彼と僕と彼女

虫塚新一

彼と僕と彼女

「兄さん、泣いて、いるの」

 僕は、僕の部屋の、床の上で寝ている兄を見て聞いた。兄さんと僕は二卵性双生児であった。そのことを知ったのはもうずいぶんと前のことだった。今もそうだが、僕たち兄弟は別々の家庭で暮らしていた。それは、父親が事故で亡くなり、母一人では負担が大きすぎるというので、兄さんの育ての親が兄さんを引き取っていったのだ。それがまだ一歳にも満たない赤子の頃のこと。そして小学三年生の夏、僕たちは自分たちの出生のことを知った。その時点では親にはばらさず、祖母にだけ事情を聞いて、今後どうするか考えながら、時だけが過ぎていった。

 高校生になってすぐに、双方の両親に自分達が気づいていたことを知らせ、そして今日、運の悪いことに兄さんの義理の妹と弟に真実を知られてしまい、兄さんは育ての両親のいる懐かしき家を追い出され、僕たちの家に来た。そして、兄さんと僕は同じ部屋で寝ることとなった。

「泣いてない」

 布団を頭からかぶって顔を横に向けた兄さんが、震える声で言った。育った家から荷物を持ち出したときも、夕食の時もいつものように明るく話をしていた兄さんだったが、今、兄さんは明らかに泣いていた。こないだ、育ての両親には恩返ししたいからまだ残っていたいと言っていた、だから本当は不本意なはずだった。嘘だとバレバレなのにそれでも兄さんは「泣いていない」と言った。

 僕は、自分の寝ていたベットから抜け出して、兄さんの布団の中に潜り込んで、兄さんの背中越しに抱きしめた。兄さんは始め震えていた体を、膠着させたように固まらせたが、すぐに緊張が解けて身をゆだねるかのように、僕が回した腕をつかんで、静かに泣き続けた。そのとき、僕は自分の気持ちに改めて気づいた。

 僕は、兄さんのことが好きなのだと。それは、愛しているのだと言ってもいいのかもしれない。

 僕にとって兄さんは、兄である前に親友であり、僕にはないものをたくさん持っている憧れの人でもあった。

 僕にとって世の中のことは全て偶像の世界だった。僕には生まれたときから父がいないのに、周りの子供たちには父がいて、いつも笑顔でいつも親に甘えている周囲への嫉妬だったのかもしれなかった。とにかく、僕は周囲から遠ざかりたかった。だから幼い頃から本を読んでいた。本を読んでいるときだけは、僕は僕ではなくなり、真実の世界で生きていられる、そう思い感じていた。

 そんな僕を引きずり出し、本当の真実の世界に引き戻したのが兄さんだった。僕は始め、ひどい男だと思っていた。しかし、兄さんはいつでもそばにいて僕をいろんな世界に導いてくれた。それは、実際には小さな小さな世界、町内の中での話だったが、僕には何もかも新鮮に見えていた。いや、存在を知らなかったとかそう言う話ではなく、いろんな見方ができるんだと言うことだった。

 それから二年と経たないうちに、僕も兄さんも衝撃の真実を知ってしまった。そのショックから僕はまた本の世界に引きこもろうとしていた。そんな僕をまた救ったのが兄さんだった。他人の家の子供になった兄さんが一番つらいはずなのに、僕のことを大事にしてくれた。その頃には僕はもう、兄さんのことを好きになっていたのだと思う。僕には兄さんほどの行動力も、明るさもなかったし、運動もできなかった。ましてや周りの人を助けようとするその心なんて、僕自身には全くなかった。助けを求められればなんとかしょうとはしていただろうが、自分から困ってる人を見かけたら率先していくことなどできなかった。自分にできることなんてないと思うからだった。だけど、兄さんは違っていた。おまけに背も高くてハンサムで、時々プロポーズされるのも当たり前だった。全学年集合とかの時には、いつも最前列の僕とはえらい違いだった。だから、いっとき自分なんかが兄さんのそばにいていいのか兄さんに聞いたことがあった。すると兄さんは少し怒ったような口調になって、

「馬鹿なこと言ってんじゃないぞ」

 と言った。僕はすごく嬉しかったのを今でも覚えている。

 僕は兄さんに対する自分の想いに気づいて、なお一層兄さんの体をきつく抱いた。そして兄さんの背中に顔をうずめた。兄さんが優しく僕の名前をささやきかけたが、僕はそのまま寝たふりをしていた。


 ただ一度だけのつもりだった。ただ一度だけまた兄さんと一緒に寝たいと思いながら、その後もちょくちょく兄さんと僕は一緒に寝ていた。兄さんが育ての家に戻り、五年ぐらいが経って、僕たちが大学生になってもそれは続いていた。いやむしろ、大学生になった僕が、大学のある神戸で一人暮らしをしだしてからは、抱き合うだけでは飽き足らず、裸の兄さんと裸の僕は一体となっていた。筋肉質の兄さんの体に触れてなで回すと、気持ちよさげに兄さんはあえいだ。僕も同じようにさすられてあえいだ。きっと普通の感覚で言うと、僕たちはおかしいのだろう。同性でありながら、おまけに実の兄弟なのに、まるで男と女がやっているような、甘美なひとときを僕たちは行っていた。もちろん僕も兄さんも異性を愛情の対象としていた。けど、それとこれとは話が別であった。今日も僕は兄さんの胸に顔をうずめて、恍惚となった。


 ある夏休み、僕と兄さんは本当の家に帰っていた。そこで兄さんは夕食時に突然告げた。

「実は、彼女ができたから、その、明日会ってもらいたいんだ」

 僕は思わず箸を落としてしまった。母さんは満面の笑みで喜び、亡くなった父さんの写真と位牌に報告しに行った。義理の妹が、兄さんに声をかけた。

「本当なのそれ」

「ああ、明日来る」

「あれ、和也兄ちゃんは?」

「は?」

 僕も兄さんも同時に反応していた。

「私何年か前に見ちゃったのよね、二人のプレイ」

 兄さんは顔を真っ赤にさせて立ち上がり妹を凝視した。僕も立ち上がって妹を見た。顔がほてっていたので、きっと僕の顔も真っ赤だったのだろう。

「心配しなくても母さんには言ってないわよ。母さんのいないときに父さんには報告したけど」

 僕も兄さんも大きくため息を吐きながら椅子に座った。昔からこいつはドキッとすることをよく言うやつだったが、今日のはさすがに心臓が飛び出るかと思った。兄さんも僕も額の汗を拭った。

「で、和也兄ちゃんはいいのそれで」

「いいも何も、別に兄さんが誰を好きになろうとかまわないさ。それに、本来はそうなるべき事だろ」

「まぁ、実の兄弟だしねぇ。私は二人がそれで納得しているなら別にいいんだけどね」

 そう言ってリビングから隣の台所へと引っ込んでいった。僕と兄さんは何も言わずに二階の僕の部屋へと向かった。


「まさかあいつに知られていたなんてな」

 部屋に入って布団を敷いてから兄さんはそうつぶやいた。僕は小さく「うん」と言うだけで、ベットに寝転がった。多分僕は兄さんのいう彼女に嫉妬している。だから、兄さんの話も上の空で聞いていたし、返事も適当だった。すると、兄さんが僕が寝るベットのそばに来て、座って語りかけてきた。

「怒らないで聞いてほしいんだけどさ、実は和也を初めて見たとき、和也のこと女の子だと思ってしまったんだ」

 怒るつもりはなかった。昔の僕は今よりずっと肌が白かったし、髪の毛は肩の辺りまであったし、時々いたずらで母さんの口紅を口に塗っていたこともあったし、女の子に間違われても仕方がなかった。近所のおじさんやおばあちゃんもよく言っていた、女の子として生まれてくればよかったのにねと。

「あの頃の和也はすっげーかわいくて、俺、その、」

 急に兄さんの言葉が歯切れ悪くなった。兄さんは僕に背中を向けて床に座り込み頭をかいて、意を決したように語った。

「初恋だったんだ、和也が」

 さすがの僕も驚いて思わずベットの上に座って兄さんを見た。兄さんは背中を向けたまま話を続けた。

「本当いうと、さっきの彼女っていうのもな、ずっと悩んでいたんだ。この一年」

 一年といえば、僕が借りてるアパートで一緒に寝ていた日々も入っている一年であることは、確認しなくてもわかった。と言うか、耳を疑った。

「でもさ、その子すごくいい子でさ、なんだろう、和也とは違った意味でのほっとけなさがあるんだ」

 兄さんのいいところでもあり悪いところでもある、ほっとけない癖だった。

「俺のないものを彼女は持っていた。身体的特徴とかじゃないぜ。なんていうか、気持ちというか、なんというか」

 兄さんも僕と同じだった。僕と同じ理由で相手を愛していた。

「俺、和也といるとすごく安らぐ。とても心安らぐんだ。それと同じ事が彼女にもあるんだ。どっちが一番とか決められないけど、とにかく俺は、彼女のことも愛してしまったんだ」

 僕は平静を装ってただ無言で兄さんを見つめていた。だけど、心臓はさっきから激しく脈打っているのがわかった。ひどく胸をかきむしりたい気持ちになった。こんな気持ちは初めてのことだった。僕にこんな人間らしい負の感情がわくとは思わなかった。

 僕は確かに兄さんのおかげで表の世界に出た。けど、表面的には変わって見せていても、中身は全く変わっていなかった。兄さん以外の人間は全て幻かのようにしか見えていなかった。だから、いつも僕は他の人の名前を呼ぶときには、「○○君」と、君付けでしか言わなかった。兄さんにも誰にもこんな気持ちは気づかれていないと思う。

「俺、明日彼女に和也のことをちゃんと紹介しょうと思うんだ」

 突然の兄さんの言葉に僕は思わずキョトンとしてしまった。兄さんは振り返って話した。

「俺、もう周りを欺くとか、だますのが嫌なんだ。自分の気持ちを隠すのは嫌なんだ。だから、母さんたちの前で彼女に話す、俺が和也のことを愛してるって」

「な、何言ってるのさ、そんなことしたら、」

「ああ、きっと嫌われるだろうな。けど、それならそれでもいいんだ。和也のことを愛している自分のことも含めて愛してもらいたいから」

「それってただのわがままなんじゃ」

「そうかもしれない。けど、俺は誰が一番とか決められない。だってそうだろ、俺はずっと血の繋がらない、偽物の家族の中にいた。あのときから俺はずっと、ずっと自分の一番なんて決められなかった。決めてはいけないと思っていたから。それは今でも変わらない。だから俺はあの家を出るのが嫌だったけど、ここの家のことも好きだった」

 ああ、この人は宙ぶらりんだったんだ。血の繋がらない人たちの中にいて、どうしたらいいかわからないから、とにかく周りが喜ぶことをしていただけだったんだ。だから、いつか別れるときが来たときに相手が寂しがらないようにと、義理の妹と弟に意地悪をしていた。そうして自分の進むべき道を自分でなんとか作り上げようとしていたんだ。ようやく兄さんの本当の本心が見えた気がした。やっぱり僕は兄さんが愛おしい。それと同時に、兄さんには幸せになってほしい。いつしか僕の心臓の鼓動は収まっていた。

「兄さん、僕は応援するよ。本当言うとその彼女に妬いちゃったけど、兄さんが幸せになれるのならそれでいい。それにやっぱり僕たち同性なうえ兄弟だし、」

 僕が最後まで言う前に、兄さんは僕を押し倒し、僕の唇にその口を当てた。いつもとは違う、悲しみもこもった、しかし至福の抱擁だった。いつしか僕は目をつぶり、兄さんのされるがままになり、恍惚となってあえいだ。どうせ明日には母にもばらすのだ、思いっきりもだえよう、今夜だけは……


 次の日、兄さんの彼女がやってきた。一人の女性と共に。すったもんだの末に後にその女性と僕が結ばれ、兄さんとその彼女も結ばれた。しかし、僕たち二人は、嫁に内緒で二人だけでアパートの一室を借り、月に一夜だけ、寝ていた。相変わらず今夜で終わりと自分に言い聞かせながら。

 時々僕は、何度も訪れる、胸をかきむしりたくなるような感情が芽生えては無理矢理押し込んでいる自分自身を怖く思っていた。僕はいつの日かもしかしたら兄さんを・・・


              完

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