普遍的愛情故事
六宗庵
01-劫
動物を拾った。
其れは人間と呼ぶにはおぞましく、犬猫と呼ぶには理性があった。
この動物は、元々は人間であった。
理性を持ち、端麗でありながら穢れを知らぬ。けれど人間の仄暗い面をこれでもかと若年の身に浴びて、ヒトの手に因って絶命した人の子だ。名は
これら全ての情報は、今朝方この座棺が門前に捨て置かれ蓋上に石ころで留められていた書面に、気持ちばかりの額面と共に丁寧にも端正な字体で綴られていたものである。
正直、生きた人間に辟易としてこんな訳アリの密葬を請け負うばかりの稼業に身を落としている自分には心底どうでもいい情報であったが、まさかそれが役立つとは思ってもいなかった。
ふと、座棺の蓋が少し緩いことに気付いた。
うちにくるような一度封をし、外から開けることを考えていない簡素な作りの桶蓋は『中から開ける』事をしない限りそう簡単に緩むことはない。
その蓋が開いたということに、気付いてしまった。
途端に冷えた感覚がひゅ、と身体を駆け下りる心地がしたがゆっくりと、緩慢な動作で緩んだ部分に手を差し入れがこん、と落ち窪ませる。
そこに、あるはずのものはなかった。
幾ら鉄面鉄皮と呼ばれる自分でも流石にそのまま腰が抜けると、悲鳴もなく呆然としばらく間抜けな格好で転がって、やがてもう一度恐る恐る中を覗き込んだ。
ない。やはりそこには、なにもない。
──否、もしかしたら。
ここに来たときには、既に何もなかったのかもしれない。
今まで幽霊のような与太話には縁があってもこんな、遺体ごと消えていたなんて出来事には遭ったことがなかった。寧ろ現実的に世知辛い俗世に塗れていた自分には到底、すぐに理解できるような柔軟な頭はなかったのだろう。
そんな莫迦な防御案を自分に出すと可能性をつらつら、ぶつぶつと刷り込みにかかった。
─こういった訳ありの類には稀にあるじゃないか。想いを断ち切れない縁者であるとか、はたまた手に掛けた本人とか。何処までも何処までも共にいようと暴く輩がいないとは言い切れないと。
しかし、外からは開けられないと確認したその数秒前の自分を忘却した思考。そんな浅はかな考えで平常を保とうとした心はガサッと庭の方で発てられたたった一つの音で霧散した。
相変わらず声は挙げずとも思い切りビクリ、と動いた肩を自分で嘲笑して、地に着いた心地のしない足を叱咤すると大きく、大きく大袈裟に一呼吸して自分を落ち着かせる。
違う。そう、猫だ。隣は猫屋敷ではないか。
人間なんか生き返る訳がないではないか。
そんなこと、自分が一番理解っているのだ。
そう思い直すと、すうと心は落ち着いて。
自然と、その方に足が向いた時だ。
──ガサリ。
振り返った軒先の茂みに、二つの目がだいぶ登った陽にきらりと光っていた。
犬猫にしては大きい。自分の腰の高さ程の茂みから屈んではいるがてっぺんが抜き出ていて、その頭に勿論耳は無い。
「───刹那?」
晴天直下、霹靂の雷撃だった。
思わず呼んだ名、それにびくりとして警戒したように恐る恐る陽の元へ出てきたそれは四つん這いの獣のようで、怯えた目を此方に向けていた。
成る程、端正だった。汚れてはいるが穢れを知らない瞳。しかし昏きを識る拒絶の色、血の気の失せた肌は、確かに死人のそれで美しかった。
あろうことか、その目に自分は一目惚れをした。
生き返りの、経緯とか今までの恐怖とか、そんなのは全部吹き飛び代わりに訪れたのは甘い鼓動。
厭よ厭世と俗世を捨て、生きた人間から逃げ出した自分への褒美とすら、思ってしまった。
それくらい彼は美しく、生けた理想の屍だった。
確かに彼は、生き返っていたのだ。
「おいで、刹那」
気付けば、自分はしゃがみこんで飼い猫よろしく手招きしていた。警戒する猫を、獣を優しく、出来るだけ柔らかい口調で諭し手懐けるように。
しかして悲しいかな、蓋を開け、閉めて手紙を置き直す。そんな理性が認められたにも関わらず、彼は自分に歯を鳴らし一瞬にして襲い掛かってきた。
最初に触れたのは腕。とっさに防御に出したそれに遠慮無く噛みつくと喉を鳴らし溢れる血液を、肉を、骨を懸命に咀嚼した。
けれど元々は人間の歯。骨には噛み負けると段々、目の光が柔らかくなって、震えながら口を離してしまう。
「──っ、わ、私、わた…しは…っ」
「大丈夫。怖がらなくて、善い」
混乱し、泣きじゃくる刹那。
気にするなと慰めようと思う片腹で、片腕くらいならくれてやっても良いのに、と自分はどこか他人事のように既に感覚のない片腕をぼうと刹那と交互に見つめていた。
─嗚呼、今なら解る気がした。誰彼の為に死ねるとは、こういう感覚かと。
それが、私と
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