいなものだ。
キャラクターにしてみれば、思い通りに進まない事も多々あるのだろうが。
それでも、物語の
幾らでも。際限なく幸せにする事だって出来る。
――それに比べて、現実のなんと不条理な事か。
どれだけ望んでも手に入らないものなんて幾らでもある。むしろ、望んだものがその通り手に入る事の方が少ないだろう。
創作物にハッピーエンドが多いのは、書き手が現実では叶わない夢を書いているからなのではないかと思う。
そして、
だから、そういった創作物が多く産み出され、そしてそれらが売れるのだろう。
――俺はハッピーエンドの小説なんて書かないが。
売れるためのものを書かなければならない、などという事はこの文芸部にはない。
各々が好きなように書き、それを各々が読むだけだった。
「……ゆき?」
いつもであれば、思考が飛躍した俺をゆきが現実に引き戻すのだが、今日に限ってそれがない。
不思議に思い、俺はゆきに呼びかけ、返答がない事を更に不思議に思う。
「ゆき、どうした? 調子でも悪いのか?」
「――現実って、残酷ですよね。小説なら、幾らでもハッピーエンドにする事ができるのに……」
俺の質問には答えず、ゆきはそう独りごちた。
考えていた内容については、俺とさほど変わりがないようで――しかし、ゆきの表情には翳りがあった。
ゆきが入部してから今まで――約一年の付き合いとなるが、こんな表情を見たのは初めてだった。
文化祭でミス・ひまわりに選ばれたその少女の笑顔は、今は見る影がない。
「……何か、あったのか?」
聞いてはみるが、やはりというか返事はない。ゆきは思い詰めた表情のまま、俯いている。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。数秒か、数分か――この部室には時計を置いていないので正確にはわからないが。
お互いに、何も言わず。俺は、ゆきの反応を待った。
そしておもむろに顔を上げたゆきの表情は、しかしいつもと同じものだった。
「――なんて。心配、してくれました?」
「……は?」
くすくすと、笑って。
「たまには、先輩の困った顔を見てみたいなーとか思ってですね。まぁ、あんまり表情は変わってなかったですけど」
いつも通りの、ゆきの笑顔。
それは、本当にいつも通りで――それが却って、今この場では何よりも不自然だった。
しかしその事について何かを言えるわけでもなく、
「……それじゃ、そろそろ帰りましょうか。明日から春休みで部活もありませんけど、私と会えないからって寂しがっちゃダメですよ?」
そんな事を言い放ったゆきの頭を丸めた部誌で軽く叩き、俺たちは部室を後にした。
それから数週間が過ぎ、春休みを終え。
久し振りに部室にやって来た俺を待っていたのは、机の上に置かれたゆきからの手紙だった。
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