第四章 洞窟の夢3
宿に入り、一度部屋へと落ち着くと、ユヒトは慣れない旅の疲れからか、すぐにベッドの上で、うとうととうたた寝をし始めた。
そこで、ユヒトは思いがけない夢を見ていた。
そこは暗く不気味な場所だった。
周囲には黒い岩肌の岸壁がそびえ立ち、その谷底のような場所の奥にはさらに暗い洞窟が口を開けていた。
ユヒトは怖くて仕方なかったが、どうしてもそこに行かなければならなかった。
その奥に大事なものがある。自分はそれを手に入れなければならない。
それがなんなのかはユヒト自身わかってはいなかったが、とにかく洞窟の中へとユヒトは入っていかなければならなかった。
恐ろしい。どうしようもなく恐ろしい。
洞窟へ一歩足を踏み入れただけで、ユヒトは恐怖で身が縮み、足がすくんだ。
絡みつくような暗闇。圧迫されそうな重圧感。
洞窟の奥にいる何者かに、ユヒトは怯えていた。
この奥に進んではいけない。これ以上足を踏み入れてはいけない。
ユヒトは全身でそれを感じ取っていた。
けれども、なぜだかそこから引き返すことはできなかった。
危険であることは承知で、それでもユヒトには奥へと進まなくてはならない理由があった。
奥へ奥へと歩みを進めていくと、ふいに人の声のようなものが聞こえてきた。それはその洞窟の、ずっと奥のほうから響いているようだった。
誰だ。
そこにいるのは誰だ。
ユヒトはたまらない焦燥を感じ、奥へと進む足を速めた。
この声の持ち主に会わなければならない。絶対にそうしなければならない。
でなければ、一生後悔するだろう。
なぜだかユヒトはそう思っていた。
そして、再びその声がユヒトの耳に響いてきたと思ったところで、頭の上のほうから別の声が響いてきた。
「……ヒト。ユヒト!」
ユヒトが目を覚ますと、目の前でギムレがユヒトの名前を呼んでいた。
「起きろ。食事の用意ができたそうだぞ」
ユヒトは一瞬自分がどこにいるのか理解できず、ぼうっとそれを聞いていた。
「おい。ユヒト。大丈夫か?」
もう一度声をかけられて、ようやくユヒトはベッドから身を起こした。周囲を見渡すと、夕暮れに染まった部屋には、今はユヒトとギムレの二人しかいなかった。
「……ああ。すみません。少しぼうっとしてしまいました」
ユヒトは先程の夢の強烈な印象に、まだ自分の精神が引きずられていることを自覚していた。暗い闇の中、ユヒトはなにか大事なものを見つけようとしていた。それがなんなのかはわからない。けれどもそれは、どうしようもなくユヒトの心を揺さぶるものだった。
「なんだかちょっとうなされているようだったけど、よくない夢でも見ていたのか?」
「いえ。よくないというか、少し恐ろしい夢で……。でも、なにか重要な意味のあるもののようにも思える……そんな夢を見ていました」
「重要な意味のある? もしかしてまた風の竜が夢に現れたのか?」
「いえ。そういうのではないんです。それに、なにがどう重要かというのも、実は僕自身わからなかったりするんですけど」
ユヒトが言うと、ギムレは少し困ったように耳の後ろを掻いた。
「そうか。まあ、ユヒトがわからないんじゃ、俺がその夢の話を聞いたところでなんにもわからないだろうな。とりあえずそれはそれとして、まずはメシにしようや。エディールたちは先に食堂のほうに行ってる。俺たちもそっちに行くとしよう」
ギムレの言葉に従って食堂のほうへと向かうと、エディールがひとつのテーブルについて、そこで宿屋の娘となにやら談笑していた。その足元ではルーフェンが皿に入ったミルクを飲んでいる。
「おい。エディール。また性懲りもなく若い娘を口説いているのか。いい加減にしろ」
ギムレがそう後ろから声をかけると、エディールは思い切り眉をしかめたまま振り向いた。
「性懲りもなくとは失敬な。これは美しい女性に対する礼儀だ。それに温かい食事を用意してくれた彼女にお礼を言うことは当然のことではないかな?」
「それは礼儀として当然のことだが、お前のそれは少々行き過ぎだ。いいか。この旅は神聖なものなんだぞ。仮にもセレイアへの使者が、お前のように浮ついていてはどうしようもない。もうちっと真面目にだな」
「それとこれとは話が別だ。なにも使者としての自覚をわたしが忘れたわけではない。だが、いちいち女性と少し話をしたくらいで浮ついているなどと言われては、旅がままならんではないか。というかギムレ。女性とまともに話もできない自分のことで、ひがんでいるのじゃないか?」
エディールの挑発に、ギムレはまんまとひっかかった。顔をみるみる紅潮させ、髭を逆立てている。
「な……っ! ひがんでなど、誰が! お、俺だって女と話くらいっ」
ギムレとエディールの口喧嘩に恐れを感じたのか、宿の娘はそそくさとすでにその場を去っていた。ルーフェンは悠然とミルクを飲み終え、知らんぷりである。
この状況に、ユヒトは深いため息をついた。
「ギムレさん! エディールさん! 他にもお客さんがいらっしゃるんですから、ここでの言い争いはもうやめましょう。それに、せっかくの食事が冷めてしまいますよ」
ユヒトの取りなしに、ギムレとエディールはまだ憤懣やるかたない様子ではあったが、とりあえず席に着いた。ユヒトも残った席に座った。テーブルの上には豪華とはいえないながらも、なかなかのご馳走が並んでいる。少なくとも、旅に出てからこうしてきちんと食卓で食事をするのは初めてのことだ。二人の喧嘩でこの食事を台無しにするわけにはいかない。
「さあ、食べましょう。僕もうお腹ぺこぺこなんですよ。早く食べないと、僕が全部この料理食べちゃいますからね!」
ユヒトはそう言って、目の前の皿に盛られていたふかした芋にフォークを刺した。そしてそれを口いっぱいに頬張ってもぐもぐと食べた。それを見ていたギムレやエディールも、我慢できなくなったように食事に手を伸ばす。そして、みな久しぶりのおいしい食事に舌鼓を打っていた。
「おいしい!」
「いい味付けだ」
「これは食欲が止まらんな!」
ギムレやエディールは食事とともに酒も注文し、テーブルは一気に賑やかな宴のようになった。テーブルの下にいるルーフェンも楽しそうに尾っぽを振っている。
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