これはある日の私の夢です。
お月見もちもち
第1話 もしあなたが神隠しに遭ったら
それはなんでもない夕方。
空は茜色で、紫がかった雲は遠くどこまでもたなびいて、切ない色をにじませた夕日は溶けるように空を染めていた。
目の前には、緑のフェンスで囲まれた小学校と、何の変哲もない住宅街。ただ、小学校のフェンスは一部が壊れていて、その奥には小さな雑木林のようなところがある。その真ん中には、小さな祠があった。
「すみません、あれは何ですか?」
近くを通りかかった人に声をかけてみても返事はない。あの、と少し後を追いながら言葉を続けても、無視されるだけ。
なぜか、それはあなたは神隠しに遭っているから。誰からも見えてない、だから返事がないだけ。その事実は存外すんなり受け入れられるものだった。
もう一つあなたが知っているのは、この神隠しはもうすぐ終わるということ。だからそこまで心配する必要はない。
とはいえ無視されるのは心に来るものがある。はぁ、と肩を落としながら、静かに祠の方に向き直って神隠しが終わるのを待った。あと、3秒もないはず。
2秒、1秒、そして・・・。
「あっ・・・」
神隠しから解放されるとき、祠に一つの『影』が消えていくのが見えた。それは間違いなく『神』だった。けだるそうに祠に歩み寄る『影』を見ながら、あなたは今初めて知った約束を思い出した。
「そうだ、『神』の姿は、見てはいけないのだった」
急激な背徳感が頭を打ち、しまったと呟いた。だが、もうそれはいた。
あなたと全く同じ『影』。
真っ黒で姿の見えないそれは、しかし、確実にあなた自身だった。しかも、あなたに成り代わるために『影』はあなたに敵意を向けている。
ゆら、と『影』が一歩進み出ると、その黒さはわずかに溶けて、よく見慣れたあなたの脚が見えた。ふと己の手を見れば、向こうが見えるほどの透けた闇になっていた。
「しまっ・・・」
恐れ、命の危機を感じて、あなたは学校脇の道路を一目散に駆け出した。『影』はしかしあなたにピッタリとくっついてくる。
「いやだ、いやだ!こんなところで死にたくない!乗っ取られるなんてまっぴらごめんだ!」
『影』に向かって叫びながら、あなたは誰もいない夕暮れの通学路を走っていく。恐怖に支配されたあなたの心とは対照的に、空は依然として美しく、夕日は雲を魅了するように橙の光を差し続ける。
そしてその途中に来た頃だった。そこには、味方がいた。
「あ・・・みつきくん!お願いだ、助けてほしい!いま、いまよくわからないものに追われていてそれで・・・」
必死にそこまで訴えたところで、突然、彼はあなたを強く殴打した。状況の理解できていないあなたは倒れこみながら、彼の顔をよく見てみた。いつもとなんら変わらない顔、しかしそこには、感情のない目があった。
なるほど、彼もまた、あの『影』の味方なのである。だあれも、あなたを助けてくれはしないのだ。
前からはじりじりと彼が近寄り、後ろからは『影』がにこにこしながら迫ってくる。あなたは即座に立ち上がると、彼の横を抜けてまた力の限り駆け出した。
紫の雲は焦がれる夕日に吸い込まれるように伸び、夕日は彼らをおいていくように沈もうとしている。どこまでも続くフェンスと住宅の一本道を、あなたもまた雲たちのように夕日めがけて走っていく。後ろには感情のない彼と、嬉々とした『影』の顔、そして美しい茜を蝕んでいく濃い紫の空。少しずつ彼らはあなたに近づいている。もう、逃げ場なんてないのかもしれない。
そう絶望に陥ったとき、眼の前が急に住宅で塞がれた。ああ、もうだめだ。虚無が心に食い込んで、住宅の壁が空の夕日を遮った。
そのとき、さあっと、オレンジの光が右ほおを照らした。顔をあげて振り向くと、閉ざされていたと思った右側に、さっきと同じ夕日の照らす道が続いている。あなたはあきらめず再び駆け出した。
けれども、その道は決して長くはなかった。ほんの数百メートル走ったところで、小学校のフェンスが道をふさいでいたのだ。よじ登れば超えられるかもしれない。けれど、走り続けたあなたには体力は残っていなかったし、その網目は手や足を引っかけるには小さすぎた。それでもあなたは諦めきれず、何度も何度も登ろうと挑戦する。なのに、まるで誰かに押されているように、ちっとも登れやしない。
「おい」
突然、低い声がした。ぎゅっと心臓が締め付けられる感覚がして、恐る恐る後ろを振り返れば、そこには彼がいた。感情をなくした目があなたを射抜く。もう、今度こそだめだろう。
「あ・・・あぁ・・・み、みつきくん・・・。私たちは、友達ではなかったんだね・・・?君は、私のことを・・・」
あまりの恐怖に、あなたはその場に座り込んでしまう。体ががたがたと震えているのがわかる。彼の腕が伸びてくる。その手はあなたを無遠慮につかみ上げ、そして、あなたを持ち上げてフェンスの向こう側に押しやった。
「え・・・?」
振り返り、フェンス越しに彼の方を見れば、さっきまでの虚空のような目はなくて、いつもの人間じみて人懐っこい彼が、困ったように眉をひそめていた。
「ごめんな、俺たち、友達だったよな」
それだけ言って、彼は立ち去ってしまった。夕焼けはあなたの背中を照らし、こちらを見ろと催促するように熱を投げかける。静かに、あなたは夕焼けの道を振り返り、あゆみ始めた。
さっきまでの近代的な家屋はなくなり、今度は木造の平屋が立ち並ぶ道だった。夕焼けは相変わらず道の向こうにたたずんでいる。きっとまだ『影』はあなたを追いかけている。それでもなぜだか、もうあなたは恐怖を感じなくなっていた。
古めかしい家の数々の軒先には風鈴がつるされている。聞こえていないだけで、もしかしたら蝉が鳴いていたかもしれない。和やかな喧噪に包まれたその道は、しかし誰も歩いていなかった。
そしてその道の最後には、あの祠があった。なぜだかそれは幸せそうだった。
自分の腰ほどの高さのその前に、あなたは屈みこみそして言った。
「約束を破ってごめんなさい。見たいと願って、ごめんなさい。もう、もう二度と知らなくていいことを知りたいなんて、私は絶対に思いません」
そして気が付けば先ほどの小学校の校庭にいた。
空は半分が闇で包まれ、遠く向こうには星が見えている。夕日は眠るように沈んでいく。
茂みに覆われた祠の扉は、ぴったりと閉ざされていた。
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