全身ラバースーツ転生

雪下淡花

第1話 夜道を全身黒ラバーで歩いていたらトラックに轢かれた件

 夜道を全身黒ラバースーツにガスマスクと赤いランドセルを背負って徘徊していたらトラックに轢かれた。死にたい。

 いや、死んでいるんだけど。

「コー……ホー……」

 ガスマスクでくぐもった呼吸音が真っ白い広い空間に広がり溶けていく。

 気が付いたら俺は何もない白い空間で椅子に座らされていた。俺の目の前には同じ椅子が向い合せるようにぽつんと置いてある。誰か来るのだろうか。

 全身ラバースーツ&ガスマスクの姿で長時間放置されて「そういうプレイかな」と興奮し始めた所で、誰か女の声が頭に響いた。

「(……そういうプレイでは、ありませんよ)」

 遅れて、椅子の上が強く光り輝いたと思ったら白いワンピースの女がフッと現れた。

「(お待たせしました。角田樹、カクタ・イツキさんですね?)」

 女は口を動かさずに直接脳内に語り掛けてくる。

 俺が怪訝に思ったのが伝わったのか、女は「あっ」と口元を抑えてはにかんだ。

「失礼しました。私はミクトランシペシワトル……長いですね。ミクとお呼びください。貴方の転生のお手伝いをさせていただきます……」

 ミクと名乗る女は穏やかな笑顔のまま少し言葉に詰まる。

「カクタ・イツキさん……ですよね? 本当に」

 全身ラバースーツにガスマスク姿のままではたしかに本人かどうかわからないのだろう。

 俺は素直に答える。

「はい。カクタ・イツキ、23歳です」

「失礼ですが、そのお召し物は……?」

「私物です」

「は、はいぃ……」

 ミクさんは笑顔は崩さずにひそかに冷や汗をかいている。

 俺はミクさんの素直な態度に感心した。己の欲望を体現しているこの姿を見て侮蔑の視線を投げかけてこないとは。

 そこで俺は見知らぬ場所で見知らぬ人と対面していた緊張を少し解くことにする。

「うぅ……おかしいですね……本人の自我境界までしかここには来れないはずなのに」

「自我境界?」

「自分がどこまでが自分自身かという境目のことですね」

「なるほど。であればこの姿で問題ないのでご心配なく。俺にとってこのスーツも含めて自分自身ですから!」

「そうでしたか……す、すみません。あまりそういった姿の方を担当したことが無かったもので」

「初めてですか、全身ラバースーツの男を見るのは」

「えっと、いえ、その、カクタ・イツキさんをお呼びするにあたってあらかじめ調査している中で何枚かお写真は拝見していたのですが」

「写真?」

「SNSに『カクタス』さんというお名前で投稿されているお写真をですね、いくつか」

「なんと」

 ミクさんの指摘の通り、俺は短文投稿サイトにいくつも自撮りの写真を投稿していた。

 そこには全身黒ラバースーツだけでなくキャラ着ぐるみやケモナー物のあったはずだ。

 ミクさんの趣向に悪い方に影響を与えていなければいいのだが。


 ミクさんはスマホで俺のT○itterの写真をスクロールさせて見せてくる。

「これは、T○Heartのマ○チですか?」

「よく分かりましたね。ウィッグと耳と制服以外は全身黒ラバースーツなのに」

「これは、ポ○モンのブ○ッキーですか?」

「よく分かりましたね。体型が人型なのに」

「これは、……F○Oのニ○クリスですか?」

「よく分かりましたね。全身ラバーで白い布をかぶっているだけなのに」

「ふむーっ」

 ミクさんは興奮気味に息をついて、俺の歴代のコスプレ全身黒ラバースーツ写真を次々眺めていく。

「……カクタ・イツキさんはどうしてこういった格好を?」

「ご興味がおありですか?」

「いえっ、その、カクタ・イツキさんの、」「イツキでいいですよ」「イツキさんの事をよく知っておきたくて」

「それは生前の功徳に応じて落ちる地獄が変わるとかそういう意味で?」

「違いますよぅ、私たちの都合で"お呼び"してしまった方の事をしっかり知っておきたいんです。これから先もしばらくサポートさせていただきますので」

 ミクさんは穏やかな笑顔を浮かべながらスマホをいじっている。

 そこで俺は先ほどから気になっていた事を尋ねる。

「ミクさん。"お呼び"したとおっしゃっていますが、つまり俺がトラックにはねられたのは」

 俺を呼ぶために殺したのか、という疑念を率直に問いたかった。

 俺の言葉と視線でそれを察したミクさんはビクリと肩を震わせた。

「語弊がありましたね。貴方があの場所で亡くなったのは、残念ですが運命です。私たちはその運命を変えることもできましたけれど、しませんでした」

 ミクさんは誤魔化さずに、少し泣きそうな笑顔で正直に俺に告げた。

「貴方は死後、運命に従って元の世界で別の姿に転生する予定でした。それを、こちらに招いたということです」


「"呼んだ"のには何か理由があるのですか?」

 俺は少し前のめりになって尋ねる。協力的な姿勢を見せた方が聞きたいことも聞かせてもらえるだろうと思ったからだ。

 ミクさんは俺の視線をまっすぐ受け止め、姿勢を正して答える。持っていたスマホも伏せて、目つきは真剣そのものだった。

「はい。ひとつめの理由は、救っていただきたい世界があるからです。ふたつめの理由は、貴方が勇気ある人だからです。私たちは貴方を勇者としてお招きしたいのです」

「勇気……? いや、まぁ確かに」

 夜中に全身ラバースーツで徘徊するのを勇気と呼ぶならば、そうなのだろう。

「それと、私"たち"?」

「これからあなたに赴いていただく世界の人々、という意味で受け取ってください。私が属する、転生を司る者たちの都合というものでもありますが」

「実直ですね、ミクさん」

「そう思っていただけるなら幸いです。ほかにもご質問ありましたら承ります」

「質問……は無いけど、言い忘れていた事が」

「どうぞ」

「俺がどうしてこの格好をするのか。全身を締め付けられて気持ち良いのもあるけど、別の何かになりたいっていう変身願望もあったと思う。答えになっているかな?」

「はい。イツキさんの事を教えていただけて嬉しいです。なるほど、変身ですか……」

 ミクさんは深く納得したようにうなづき、ふむふむと何か考え始めた。

 そしてふと顔を上げて、顔を赤らめた。

「……気持ち良いんですね、それ」

 ミクさんの控え目だがじっとりとした視線を受けて俺は腰回りのラバーが少しきつくなるのを感じた。


「イツキさん。これから貴方は今まで貴方がいた世界とは異なる世界で新しい生命として肉体を与えられます。

 あらかじめ詳しいことを私からお伝えすることができません。ですがその世界は危機を迎えていて、助けを求めています。

 私はずっと貴方をここから見守っています。そして、声だけですが貴方を導けるよう助言を続けていきます」

 ミクさんは立ち上がり、俺を椅子から立たせた。

「ひとつだけ、私からの贈り物です。貴方が望む貴方になれる力を」

 ミクさんは全身黒ラバースーツにガスマスク姿の俺をためらわずに優しく全身を包むように抱きしめた。

 温もりと、柔らかさと、力強さを俺は全身に受けた。

「イツキさん。貴方が必要なんです。今は離れますが、私はずっとあなたのそばにいます。これからもずっと見守っています。貴方の魂を愛していますよ」

 囁かれ、ミクさんの腕に抱かれたまま、俺の意識は遠のいていった……。

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