第三章 白い友人5
しばらく待っていると、向こうのほうから一人の男がこちらに近づいてくるのが見えた。その男はユヒトたちの存在に気づくと、慌てたように走ってきた。
「なんだお前たちは! 俺の家になんの用だ!」
その男は見るからに焦っていた。そしてこちらが口を開こうとする前に、家の扉の前に立ち、そこを護るように立ち塞がった。
「あれは俺のものだ。誰にも渡さん!」
男は警戒心に満ちた表情で、ユヒトたちを見渡した。ギムレがなにか言いたそうにしていたが、エディールがそれをうまく押さえていてくれた。
ユヒトは男の剥き出しの敵意に驚いたが、あくまでも落ち着いて話しかけた。
「あの、すみません。あなたがここに住むハルゲンさんというかたですか?」
「そうだが」
「突然こんなふうに押しかけてしまって、不審に思われるのも無理はないと思います。でも、僕たちは怪しいものじゃありません。ちょっと話を聞いてもらえませんか?」
「話? どうせお前らもあの獣が欲しいとか言いにきたんだろう。だけど、そんな話は簡単には聞けん。あれには相当の価値がある。見るものが見れば、それはわかるはずだ。あれはきっと金持ちに売ればいい金になる。俺は今、この村に来る行商人にそういう金持ちを紹介してもらっているんだ。それを横からきたお前らのようなこそ泥に奪われるわけにはいかん。とっととここから立ち去るがいい」
それを聞いたギムレが、とうとう黙ってはいられなくなった様子で声を発した。
「おい! 先程から黙って聞いておれば勝手なことを言いおって! 俺たちがこそ泥とはとんだいいがかりじゃないか。まだちゃんと話もしとらんうちから喧嘩腰とは気に食わん。そちらがその気なら、こちらも……」
「ギムレさん!」
「ギムレ!」
ユヒトとエディールが慌てて興奮するギムレの体を押さえた。しかし時すでに遅く、ハルゲンはギムレの言葉にますます警戒心をあらわにしてしまったようだった。
「やはり怪しいな。……まさか……」
ハルゲンははっとしたように、後ろを振り向き、扉を開けて家の中に入っていった。そして、ほっとしたようにこんな声が聞こえてきた。「よかった。ここにいたか……」
ユヒトは家の入り口へと近づいていった。そして、そこにいるハルゲンの後ろ姿とルーフェンとを見つめた。
ルーフェンは、ハルゲンに対し、あきらかに警戒心を表していた。そしてそれは、ハルゲンがルーフェンに近づけば近づくほどに強さを増していった。ルーフェンは毛を盛大に逆立たせ、大きく牙を剥きだしていた。その威嚇は先程のギムレやエディールに対するものよりも酷く、ルーフェンがいかにこの男を嫌っているかということがよくわかった。
ユヒトはそんなルーフェンを落ち着かせようと、家の中に入り、すっとそちらのほうへ近づいていった。
「お、おい! お前、勝手にそいつに近づくんじゃない!」
ハルゲンがそんなことを口にしていたが、ユヒトは構わずルーフェンの元へと近づき、その背をゆっくりと撫で始めた。すると波がひくように、ルーフェンは、剥いていた牙をおさめ、漲らせていた殺気をすっかり体の中へと戻していった。代わりに、ユヒトに対して従順そうに頭をさげている。
「な……っ」
ハルゲンはその様子に驚きを隠せないようだった。
「お前、どうやって……。なにかしたのか……?」
「なにも特別なことはしていませんよ。ただこうして背を撫でただけです」
「嘘だ。そいつは凶暴で、まるで人に懐こうとしない。ひと月近くも俺はそいつと暮らしてきたが、懐くどころかどんどん凶暴さを増していった。それが、今会ったばかりのお前にこんなふうに従順になるなんて、なにか不思議な術でも使ったとしか思えない」
信じられないものでも見るようにそう口にするハルゲンに、ユヒトは静かに首を振った。
「それは、彼があなたのことを信用できないでいるからに他なりません。あなたは先程彼を金に換えようと話されていましたね。そんな人をどうして好きになんてなれるでしょう。獣でも人でも心は同じ。ルーフェンがあなたに心を開かなかったのは当然です」
「心だって……? お前にはそいつの心がわかるとでも言うつもりか?」
ハルゲンがそう言うと、ユヒトは立ちあがって彼と正面から対峙した。
「僕には彼の心の声が聞こえます。あなたに対して強い敵意を抱いている。僕はあなたにこれ以上ルーフェンを預けておきたくはありません。この場でルーフェンを解放してもらうことをあなたに要求します」
ユヒトのその力強い物言いに、ハルゲンは少したじろいだ。しかしすぐに気を取り直し、ユヒトの顔を睨みつけてきた。
「さっきから聞いていれば、随分好き勝手なことを。だったら取引だ。こっちの言い値の金を用意しろ。それ以外には断じて要求には応じん。そいつは俺のものだ!」
「ってめえ! いい加減に……っ」
「わかりました」
家の入り口付近に立っていたギムレがハルゲンに掴みかかろうとしているのをよそに、ユヒトは平然とした口調でそう言った。
「お、おいユヒト! こんなやつの要求なんて聞くことなんかない。どうせ、法外な額の金を要求してくるはずだ。こちらに用意できるわけがないと足元を見てやがるんだ」
「ギムレ。落ち着け。ユヒトにはなにか考えがあるのかもしれない」
エディールがギムレの肩に手を置いて、激高するギムレをなだめた。
「おい。今お前、取引に応じると言ったな。俺はこの獣に相当の価値があると踏んでいる。それは、この村全体で稼いでいる額よりも何倍もの価値だ。お前にそれが支払えるというのか?」
ハルゲンはユヒトを挑発するような口調で言った。まるきりユヒトの言葉を信用していないといった様子だ。しかしユヒトは動じることなく、彼に向かい合っていた。
「ええ。それはあなたの言うとおりだと思います。この白い獣にはものすごい価値がある。それは、そこらのものでははかることすらできない価値です」
「そうだろう。そうだろう。だからその価値に見合うだけの金を用意しろと俺は要求している」
「ええ。ですが、僕はそれをお金では用意することはできません」
「なんだと?」
「お金の代わりに、それよりももっと価値のあるものをあなたに支払うことができます」
それを聞き、男の目がきらりと光った。
「ほう。おもしろい。金よりも価値のあるもの? それは宝石かなにかか? へたなごまかしで俺をたぶらかすつもりなら、もうこの取引もなかったことにするからな」
そんな男の脅しにもめげず、ユヒトは不敵に笑みまで浮かべていた。
「ごまかすなんてしませんよ。しかし、それをあなたにお渡しするには、まず先にこの白い獣を解放してもらわねばなりません。そうすれば、僕はあなたにそれを渡すことを約束しましょう」
ユヒトの言葉にハルゲンはしばらく考えていた。やがて決心がついたのか一人でうなずき、ユヒトの顔を見た。
「いいだろう。お前の言葉、信用してやる。だが、もしそれが嘘だったときは、お前たちを強盗とみなし、この剣で成敗してやろう」
ハルゲンはそう言って、腰に吊していた剣に手をやった。
「な……っ。貴様!」
ギムレが憤慨した様子を見せたが、ユヒトはそれを制するように首を横に振った。
「そうだな。どうにもそいつは危険だ。まずこの獣を解放する前に、そいつともう一人は外に出ていってもらおう。ここにはお前と俺だけが残るんだ。それと、武器も置いていってもらおうか」
ハルゲンの言葉にギムレが再び目を怒らせていたが、ユヒトとエディールが素直にそれに従う様子を見て、ギムレもしぶしぶハルゲンの言うことを聞いて外へと出ていった。
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