第4話 再会

 翌朝。


「舞ちゃんたち、ちょっと遅いねー」


 どうしたんだろうと、寮の玄関先で七菜が心配していると、


「七菜、優里、ごめん! お待たせー!」


 舞と小春が、身支度を終えて揃って現れた。その二人の姿に、七菜と優里が一瞬面食らう。


「……何その気合いの入れよう」


 メイクも服も、まるで今から合コンにでも行くかのような格好に優里が呆れる。実際、いつもスポーティな舞と、カジュアル派の小春のキレイめスカート姿なんて「待ってて未来の彼氏!」と息巻いて出掛けて行く夜にしか七菜たちは見たことがない。


「当ったり前でしょー! 高橋君に紹介してもらうんだから、これが正装!」


 鼻息荒い舞を見て、


「あはは。二人ともかわいー」


 七菜が笑いながら舞と小春、それぞれの頭を撫でた。褒められて満足そうな小春はしかし「いやいや、七菜」と七菜の肩に手を置く。


「優里、は悔しい位言うことないけど、七菜はいいの? いつもと一緒で」


「え、私? 私は別に……。それに、紹介って言われても今日会えるかどうかも分かんないし」


 舞たちは改めて七菜と優里を見比べ、自分たちとの温度差に同時に肩をすくめた。

 それもそのはず、今日もファッション誌からそのまま出て来たようなセンスの良さで、大人びて落ち着いた服装に身を包む優里に対し、柔らかいラインの誰からも愛されるような服装が好きな七菜は、雰囲気どおりとは言え三人と比べると良くも悪くも普通に見える。加えて優里は九頭身という抜群のスタイルだ。


「それって今日は高橋君休みかもってこと? でも来るかもしれないし。後悔したくないし!」


「そうだよ。それより早く行こうよ! 高橋君が待ってるよ!」


 言うなり、七菜たちの手を取り競歩並みのスピードで歩き出す舞と小春は、七菜の服装なんて構っている場合ではないと気付いたようだ。

 強引に手を引かれながら、待ってたのは私たちの方と思いつつ、七菜と優里は苦笑し合うしかなかった。




 四人は講義の始まる十分前に大学の本館にある大講義室に到着した。

 一限目は学部に関係なく選択できる講義で、教育学部の七菜と優里、経済学部の舞と小春、四人ともが履修している。


「よしっ、いざ出陣っ!」


 コンパクトで最終確認を終えた舞が、気合い十分で再び七菜の手を引き室内に入ろうとするのを七菜が軽く拒んだ。と言うより、先程の競歩で完全に息が上がっている七菜は、もう一歩も動けそうになかった。


「舞ちゃん、ちょっと待っ、て……息、がっ」


「そんなの気合いで治す!」


「えぇっ、優里ー」


 横暴な舞の言動を涙目で訴える七菜に、優里は余裕の笑顔を見せてくれる。


「七菜、もうちょっと体力つけよっか?」


 そう言って差し伸べられる優里の手に、上がる息の七菜がそっと笑顔で手を重ねると、優里はさり気なく視線を外した。

 薄く染まる頰は競歩のせい、と優里が自分自身に言い聞かせているようにも見える。


「あっ、ほらー! やっぱいるじゃーん!」


 そんな中、すぐ隣で上がった歓喜の声に七菜と優里が驚いて舞を見る。舞の普段から大きな声が一段と大きい。


「七菜、高橋君いるよ!」


 今度は興奮気味の小春に背中を押されて、七菜が一歩、講義室へと足を踏み入れると、室内はすでに多くの学生でごった返していた。

「うわ、やべ、吉岡さんだ」「今日も美人ー」という男子学生たちの声はいつものことで、優里も含め四人の中で気にする者はいない。


 ——えっ、高橋くんっ?


 一瞬ドキッとして、七菜が室内に視線を走らせた。四月から週一回、一度も休まずこの講義を受けてきたけれど、七菜に蒼一を見かけた記憶は無い。


「えっと……いない、よね?」


「だーかーらー、あそこだってば!」


 ぐるりと端から端まで見渡した七菜に、舞がある一点を指差した。広い講義室のほぼ中央、前寄り。そこには、一際多くの学生が集まっている輪があった。


 ——え、あの中?


 七菜が認識した時、その輪が揺れた。誰かが冗談でも言ったのだろうか。皆が楽しそうに笑い合うと、ふと、小さな間隙が生まれた。


 その途切れた僅かな空間に、彼はいた。


 学生たちの中心で、立ったまま昨日とは違うリラックスした笑みを浮かべる蒼一に、窓から差し込む光が当たる。室内に均等に注ぐ自然光。それなのに。


 そこだけ、特別な輝きを放つ、存在感。


 大勢の中にあってさえ、一等星を思わせる煌めくような透明感は、一度知覚すると何故だろう、七菜にも人を惹きつけて離さない何かが蒼一にはあるように感じた。それは、昨日のことがあったからだろうか。


「七菜は気付いてなかったと思うけど、毎週この時間、高橋も一緒だったよ?」


 優しく教えてくれる優里の声で、七菜がはっとして優里を見る。自分は今、蒼一だけを見ていたのだとそれで気付かされたかのように。


「七菜、ホントに何も知らないんだね。今まで何しに大学来てたのよー」


 呆れながら言う小春の言い分も、もっともかもしれない。

 大学へは聞かれるまでもなく主に勉強しに来ていた。それでもこの約一ヶ月の間、蒼一の存在すら知らずに過ごしていたことに今更ながら七菜は驚く。


「じゃ、七菜、紹介よろしくね!」


「ええっ! 無理だよー!」


 ウィンク混じりの舞たちが再び七菜の背中をぐいぐい押す。昨日の今日で、気軽に舞たちを紹介できる間柄じゃない。そもそも何と言って挨拶すればいいのかも七菜には分からないのに。


「友だちなんて昨日ほんの少し話しただけで、そ、それに……っ」


 ——その半分は、からかわれただけかもしれない告白、だしっ。


 抵抗虚しく蒼一までの距離が徐々に縮まっていく。七菜が全ての事情を知る優里に助けを求めようと後ろを向いた時だった。



「あ、小松崎さん、おはよう」



 と、声を掛けられた。

 その瞬間、一斉に集団の視線が彼が向く先へと向けられる。そう、七菜の方へ。


 ——この声は……。


 まだ記憶に新しい、柔らかく響く声に七菜が前方を見る。

 そこには、昨日と同じように真っ直ぐ七菜を見つめる蒼一がいた。昨日と違うのは、緊張の取れた、優しい笑みを向けられていることだけだろうか。

 蒼一と目が合うと、小さく、七菜の胸が鳴った。


「あ、おは、おはよ、う……」


 しどろもどろに七菜が挨拶を返すと、


「おはよう」


 と、もう一度蒼一が、くすりと笑いながら挨拶してくれた。


 周りからは「えー、誰だれー?」「高橋君の何ー?」とひそひそ声が聞こえる。自分から声を掛けたわけではないのに、七菜は今、注目の的だ。恥ずかしさで、そのまま逃げ出したい気分になる。


 ——こんなの、挨拶するだけでいっぱいで、舞ちゃんたちを紹介なんて無理だよ。


「あ、小松崎さん……」


 下を向く七菜の心情を察したのか蒼一から話し掛けてくれようとした、その時。


「え、小松崎? おー、マジで小松崎じゃん」


 一歩後退りかけた七菜に、蒼一の隣に座っていた悠人が顔を出した。


「松田くん? 松田くんもいたんだ? 全然知らなかったよー!」


 悠人を見つけた七菜がほっとして駆け寄ると、先程ひそひそ話をしていた学生たちも「なんだ松田君の知り合いかー」と納得したようだ。


 蒼一も、今にも泣きそうな顔をしていた七菜の緊張が解けたのを見て、密かに安心する。


「俺もー。つか、蒼一と小松崎って知り合いだったっけ?」


 悠人が意外という顔で蒼一と七菜を見比べると、再び七菜の顔が赤くなった。


「あ、知り合いっていうか……その……」


 七菜が答えに困っていると、


「友だちになったんだよ、昨日。ね、小松崎さん」


 蒼一が笑顔で代わりに答えてくれる。


「そ、そう、です」


 確かに昨日、七菜は蒼一とその約束をし、優里の承認ももらった。ここは肯定する以外ない。


「は? マジで? ははっ、蒼一どんだけ顔広いんだよ。てか、小松崎は何で敬語? ウケるわー」


 可笑しそうに笑う悠人に、七菜は顔を赤らめながらも、先程から思っていたことを口にした。


「でも松田くんすごいねー」


「へ? 何が?」


 悠人がきょとんとして七菜を見る。


「だって……」


 七菜が続けようとした時、それを遮るように今度は可愛らしい声が響いた。


「ねぇ、悠人ぉ、その子誰ー? 悠人とどーゆー関係?」


 可愛らしい声も納得の美少女タイプの学生が一人、悠人の座る椅子に片膝を付き、悠人の首に両腕を絡ませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る