取調室

 いよいよ容疑が固まったのか、伊刈本人が新潟県警から取調べを受けることになった。不法投棄の闇の構造について出版した本が話題を集め、全国最強の産廃Gメンとして令名を馳せていた伊刈が、よりによって無許可業者の共犯として刑事責任を問われることになろうとは、まさに絶頂からの急転直下の転落に等しかった。

 新潟県警から六人もの捜査員がやってきて、伊刈と彼の同僚をいっせいに取調べる本格的な捜査だった。外堀はもう埋められており、満を持しての捜査なのだから黙秘しても逮捕状は出るだろう。検事との対決こそが決戦で、明日からの刑事の取調べは前哨戦に過ぎないと伊刈は覚悟した。

 伊刈は県警中央署に翌朝一番に出頭するようにと産対課長からじきじきに指示された。なんらのねぎらいの言葉もなかった。二度までも組織から切り捨てられることになった伊刈だが、今回は絶体絶命だった。

 中央署に出頭した伊刈は二階の取調室に案内された。刑事ドラマに出てくるシーンさながらの小さな窓がついた狭苦しい部屋だった。取調を担当したのは新潟県警の生活安全特捜係長、三浦警部補だった。

 「皐月運輸の無許可収集運搬業幇助の容疑者として取り調べます。参考人ではないので、黙秘権があります。新潟地検の検事からの指示で取り調べることになりました」三浦が宣言した。

 「黙秘はしません。すべてありのままに述べるつもりです」伊刈は落ち着いていた。

 「マツダエンジニアリングの硫酸ピッチが保管されている倉庫をどうして知ったのですか」

 最初から本題の尋問だった。生い立ちなどのいわゆる世間話ではなかった。これなら切り抜けられるかもしれないと、伊刈は一瞬甘い見込みを持ったが、すぐに打ち消した。

 「十一月ころ、ソウル交易からの通報で知りました。その後、県警からも情報を得ました」

 「この事件を主として担当していたのは誰ですか」

 「県警と連携して対応する現場については、県警からの出向職員が担当していました」

 「撤去指導もしていたのですか」

 「県警が事件として捜査するかどうか検討中と聞いておりましたので、撤去をさせてよいのか県警に確認していました」

 「その後どのような指導をしましたか」

 「一月になって県警が強制捜査に着手することになり、私も参加し、検体採取を手伝いました」

 「三月に八鹿市で開催された会議に出席していますか」

 「この会議は県庁が古森を呼び出して、硫酸ピッチの撤去の方針について指導するために開催したものです。当初、私には連絡がありませんでした。しかし当日になって会議があると偶然に聞いたので、私からの申し出て出席させてもらうことにしました」

 「なにか問題になったことはないですか」

 「撤去先の北陸ニッソの許可証が普通の廃酸のものしか提出されていないことが問題となりました。古森の説明では特管の許可はあるということでした。市庁に帰ってから部下の喜多がインターネットで調べたところ特管の許可があることが確認できました」

 「北陸ニッソへの運搬は誰がやるという説明があったのですか」

 「会議では会社名は明らかにされませんでした。その後、米田運倉が自社運搬でやると説明を受けたので、既に撤去を終えていた白浜運送と同じようにやるのだと思いました」

 「北陸ニッソの処理能力を確認する必要は感じなかったのですか」

 「特管処分業の許可、管理型処分場の許可などを有している新潟県有数の業者だと思いましたので、確認の必要は感じませんでした。新潟県で指導している業者だとは知りませんでした」

 「誰が撤去に立ち会ったのですか」

 「一回目の撤去は事業者からの連絡が遅れたため担当者が現場に行ったときは撤去が終わっていて間に合いませんでした。二回目の撤去は土曜日でしたが、私と喜多が立ち会いました。ただし私は少し現場への到着が遅れて、既に積み込みが終わって車が出る直前でした。三回目以降は、私は多忙で立ち会えず、喜多と県警からの出向職員が立ち会いました。

 「二回目の撤去の際に喜多が皐月運輸の運転手に収集運搬業の許可があるかと聞いたことは知っていますか」

 「知っていますが、皐月運輸の車を借りただけだと思ったので、問題視しませんでした。ドライバーがマニフェストを持っていなかったので、後日FAXするように喜多に指導させました」

 「提出されたマニフェストで運搬業者が北陸ニッソになっていることについて疑問に思わなかったのですか」

 「運搬業者は米田運倉だと思っていたので、便宜的に北陸ニッソのスタンプを押したのだと思いました」

 「虚偽記載かどうか確認する必要があると考えなかったのですか」

 「自主撤去で提出されるマニフェストは不備なことが多いので、問題だとは思いませんでした」

 「マニフェストの記載内容に不備があっても、いつも問題視しないのですか」

 「記載内容に疑いがあれば確認しています。今回は自社運搬だと信じており、マニフェスト作成の法的義務はないので、確認の必要はないと思いました」

 「マニフェストで運搬業者が北陸ニッソとなっており、実際に来ているのが新潟ナンバーの皐月運輸の車であれば、おかしいと思うのが普通ではないですか」

 「いま、事実がすべてわかっている人からすれば、北陸ニッソが収集運搬を受託し、皐月運輸に再委託したことが明らかな証拠だと見えるでしょうが、現場で立ち会っている者は自社運搬だと思っているし、断片的な知識しかなく、疑いの目で見なければ不正には気付かないと思います」

 取調べは予想以上に本格的なもので、時間を追うごとに厳しくなっていったが、伊刈は最後まで冷静さを失わなかった。まさにドラマさながらの容疑者扱いだった。こんな本格的な取調べを受けることはもちろん初体験だったが、伊刈は崩される隙を見せなかった。裏世界と渡り合ってきたことで、物に動じない度胸がついていた。取り調べた三浦警部補も伊刈の覚悟を感じ取った。

 中央署での取調べは終日続いた。

 「あなたが、三回目以降も現場に立ち会っていれば皐月運輸の不正を発見することができたと思いますか」

 「仮定の話ですが発見できたかもしれません。不正を発見することができればすぐに中止させました」

 「現場に立ち会った担当者からなにか疑問点が提出されましたか」

 「喜多から北陸ニッソで適正に処分されているか新潟県まで確認に行きたいと進言がありました。旅費の予算がないのですぐに行かなくてよいと言いました。予算が取れて行くことになれば喜多を行かせようと思っていました」

 「北陸ニッソの処理能力について新潟県に確認していない点、皐月運輸の車を見て米田運倉の車でない理由を確認していない点、マニフェストで収集運搬が北陸ニッソになっている理由を確認していない点など、きわめてずさんな撤去指導だったと思いますが、どうですか」

 「当時のスタッフの数、業務量などから、最大限の管理はしていたつもりであり、ずさんだったとは思いません」

 「伊刈さんのことに関していえば、業務が忙しくて一度しか現場に立ち会えず、皐月運輸の不正を発見できなかったということですか」

 「白浜運送の撤去がうまくいったので、同じようにやってくれれば問題ないと信用してしまったのが、私にとってはいちばん悔しい点です。実際には白浜運送のときとは全く違ったやり方になっていたのですが、これについては、事業者からなんら報告がなかったのは、騙されたという心境です」

 「被害者はお金を払った米田運倉のほうではないのですか。北陸ニッソに処理能力があるかどうか、犬咬市で調べて教えてあげるべきではなかったですか」

 「質問の意味がわかりません。犬咬市がどうして加害者になるのですか」

 「実際には皐月運輸の無許可収集運搬の問題よりも、北陸ニッソで硫酸ピッチが処分されることなく堆積されていることが問題なのですが、これはどう思いますか」

 「古森には撤去先の処分場で処理可能な量だけ運搬するように指示していました。北陸ニッソが処理のできない業者だとは思いませんでした」

 「全体として犬咬市のチェックが不十分だったことが、今回の不正の原因だったとは思いませんか」

 「そうは思いません。担当者は問題がないように現場で立ち会っているのであって、不正を見逃すために立ち会っているのではありません。もしも、現場に立ち会った担当者が不正を発見できなかったら幇助罪に問われるということになったら、職員は不法投棄現場の撤去には立ち会えなくなりますし、マニフェストを見て不正を発見できなかった責任を問われるなら、マニフェストも出せと言えなくなります。硫酸ピッチの現場では生命の危険を感じながら仕事をしているのに、百パーセント完璧でないから仕事がずさんであり刑事責任を問うというのでは、私は納得できません」伊刈はいくらか語気を強めた。

 「そこまで言っているのではありません。不正を知っていて見逃したのでなければ刑法違反には問われません。建設工事などでは業者との癒着はよくあることです」

 「不法投棄現場の撤去で職員が業者と癒着してなんの利益があるんですか。公共事業のたとえを持ち出すのはおかしくありませんか。皐月運輸が無許可収集運搬をしていた事実に気付けば、私でもほかの担当者でもただちにやめさせたに違いありません。不正を知っていて見逃したことは絶対にありません」

 「私は新潟県庁に出向していたことがあるので、警察官としては産廃のことには詳しいほうです。新潟県でも撤去してくれるならいいやということで、収集運搬の許可まで問わないことがあります。犬咬市でもそういうことが往々にしてあるのではないですか」

 これは誘導尋問だと伊刈は感じた。

 「犬咬市では撤去だからといって無許可の収集運搬を黙認することはありません。私は無許可の収集運搬を認めたことはありません。他の犬咬市職員も同じです」

 伊刈がきっぱりと否認したので、三浦は誘導尋問が通用しなかったと気付いた。

 「新潟県の事前協議制度について指導しなかったのはどうしてですか」

 「県外廃棄物持込の事前協議制度があることを知りませんでした。条例ができて産廃税が導入されることは知っていましたが、まだ条例は施行されていなかったと承知しています」

 「検事は犬咬市が県ぐるみで無許可収集運搬を黙認し、北陸ニッソが問題のある業者であることを承知で撤去させたと思って捜査しています。とくにあなたは本を書くような優秀な人なので、すべて知っていたのだと思っているのです」

 「皐月運輸が無許可収集運搬をしていることがわかれば必ず中止させました。不正を知っていて黙認することは絶対にありません」

 「わかりました。今日の聴取は終わります。本日の聴取内容を整理し、また他の担当者からの聴取内容と照合し、明日調書化します。中央署に午前九時三十分に来てください」

 「わかりました。今回の事情聴取に際して、事務所で保管している記録などをあらためて確認したわけではないので、記憶違いなどがもしもあれば、明日訂正したいと思います」

 こうして一日目の取調べが終了した。同時に呼び出された同僚の取調べは三十分で済んだのに、伊刈の取調べだけは二日目に及んだ。

 二日目は、実質的な尋問はなく、前日の取調べ内容について調書化したものを再確認し、書名押印を求められただけだった。調書は徹夜で作成し、既に上司の了解も得ていたらしかった。内容に大きな問題はなく、伊刈は署名を拒否しなかった。

 伊刈の調書の作成という大役を滞りなく終えた三浦警部補はようやく安堵した顔になった。

 「犬咬市では伊刈さんが一番仕事に詳しく全体をリードしていたと検事が思っているので、検事のターゲットは伊刈さんです。この調書は容疑事実を否認する調書として作成しました。ただ、私としては否認ではなく事実をありのままに話してもらったと思っているし、そう検事に説明するつもりでいます。しかし検事が単に否認しているだけで、私の捜査が不十分だと考えれば再度検事が捜査することはありえます」

 「検事が捜査するということは逮捕ですね」

 「不本意ですが、そうなると思います。私としては県庁に出向して産廃業務を担当した経験もあり、撤去に立ち会った職員が単なる業務のミスで逮捕されるようなことになっては、不法投棄対策はできなくなってしまうという立場は理解しているつもりですし、不正行為を知っていて見逃したのでなければ刑事責任は問われないと思っています。マニフェストのD票とE票が提出されない段階で、おかしいと思って新潟県に通報してくれれば、このような事態にはならなかったと思います。新潟県は通報がなかったことを怒っており、最初から犬咬市は通報するつもりがなかったと勘ぐっています。そう考えるのもムリはないように思います。それで最初から知っていたのではなかったのかという点を捜査しています。通報がなかったことは今回の容疑ではないですが、発端はそういうことです」

 「私は他の県の方からは犬咬市の不法投棄対策をリードしてきたように思われているかもしれませんが、実際にはたった三、四人の現場チームの班長にすぎません。しかし、そんな私が、本省や県庁をさしおいて有名になってしまったことが、今回の容疑と関係があるのだとすれば、それは私の原罪だと思います」

 「現場の班長の伊刈さんがこれほどの仕事をされ、これほど有名になられたことは驚くべきことだと思います。所轄の班長にすぎない私とはほとんど同じ立場なのに、どうしてこれだけのことができたか教えてもらえませんか」

 「現場は、法律や条例を作れるわけでもなく、予算も人員も限定されています。でもかえって、法律や予算をあてにしないで、現場の工夫だけでなにができるかという発想で取り組むことができた成果だと思います。僅かな期間で産廃ダンプを撃退することができたことは、私自身にも驚きでした。不思議なことに彼らは私と対決することを嫌がったんです。私のチームのやり方を他の事務所でも行うようになり、犬咬市全体、さらには県全体で不法投棄が激減しました」

 「なぜ、彼らは伊刈さんと対決することを嫌がったのですか」

 「私のチームは、自らゴミまみれになるゲリラ戦で戦いました。毎日目の前のゴミと格闘していたんです。捨てたゴミを掘り返されるのが彼らは嫌だったんだと思います」

 「ゲリラに対してゲリラで戦ったということですか」

 「敵味方を超えた同胞意識のようなものがそこから芽生えました」

 「しかし、馴れ合いにはならずにけじめはつけられた。警察官の私には、現場でのご苦労は身につまされるお話ですね。でも、たぶん検事や国のお偉いさんたちには、現場の伊刈さんが自分の工夫だけでこれほど重大な問題を解決したというお話の真意はわからないかもしれません。今後の健闘を祈ります」

 調書を大切そうに鞄にしまって立ち上がった三浦警部補は伊刈に握手を求めた。

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