公判
初公判が目前にせまっていた。前日になって、二人の弁護士がそろって拘置所に訪れた。
「いいニュースと悪いニュースがあるんです」先に鷺沼が口を開いた。
「いいニュースですが、北陸ニッソの今社長から上申書が出ましたよ。犬咬市から運んだ硫酸ピッチは、まだ許可があるうちに全部処理が終わっていて、現場に残っていないという内容です。これは大きいですよ。県警の調書の信憑性がなくなりますからね。現物がないんじゃ、事件性も疑わしくなりますよ」
「確かにいいニュースですね」
「悪いほうのニュースは、新潟県が行政代執行を決めました。しかも、犬咬市に撤去費用の負担を求めるそうです」
「それも今や僕の責任にされてるんですか」
「そこまでは産対課だって言ってないですが。伊刈さんを応援している職員だっていますよ」
「いいですよ、スケープゴート(生贄の山羊)にされてるってはっきり言ってください」
「今社長の上申書の効果に期待しましょう。社長の証人申請もしましたよ。光が見えてきたと思いますよ」鷺沼が締めくくった。
翌日から、公判が始まった。
さっそく、北陸ニッソの今社長の上申書が証拠として提出された。そこには犬咬市から搬入されたドラム缶は処理済みであり、現場にはもうないと書かれていた。無許可収集運搬幇助という容疑事実とは無関係だが、検察側証拠として提出された新潟県の内部資料ではドラム缶が現場にあると書かれていたので、今社長自らがそれを否認したことは、新潟県の証拠の信ぴょう性を揺るがせ、伊刈にとって有利な情状になった。
さらに鷺沼弁護士は、犬咬市が撤去した当時、北陸ニッソには処理能力があったのに、新潟県が作業休止指導をしていたため、ドラム缶が未処理で放置されることになったことを明らかにした。
一方、県職労顧問の辻弁護士は、新潟県への撤去を最終的に決定する権原があったのは市だけではなく、県にも権限があったことを力説した。
さらに、硫酸ピッチの撤去指導を主導したのは犬咬市ではなく県庁なのに、新潟県警は県庁の幹部職員を一人も事情聴取していないと指摘し、本省と県がグルになって伊刈を陥れた事件であり、伊刈が撤去指導を主導したという証拠はすべて捏造だと、県が作成した議事録を証拠提出した上で反論した。辻弁護士の反論は、裁判長に対してかなりの訴求力を持っていた。
公判は二週間続いたが、二人の有能な弁護士のおかげで、伊刈は無罪判決を受けて釈放され、起訴休職を解かれた。それでも誰もが伊刈は四面楚歌になった役所を辞めるだろうと思っていた。
未決拘留されているうちに、県議会と市議会が、新潟県の行政代執行費用の一部を負担する予算を承認していたことも、伊刈の立場を危うくしていた。否認を続けているために保釈が取れなかった伊刈は、議会で汚名を晴らす機会を与えられなかった。
起訴休職と同時に出向辞令が解かれていたため、役所に戻るとすれば県庁だったが、所属は決まっていなかった。裁判では無罪となっても、県庁に戻ればA級戦犯であり、出先事務所の閑職に追いやられることは必至だった。
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