第3話 ”魔女”と呼ばれる格闘少女
見たこともないほど重厚な羽根ペンで、五枚の書類にサインをする。
特待生とは言っても入学の手続きはそれだけで、むしろ終わってからの方がよっぽど忙しかった。
学則の紹介や施設の案内もそこそこに、担任となるタチアナ教師の教室へ。
「あー。みんな聞いて。彼が特待生のセシュナ・ヘヴンリーフ君。今日から私の教室で預かることになりました。早速、
タチアナ教師からの紹介が済むと、心なしか教室の空気が緩んだような気がする。
(……新しい人が来る時はみんな緊張するのかな、やっぱり)
そんな事を考えながら、セシュナは割り当てられた席に腰掛けた。
――セシュナが編入した教養課程は基本的に一人の教師に師事する。三年間の教養課程を終えた後、成績と本人の希望を元に次の進路を決めるのだ。
専門課程に進むか、卒業するか。専門課程に進めるのは一握りの学生であり、最上位のケテル階梯まで辿り着くのは五本の指で数えられるほど。
とはいえ教養課程を卒業した生徒が劣等かといえば、そんなことは無い。新大陸では議員や官僚はもちろん、国防軍の将校や大商人など、いわゆる成功者の多くが教養課程の卒業者である。
自由と平等を標榜し、貴族制も血縁主義も廃した
とは、蒸気船で同室だったお喋り好きの行商人の言葉である。
(嘘かホントか分からないけど……やっぱり授業のレベルはハルーカと全然違う)
共通語の読み書きは当然として、
その上、休憩時間にはクラスメイトから質問攻めにされ――
「セシュナ君ってどこから来たの!? ハルーカ? どこそれ?」
「学園はどうよ、いいトコだろ?」
「新大陸の食べ物はどう? 口に合う?」
「ねえねえ、カノジョとかいるんー?」
「どんな子がタイプ? てかおっぱい派? おしり派?」
「ちょっと何聞いてんのよバカ! サイテー!」
「うるせーな、オトコ同士の話だろ!」
「ワタシは断然尻派」
「きいてねーよ!」
――何をどう答えたのか、よく思い出せない。
(都会って、会話のスピードが早いんだよな……)
ようやく鳴り響く昼休憩の鐘。
ざわざわと散っていくクラスメイトを見届けながら、セシュナは安堵の溜息を漏らした。
「――おつかれセシュナ君。人気者だね!」
彼の机をこんこんと叩いたのは、右隣に座るルチア・トスカニーニ。
くるくるとした紅茶色の髪とよく喋る大きな口が印象的な少女。
「ありがと、ルチアさん。
「どっちかって言うと、セシュナ君の場合は
ルチアが突然頬を赤らめる。
一体どうしたのかと思うが、取り急ぎ、朝から抱えていた疑問をぶつけてみる。
「あのさ、ルチアさん。その
「そこね! 気になるよね? じゃ、とりあえずランチいこうよ! 色々教えてあげるからさー。あ、今日の日替わりはチリビーンズなんだけど、食べたことある?」
セシュナが答えるより早く、ルチアは立ち上がっていた。勢い良くこちらの手を取りながら、
「ほらほら、早く早く早く! いい? 学食の席取りは遊びじゃないよ、戦いだから!」
「えっ、いや、うん、ありがと――ちょっと待ってって!」
すかさず駆け出してしまう。
ほとんど引きずられるようにして、セシュナも走り出した。
東棟二階にあるタチアナ教室から、南棟の学生食堂まで、それ程の距離はなく。
「さあ、こちらがティンクルバニア学園自慢の大食堂でーす!」
ルチアは名所を紹介するガイドのように、満面の笑顔で言い放つ。
伸ばされたその手が示す先には。
「へぇ、ここが――」
生徒が宙を舞っていた。
「――え、人、飛んで――?」
予想外の激しい洗礼。
セシュナは咄嗟に腕を広げて、飛んできた人の身体を受け止める。
後ろに壁がなかったら、一緒に転んでいたかもしれない。
「ちょ、セシュナ君!! ちょっとちょっと、大丈夫!?」
「あいてて……ホントに激しいんだね、席取り競争」
「いや違うよ!? フツー人は飛んでこないよ!?」
セシュナは痛みにむせ返りつつ、抱きかかえた生徒を降ろそうとした。
手のひらに感じるのは、得も言われぬ弾力。
「あーっ、畜生! やったな、この
セシュナの腕の中で、毒づきながら頭を振る少女。
短く切られた栗色の髪が鼻先で揺れる。
微かな石鹸と汗の香り。
「って、何? ちょっとどこ触ってんの、これ! この手。誰!?」
「ごっ、ごめっ、ごめん!」
セシュナは慌ててその身体を解放する。
少女は発条仕掛けのように勢い良く飛び出してから、肩越しに振り返った。ほとんど半眼でこちらを睨みつけて。
「後で金取るからね。変態」
それだけを言い捨てると、悲鳴を上げるスイングドアを弾き、食堂へ。
セシュナはぽかんと口を開けたまま、その後ろ姿を見つめていた。
「何すんのよ、この
「うるせー引っ込んでろ“
食堂から響いてくる罵声の応酬。
廊下にまで伸びていた学生の列は、中を覗き込む野次馬と化していた。
「……喧嘩だよね? こういうのってよくあるの? ルチアさん」
セシュナも野次馬に混ざろうとするが。
「セ、セセセ、セシュナ君! ダメ! やっぱ教室戻ろう! 今すぐ!」
思い切り腕を引っ張られ、危うく転びそうになる。顔を上げると、眼前には青ざめたルチアの顔があった。
「どうしたのルチアさん? トイレ?」
「
まったく訳が分からず、セシュナは首を傾げる。
新たな悲鳴と共に、千切れたスイングドアの一枚が廊下の窓をぶち破った。
「うわ、また来た!」
崩れた人垣の中を転がり出てきたのは、腕章をつけた風紀委員。
やはり柄の悪いファッションで、見事に白目を剥いている。
(……また、カツアゲ失敗したのかな?)
それとも他のトラブルだろうか。
――確かめてみよう。
セシュナはするりとルチアの腕を振り解いて、人垣の切れ目へ入り込む。
「ちょ、待っ、セシュナ君!!」
ルチアの悲鳴を背に、セシュナは半分になったスイングドアを潜り抜けた。
その先には、ティンクルバニア学園が誇る学生食堂があるはず。
「おいオマエ! いい加減にしろ、この筋肉バカ!」
強いて言うなら。
その光景は、人の味を覚えた
目に映る全てのものが破壊されるか逆さまにされるか、あるいはその両方だった。
破れた窓とカーテンには何故か少年少女が何人か引っ掛かっている。ひしゃげた木片は椅子だったのか長机だったのか。飛び散る料理はまるで血のように赤く、床や壁を染め上げていた――確か今日はチリビーンズとかいう料理だったはずだ。
現場に漂うのが血臭ではなく、スパイスの香りなのがせめてもの救いだった。
「だから話し合おうって言ったのにさ、アンタがいきなり
昼食を楽しんでいた学生達は、全員まるで壁に溶け込むかのように――そうすれば巻き込まれずに済むと信じているかのように、遠巻きに事態を眺めていた。
荒れ果てた食堂の中心で睨み合う二人。
「オマエ、ホントマジ、イカれてんの? 先に手ぇ出したのはオマエだろ! なんでトミーとエリックが窓に引っ掛かってんだよ、なんでベンは外までぶっ飛んでったんだよ、えぇ? 自分で足でも滑らしたってのかコラ!」
長い金髪を振り乱して叫んでいるのは、風紀委員のジャン。突き出した掌には、やはり火球が燻っている。
「えー、何言ってんの? 大袈裟すぎるよね、風紀委員ってさ。
少年のように歯を見せて笑っているのは、先程の少女――“
如何にも脱力したように、気安く半身に構えている。
武器を持っているようには見えないが――
(まさか、あの子がやったのか? これだけの人数を、たった一人で?)
果たしてそんなことが出来るのか。
「んだとオマエ……!!」
限界に達したジャンの苛立ちが、燃え盛る炎となって“魔女”へと投げ付けられる。
焼けつく軌跡を描きながら、
“魔女”は緩やかな動きで身を反らし、紅蓮の行く手から逃れる。
そのまま流れるような体重移動で床を蹴ると、五足はあったジャンとの距離が一瞬にして零に。
繰り出された拳は更に速い。
牽制の左から右の掌底を、ジャンが目で見て避けたとはとても思えなかった。
俳優じみたジャンの造作が、怯懦に染まる。
「クソッ、何やってんだオマエら、動けッ」
「うっす!!」
遅れて“魔女”に襲いかかる二人の風紀委員は、それぞれ
(また素手相手に武器持ち出してっ)
“魔女”は竜巻のような転身を見せつつ、
「――吹っ飛べッ」
まるで“魔女”の命令に従ったかのように。
風紀委員の身体が一瞬遅れて、吹き飛んだ。
(なんだ今の――まさか、これも
“魔女”は正に魔法めいた速度で、
「隙だらけなんだよクソ”魔女”ッ!!
後退ったジャンが放つ、激しい振動波。空間に広がる衝撃波は、いかに素早くともかわしようがない。
荒れ狂う力の波が“魔女”と言わず、ガラスが残る窓や折れた長机、椅子、風紀委員、その他諸々食堂にある全てを蹂躙する。
観衆達が上げた悲鳴でさえ、うねる大気の前には響きようもない。
「うわっ――あっぶないな、このバカ! 無駄に派手な
叩きのめした風紀委員の身体を盾にしながら、“魔女”が毒づく。
セシュナは飛来するテーブルを床に伏せてやり過ごしながら、考えていた。
(なんか一方的なカツアゲって感じでもないな……この二人、なんで揉めてるんだろ?)
何かを探すつもりで、もう一度食堂を見渡し――
そして気付いた。
ただ一箇所だけ、静寂を保つ場所があることに。
(……あの子!)
いや。
ただ一人だけ、静謐を纏った人物がいることに。
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